創部1902年 / 体育各部1902年公認
現在、全日本学生テニス王座決定試合にて男子15連覇、女子13連覇を達成し、また個人ではインカレのみならず世界大会で活躍する部員も排出致しました。今年度も更なる飛躍を目指し、我々庭球部の挑戦は続きます。
1902(明治35)年に6部の一つとして活動をスタート。当時の日本において硬式は普及していなかったため、庭球部も軟式からスタートし、1920(大正9)年に硬式に移行した。創部50周年の1953(昭和28)年に女子部も誕生。男女共に大学テニス界をリードしてきた。
1922(大正11)年に始まった第1回全日本選手権では、OBの福田雅之助が男子シングルスで優勝。以降、全日本学生選手権・全日本選手権などで数十名のチャンピオンを輩出した。1955(昭和30)年に全米オープン選手権男子ダブルスで優勝した加茂公成・宮城 淳をはじめ、坂井利郎や土橋登志久、青山修子など、オリンピックやウィンブルドン、デビスカップなどの国際大会において活躍する選手も多数生まれている。全日本大学対抗王座決定試合においても毎年結果を残し、2022(令和4)年には男子が大会史上初の王座17連覇を達成。大学テニス史に残る前人未到の軌跡を残している。
早大庭球部の指針となっているものに、「この一球は絶対無二の一球なり」という有名な文章がある。これは、日本テニス界の父ともいわれる福田雅之助が、当時の部員たちに送った言葉だ。部員だけでなく多くのテニスプレイヤーに影響を与えてきたこの精神は、福田直筆の全文が現在も部室に飾られ、一人一人に受け継がれている。
また、庭球部の伝統として強く重んじられているのが、学業とテニスの両立だ。テニス競技による人間教育を通して、文武両道のDNAが継承されている。
※2022年度発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より
中井 浩巳(理工学術院・教授)
石井 弥起
【男子部】鈴木 蒼平(人間科学部)
【女子部】齋藤 優寧(スポーツ科学部)
後藤 亮太(スポーツ科学部)
佐藤 偉(商学部)
萩原 真美(スポーツ科学部)
55名 (2023年12月現在)
東伏見三神記念テニスコート(東京都西東京市東伏見3-5-27)
4月 | 新勧期 |
5月 | 関東学生テニストーナメント大会 早慶戦 |
6月 | |
7月 | 関東学生テニス選手権大会 |
8月 | 全日本学生テニス選手権大会 |
9月 | 関東テニスリーグ 早慶戦 |
10月 | 全日本大学対抗テニス王座決定試合 |
11月 | 全日本テニス選手権大会 |
12月 | 全日本学生室内テニス選手権大会 |
1月 | |
2月 | 関東学生新進テニス選手権大会 |
3月 | 三菱電機・早稲田大学フューチャーズ国際テニストーナメント |
原則月曜以外の週6日
平日は個人の授業時間に合わせた時間別練習、土日は終日練習。
部費5万円/年
東伏見紺碧寮
田無紺碧寮
(人数に制限があります)
東伏見三神記念テニスコート(東京都西東京市東伏見3-5-27)
福田雅之助
1919(大正8)年卒。1922(大正11)年、第1回全日本テニス選手権男子シングルスで優勝し、ウィンブルドンやオリンピックに出場するなど日本のテニスの発展に大きく貢献した。坂井利郎
1970(昭和45)年卒。1972(昭和47)年から2年連続でアジア競技大会で優勝、1973(昭和48)年にウィンブルドン3回戦進出、1974(昭和 49)年に全仏オープン3回戦進出といった成績を残している。土橋登志久
1989(平成元)年卒。史上初の全日本学生選手権男子シングルス4連覇を達成。元デビスカップ代表選手。ソウルオリンピック代表選手。 2004(平成16)年から2019(平成31)年まで早稲田大学庭球部監督。2015(平成27)年から 2022(令和4)年までフェドカップ(現ビリー・ジーン・キング・カップ)日本代表監督。日本テニス協会常務理事・強化本部長。青山修子
2010(平成22)年卒。在学中には全日本学生室内テニス選手権においてシングルス・ダブルス優勝などの成績を収めた。2021(令和3)年、ウィンブルドン選手権で日本人女性初のベスト4入り。※2022年11月時点
042-469-3487