創部1922年 / 体育各部1946年公認
日本にホッケーが持ち込まれたのは1906(明治39)年、ウイリアム・グレーの指導に遡る。そして1922(大正11)年には日本人チーム対抗の初試合を開催。これに初代キャプテンの吉田兵吉らが参加したことが活動の始まりであり、気運が高まったことから翌年に「スケート・ホッケー部」として誕生した。アイスホッケーのシーズンオフトレーニングにもなることから、フィールドホッケーとアイスホッケーの混合チームとして出発。1926(大正15)年に全日本選手権を初めて制し、1932(昭和7)年のロサンゼルスオリンピックには、監督兼フォワードの廣瀬藤四郎ら5人が選出されて銀メダルを獲得した。
戦後間もない1946(昭和21)年には現在の名前で公認され、再スタートを切る。2年後には関東学生リーグ春季で優勝。 1964(昭和39)年の東京オリンピックには木原征治、橋本征治、吉村 実が日本代表に選出。同年からは全日本選手権を4連覇し、黄金時代を形成した。4年後のメキシコオリンピックには、監督として市川日出男、選手として吉村、和田明仁、大塚智万が日本代表入り。1970(昭和45)年には、戦後復活した全日本学生選手権を初めて制している。
全日本選手権優勝9回、全日本学生選手権優勝1回、関東学生リーグ優勝21回の実績を誇るが、近年は競技を取り巻く環境の変化もあり、全日本学生選手権ベスト8が分厚い壁になっている。1991(平成3)年に発足した女子部と共に全国ベスト 4入り、そして学生王座の奪還を大きな目標に、創部百周年を超えて新たな世紀に向かっていく。
※2022年度発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より
中村 信男(商学学術院・教授)
【男子】原 聡
【女子】安岡 裕美子
【男子部】保坂 航希(政治経済学部)
【女子部】山下 天海(スポーツ科学部)
【男子部】黒田 悠磨(政治経済学部)
【女子部】三宅 美由紀(スポーツ科学部)
50名 (2023年12月現在)
東伏見ホッケーグラウンド
4月 | 春季関東学生ホッケーリーグ |
5月 | 春季関東学生ホッケーリーグ |
6月 | 春季関東学生ホッケーリーグ、全日本学生王座決定戦 |
7月 | |
8月 | 合宿 |
9月 | 秋季関東学生ホッケーリーグ |
10月 | 秋季関東学生ホッケーリーグ |
11月 | インカレ、早慶戦 |
12月 | |
1月 | |
2月 | |
3月 |
男子部 火~金:16時30分~19時30分 土、日:9時30分~12時30分
女子部 火水金:16時30分~19時30分 土、日:9時30分~12時30分
自己負担分必要経費(部費、遠征費用、合宿など)
年間40,000円
早稲田大学第一紺碧寮
木原征治
1963(昭和38)年卒。在学中にローマオリンピック出場。東京オリンピックでは攻撃の軸としてベスト8進出に貢献。ドイツとの最終戦では豪快なロングシュートを叩き込んだ。1977(昭和 52)年から2期通算10年間日本代表チームの監督を務め、その後も日本ホッケー協会で理事や強化部長を歴任。和田明仁
1969(昭和44)年卒。メキシコオリンピックに出場。現在は東京ホッケー協会会長や稲門ホッケー倶楽部会長を務める。※2022年11月時点
部室:042-465-5769