小野梓記念賞とは、学生褒賞の中で最も名誉ある賞です。
小野梓は、大隈重信を助けて早稲田大学の前身である東京専門学校の創設にもっとも心血を注いだ一人でした。それゆえに大隈重信と小野梓は本学建学の父・母に並び称されています。
小野梓は、東京専門学校創立後、わずか3年余でその後の学園の隆盛を見ることなく、33歳の若さで亡くなりました。しかし、小野梓の唱えた「学問の独立」は、1913年の創立30周年式典に際して宣明された「早稲田大学教旨」に明記され、今日に至るまで脈々と承け継がれて早稲田大学の根本精神となっています。
こうした小野梓の功績を顕彰し、建学の精神を顕揚することを目的に、1958年に小野梓記念賞が制定され、学術、芸術、スポーツの三部門において、それぞれ優れた成績を修め、模範となるべき学生に対してこの賞が贈られることになったのです。
さらに1994年度より、三賞の選考範疇には属しませんが、小野梓記念賞を授けるに値すると認められる成果・業績をあげた学生に対して特別賞が贈られています。
メダルは、中央に小野梓を象徴する像がギリシャ風に浮彫りされ、縁にラテン語で WASEDA UINIVERSITAS・PALMA IN MEMORIAM AZVSA ONO(早稲田大学小野梓記念賞)と刻まれています。デザインは、早稲田大学名誉教授今井兼次が考案し、日展審査員で東京教育大学教授木村珪二が彫刻したものです。1966年度の受賞者から授与されています。2007年度より、早稲田大学創立125周年記念に準じて、従来より大きくしメダルの重さを125グラムとしました。原寸は直径5.5㎝、厚さ約5㎜で純銀製で金メッキを施したものです。
競技スポーツセンターは、前年度優秀な成績を収めた部・監督および部員個人に対し、各体育部長の推薦に基づき、体育名誉賞選考委員会が選考の結果、以下の賞を表彰しています。
学生アスリートが学業と部活動を両立し、社会性と豊かな人間性を兼ね備えた人格形成を目指す育成プログラム「早稲田アスリートプログラム(WAP)」。同プログラムにおいて文部両道を高いレベルで実現した体育各部、部員に以下褒賞が贈られます。
・最優秀学業成績団体賞
毎年度、部員の平均通算GPAが最も高い部に与える。
・優秀学業成績団体賞
毎年度、部員の平均通算GPAが2、3番目の部に与える。
・最優秀学業成績個人賞
卒業時、標準修業年限(4年間)で卒業する部員のうち最も高い通算GPAを獲得した者に与える。
・優秀学業成績個人賞
卒業時、標準修業年限(4年間)で卒業する部員のうち上位10%の通算GPAを獲得した者に与える。
・年間最優秀学業成績個人賞
毎年度、3年生以下の学年ごとに、要指導単位数を上回る単位数を取得したものを対象として、当該年度履修科目において部員のうち最も高いGPAを獲得した者に与える。
・年間優秀学業成績個人賞
毎年度、3年生以下の学年ごとに、要指導単位数を上回る単位数を取得したものを対象として、当該年度履修科目において部員のうち上位10%のGPAを獲得した者に与える。
※9月に入学した部員は、4月入学者の値と同じ、またはそれを超えるGPAを獲得した部員を対象としています。
競技スポーツセンター所長賞とは、伝統ある早稲田スポーツの精神を継承する者の模範となる活躍をした方に授与される賞です。卒業後も、競技者や指導者として卓越した実績を残し早稲田スポーツの名声を国内外に広く知らしめた方、あるいは、より良き共生社会の実現に向けてグローバルなフィールドで活躍している方の功績を讃えるために制定されました。
競技スポーツセンターは2009年度体育表彰式において、平井伯昌(ひらい のりまさ)氏(1986年社会科学部卒、2009年大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制)を日本の水泳界に多大なる貢献をされたことを讃えるともに、本学のスポーツ精神を継承する者の模範であることを顕彰し、競技スポーツセンター所長賞を授与しました。また、「早稲田大学リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック報告会(2016年10月15日開催)」において、日本人として初めて「パラリンピック殿堂入り」した河合純一(かわい じゅんいち)氏(1998年教育学部卒、2005年大学院教育学研究科修了)に、競技スポーツセンター所長賞を授与しました。
水泳部OB。1986年に社会科学部を卒業後、東京スイミングセンターに勤務。競泳日本代表のヘッドコーチを歴任。2008年北京オリンピック大会で、オリンピック2大会連続、金メダリストになった北島康介選手や、銅メダリストになった中村礼子選手をコーチとして指導した。その卓越した指導力・マネジメント力は各界から注目を集めている。北京オリンピック時は現役学生として、北京オリンピックに指導者として参加し、優秀な成果をおさめた。
水泳部OB。1998年教育学部卒業、2005年大学院教育学研究科修了。1992年バルセロナ大会から2012年ロンドン大会まで6大会連続でパラリンピック水泳男子に出場、5個の金メダルを含む21個のメダルを獲得。競技引退後も、日本パラリンピアンズ協会会長、日本身体障がい者水泳連盟会長、2020年東京オリンピック・パラリンピックのアスリート委員会副委員長などを歴任され、パラスポーツやスポーツ界の発展に尽力されています。また、2016年9月に日本人として初めて「パラリンピック殿堂入り」されました。なお、「パラリンピック殿堂」は、過去の大会で大きな功績を遺した選手や指導者をたたえるために2006年に創設され、これまでに19名が殿堂入りしています。