創部1934年 / 体育各部1939年公認
米式蹴球部は、立教大、明治大と並ぶ日本フットボール会のルーツ校の一校として目標の日本一に向けて日々活動しており、2002年、2010年、2015年、2016年度に日本学生選手権準優勝という記録を残しています。
アメリカンフットボールには様々なポジションがあるのが特徴で、多くの選手に活躍の機会が与えられています。東西の強豪校の中では、未経験者が占める割合が高い(約4割)のも早大の特徴。 今年は「気魄」をスローガンに掲げ、主体的に行動し、早稲田アスリート宣言の精神に則り競技力向上のみならず、人格の陶治に努めます。
日本におけるアメリカンフットボールの歴史は、1934(昭和9)年の「東京学生アメリカンフットボール連盟」の結成に遡る。立教大学のポール・フラッシュ教授が早稲田・明治・立教の学生に声をかけたもので、これをもって3校は日本におけるアメリカンフットボールのルーツ校に数えられるようになった。同年を創部年とし、2年後には現在の部名に改称。慶應と法政の参加によって5大学になったリーグ戦で初優勝を果たすなど力を示し、1938(昭和13)年に公認された。しかし、日米開戦後は敵性スポーツとして弾圧が強まり、休部をよぎなくされる。終戦翌年からは本格的な活動を再開し、画期的なTフォーメンションを他校に先駆けて採用。1983(昭和58)年から大隈重信の名前をあしらった「BIG BEARS」をニックネームに掲げ、本場アメリカの大学チームに学び、近代フットボールへの脱皮を図るべく改革を断行していった。
日本の大学アメリカンフットボールで最高の栄誉であり、 2008(平成20)年までは東西大学王座決定戦で、現在の全日本大学選手権決勝である「甲子園ボウル」には、2002(平成 14)年に初めて出場した。しかし、関西勢の壁は厚く大敗。その後も5回の出場を重ねているが、2015(平成27)年には惜しくも1点差で敗れるなど、あと一歩のところで大学日本一に手が届かないでいる。クォーターバックとして司令塔を担った波木健太郎、ランニングバックとして早稲田勢初の関東リーグ 1000ydsラッシャーになった末吉智一など世界を舞台に活躍する選手も輩出。2021(令和3)年からはメルセデス・ベンツ日本と住ゴム産業がリーグ初のユニフォームスポンサーになった。
※2022年度発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より
森田 典正(国際学術院・教授)
下田 啓(法学学術院・教授)
髙岡 勝
小林 亮生(先進理工学部)
松澤 学(スポーツ科学部)
184名 (2023年12月現在)
東伏見総合グラウンド
2月 | ボランティア |
4月 | 早慶戦、春季オープン戦 |
5月 | 体育会新人パレード、春季オープン戦 |
6月 | 関西大学定期戦、春季オープン戦、ボランティア |
7月 | 高校クリニック |
8月 | 夏合宿 |
9月 | 秋季リーグ戦 |
10月 | 秋季リーグ戦 |
11月 | 秋季リーグ戦 |
12月 | 秋季リーグ戦、東日本代表校決定戦、全日本大学選手権「毎日甲子園ボウル」 |
1月 | 日本選手権「ライスボウル」、関東学生オールスター戦「カレッジボウル」 |
2月 | 高校キャラバン |
3月 | アメリカンフットボール体験イベント、高校キャラバン |
火~金:17時30分~ 土・日:13:00~ (変更あり)
練習時間:2時間半から3時間程度
部費:1年生の選手5万円、スタッフ4万円(合宿7万5千円)、テーピング、サプリメントなど、各自ごとの実費を負担していただきます。
第一紺碧寮、第二紺碧寮、田無紺碧寮(希望者:人数枠あり)
東京都西東京市東伏見2-7-5
井上素行
1937(昭和12)年卒。「東京学生アメリカンフットボール連盟」を設立するなど、アメリカンフットボールの普及に尽力。その功績が評価されて日本アメリカンフットボール殿堂入りを果たした。波木健太郎
2004(平成16)年卒。クウォーターバックとして司令塔の役割を果たし、甲子園ボウル初出場、戦後初のリーグ戦全勝優勝などに貢献。プロのNFLヨーロッパリーグにも参戦した。末吉智一
2012(平成24)年卒。3年次に関東リーグ史上6人目の1000ydsラッシャーになる活躍で関東学生MVPに選出。甲子園ボウル出場、世界選手権銅メダル獲得などの功績で、小野梓記念賞を米式蹴球部で初めて受賞する。※2022年11月時点