創部1897年 / 体育各部1902年公認
早稲田大学弓道部は、その前身東京専門学校弓術部として明治30年(1897年)3月に創立されました。以来、明治、大正、昭和の時代を経て、平成9年(1997年)には弓道 部創立百周年を迎え今日に至っております。弓道部は長い間、学生弓道界の雄としての成績を残し、常にリードする自覚をもって活動しております。
弓道部は、その前身である東京専門学校弓術部として1897(明治30)年に創部。当初は大学周辺の土手を利用して的を掛け行射する状況にあったというが、1904(明治37)年には運動場の一角に射場を新設。翌年には早くも部員数は200余名に及んだ。対外試合としては1901(明治34)年に対慶應義塾大学戦、 1912(明治45)年に対明治大学戦が始まり、現在まで続く伝統の戦いの基礎が築かれた。1917(大正6)年より名人の誉高い浦上 栄を師範に迎え、「日置流印西派」と呼ばれる流派のもと多くの稲門弓士が育っていった。
戦前から戦後にかけて、早大弓道部は学生弓道界を常にリードする存在であった。戦前の黄金時代と言われたころは、 1937(昭和12)年、38(昭和13)年、39(昭和14)年、40(昭和15)年と、日本学生選手権および都下学生選手権の両方において4年連続の優勝を成し遂げた。1961(昭和36)年には女子部も発足。全日本選手権女子部で1965(昭和40)年に初優勝し、1967(昭和42)年、68(昭和43)年、69(昭和44)年には3連覇を果たすまでに開花した。
ここ20年は東京都学生弓道連盟リーグ戦において男子は1部と2部を往来しながら戦ってきたが、2021(令和3)年には2部リーグで優勝、入替戦(対慶應大)でも勝利し、念願の1部復帰を果たしている。女子部も2013(平成25)年にリーグ戦1部で優勝するなど、存在感を示し続けている。
※2022年度発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より
大河内 博(理工学術院・教授)
男子:行方 利春
女子:石原 源一
男子:宮﨑 滉巳(社会科学部)
女子:藤井 千裕(スポーツ科学部)
男子:竹宇治 雄介(政治経済学部)
女子:古沢 紗希(文学部)
56名 (2023年12月現在)
東伏見スポーツホール B1F弓道場
4月 | 女子部記録会 | |
5月 | 都学連百射会 早慶明遠的大会 慶應義塾大学定期戦 |
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6月 | 全関東学生弓道選手権大会 全国大学弓道選抜大会 |
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7月 | ||
8月 | 全日本学生弓道選手権大会 | |
9月 | リーグ戦 | |
10月 | リーグ戦 | |
11月 | 全日本学生弓道王座決定戦 東西学生弓道選抜対抗試合 |
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12月 | ||
1月 | ||
2月 | ||
3月 | 新人戦 |
火~土(8:00~または17:30~、男女合同)
毎週日曜日は試合です。
自己負担分必要経費(部費、遠征費用、合宿など)
入部金:5000円
部費:毎月1000円
その他合宿等の費用(弓道用具は貸出します)
東伏見スポーツホール B1F弓道場内
村井五郎
1908(明治41)年卒。範士九段。明治、大正、昭和と激動する部の動向を見守り、その維持発展に大きく貢献した。1955(昭和30)年には東京都学生弓道連盟が加盟校10校をもって結成され、村井氏は初代会長に就任した。村上 久
1925(大正14)年卒。範士十段。藍綬褒章受賞。弓道教本である『心気の働きと技法』を執筆。戦後の弓道部復活や沖縄遠征時などに尽力した。稲垣源四郎
1936(昭和11)年卒。範士九段。浦上栄師範の指導を受け、日置流印西派の射の神髄を一生を通じて探求した。1952(昭和27)年から95(平成7)年まで長きにわたり監督、師範として早大弓道部を指導。ドイツなどヨーロッパ各地でも指導や普及に努めた。細井英彦
1953(昭和28)年卒。戦後に弓道部に入部した。1949(昭和24)年は武道禁止令におり弓道再開は認められておらず、「洋弓部」の名で練習していたが、そのことがアーチェリーを始めるきっかけになったという。アーチェリー部の創設に関わり、監督も務めた。※2022年11月時点
042-465-5455