創部1930年 / 体育各部1952年公認
大空を舞台に、部員全員がグライダーパイロットとして安全第一にフライトを行います。
部員全員が大学でグライダーを始めるという同じスタートラインから、自家用操縦士の国家資格を取得し、最終的には全国大会・早慶戦といった競技大会での優勝を目標に日々活動を行っています。とりわけ「空の早慶戦」は、昭和37年の第一回早慶戦に始まり、今日に至るまで学生航空界におけるパイオニアとして数々の名勝負を展開しています。
競技会は決められた周回コースのタイムで競われます。しかし、グライダーにはエンジンがなく、自然の上昇気流を掴んで高度を獲得しなければならないため、自らの操縦技量のみならず、自然の条件・自然を読む力が大きく影響する競技でもあります。
また、グライダーは一生続けることができるスポーツであり、当部からグライダー世界選手権日本代表選手・世界記録保持者を数多く輩出しています。
1930(昭和5)年に航空研究会として発足した。エンジンのない飛行機といえるグライダーを活動の主体にする現在とは異なり、当時は飛行機操縦部と技術部のみ。旧グライダー部が研究会内に設立されたのは、発足から4年後のことだった。1936(昭和11)年には第1回全日本学生選手権が開催され、第4回大会までに優勝や2人乗り初級機の搭乗飛行の成功、早稲田式と名がつくグライダーの製作など、常に日本のグライダー界をリードしてきた。大戦中も飛行訓練が続けられたが、終戦後は占領軍の指示により日本人の飛行が禁止され、あえなく活動停止。1952(昭和37)年の活動再開とともに、現在の名前で公認された。その後は櫻井玲子のような世界記録保持者、丸山毅のような世界選手権出場者など、世界の空で活躍する選手を輩出している。
日本では滑空機と呼ばれるグライダーは、航空法に規定された航空機であり、機長として飛行するためには免許が必要である。グライダー競技では、その滑空機を用いて大会で決められた旋回点をクリアし、最大39kmのコースを周回してタイムを競う。エンジンがないことから、遠くにある旋回点を早く回るには知識や経験をもとにした頭脳が必要になり、男女や文理の垣根がない。好奇心と向上力を原動力にすることで、全日本学生選手権では何度も日本一を飾っている。2014(平成26)年にも団体優勝を果たしたが、その後は準優勝が団体最高成績。田中 努、佐々木昇吾と個人優勝者を相次いで輩出しているだけに、再び学生王座に返り咲く日が待たれている。
※2022年度発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より
戸川 望(理工学術院・教授)
宗 裕雄
森 裕翔(法学部)
平川 陶子(政治経済学部)
53名 (2023年12月現在)
埼玉県熊谷市妻沼滑空場
千葉県野田市関宿滑空場
群馬県邑楽群板倉滑空場
4月 | 新歓・新入生体験搭乗会 |
5月 | 新人合宿 |
6月 | 部会 |
8月 | 長期合宿 |
9月 | 東京六大学対抗グライダー競技会 |
10月 | 全日本グライダー新人競技会 関東学生グライダー競技会 |
11月 | OB・OG・保護者搭乗会 |
12月 | 納会 |
2月 | 長期合宿 |
3月 | 全日本学生グライダー競技選手権大会 早慶対抗グライダー競技会 |
平日:座学、ミーティング、合宿準備
休日:月2回の土日合宿
長期休み中の長期合宿
部費1か月につき1万円
合宿1日につき約5千円(食事、宿泊代、フライト代込)
その他、交通費など
【合宿所】
財団法人 日本学生航空連盟 妻沼滑空場
36号館1階(戸山キャンパス記念会館・学生会館の間)
櫻井玲子
1985(昭和60)年卒。アフリカで動力滑空機・単座女子・自由距離の部門で世界記録を樹立。アンデスでも往復距離1189km(13時間13分)と三旋回点自由距離1287km(14時間54分)で世界記録を更新した。丸山 毅
1994(平成6)年卒。日本選手権でグライダー15mクラスを2連覇。世界選手権に5回出場する。※2022年11月時点