みなさん、こんにちは!早稲田大学図書館ボランティアスタッフLIVSの弦間です。
毎年好評の「わせとしょ探検隊!」が今年度もやってまいりました。今年も早稲田に眠る古今東西の貴重な資料から図書館の利用方法まで、幅広くご紹介していきます。
昨年までの記事はこちらから。
さて、9月も半ば過ぎ、夏休みはいかがでしたか。
長い休みを利用して海外を訪れた人も多いのではないかと思います。9月21日には9月入学式が行われ、留学生の仲間も入ってきますね。
ということで、今回のテーマは「海外旅行・留学」です!
現在では当たり前のように海外へ行くことができますが、かつてはどうだったのでしょう。そこで、100年前の学生生活を調べた第8回に続き、今回は100年前の海外旅行・留学生活を取り上げたいと思います。
本を調べてみる
早速ですが、タイトルに留学生を含む本を探してみましょう。
ところで、9月2日からWINEが新しくなりましたね!資料を探す時には画面上部の詳細検索がオススメです。
検索画面に移ったら、タイトル検索で「留学生」と入力し、資料種別を図書にします。対象とする年代も指定しましょう。今回は100年前の留学ということで、「1882〜1945年」に設定します。
検索してみると、22件!かなり絞り込むことができました。
一つ目に1923年出版の『貧乏留學生の日記』という本があります!
続いて、検索方法をタイトルから全てのフィールドに戻し、年代をさらに区切って検索します。『貧乏留學生の日記』が出版された大正時代(1912年〜1926年)に限定してみると…。結果は6件。二つ目に、1918年出版の『旅役者の手記』という本が出てきました!
この2冊を手掛かりに、100年前の海外旅行や留学生活を調べてみましょう。
本を探しに行ってみる
配架場所は2冊ともB1研究書庫。『貧乏留學生の日記』は[ル02]、『旅役者の手記』は[文庫06]にあるそうです。ところで、みなさんは[ル02]や[文庫06]が何を示しているかご存知でしょうか。どちらもこれまでの記事(第8回、第4回)に詳しく載っていますので、ぜひ読んでみてください。
さて、B1研究書庫[ル02]の書架で『貧乏留學生の日記』を探していると、何やら面白そうなタイトルが!1924年出版の『紙上世界漫畫漫遊』という本です。思いがけず、テーマに関連する本に出会うことができました。
『旅役者の手記』も無事に見つかったところで、いよいよ100年前にタイムスリップしましょう!
写真は、『貧乏留學生の日記』(左から5冊目)と『紙上世界漫畫漫遊』(同8冊目)が配架されていた書棚です。
実際に読んでみる
改めて、今回ご紹介する本はこちら。
左から、①中村萬吉『貧乏留學生の日記』(1923年)、②坪内士行『旅役者の手記』(1918年)、③岡本一平『紙上世界漫畫漫遊』(1924年)です。
ところで、3人の著者たちですが、顔ぶれがとても豪華なことにお気づきでしょうか。
①の中村萬吉は、後に「早稲田大学法科の三元老」とも称された、早稲田大学法学部教授です。『貧乏留學生の日記』は、30歳を過ぎてからイエール大学やベルン大学に留学した時の様子を記した1冊です。
②の坪内士行は、かの有名な坪内逍遥の甥であり、自身も演劇評論家で早稲田大学第一文学部教授になった方です。早稲田ウィークリーに詳しく載っていますので、気になる方はぜひ!『旅役者の手記』は、ハーバード大学への留学をはじめ、俳優修業として世界で体験したことを元に創作した短編小説集です。
③の岡本一平は、大正から昭和初期にかけて活躍した漫画家で、画家・岡本太郎の父としても知られています。『紙上世界漫畫漫遊』は、世界一周をした際に朝日新聞に連載した画信をまとめた本です。
旅の始まりと新たな世界
※以下、本文引用部分はすべて新仮名遣いに改めてあります。
まず、旅の始まりですが、当時の交通手段はもちろん船。
中村は、1915年4月7日に日本船で横浜を出発し、17日後にアメリカのシアトルに上陸していますが、
「先ず渡米というと手続の煩雑なのにウンザリする」(① p.5)
と書いています。自身を貧書生と称す中村の持ち物は、着ている背広一着の他は柳行李と手提げが一個ずつで、行李の中身は
「サルマタが三ダース、木綿着物三枚、手巾十本というのが中心的価値」(① p.6)
だったそうです。
柳行李とはコリヤナギの枝の皮を編んで作った箱形の物入れのことで、当時は旅行用の荷物入れとして用いられていました。語句の意味を知りたい時には、大学契約のデータベース・ジャパンナレッジLibを利用するのもオススメですよ!
長い旅を終えて上陸すると、現地での生活が始まります。ニューヨークを訪れて地下鉄を利用した中村は、沿線や車内にある電燈の贅沢さに感心しています。そして、
「列車はトンネルの中をグワラグワラと走る。百雷一時に落ちたらんように感ずる」(① p.73)
とした後、トンネルについて衛生面など科学的な視点から感想を述べています。
留学生活の様子
続いて留学生活についてみていきましょう。
中村はアメリカの大学生について、
「所謂善遊美学の徒で、無邪気を以て終始している」(① p.129)
と評し、勉強と遊びのバランスを取るのが上手いと綴っています。自身が留学したイエール大学には立派な寄宿舎が多かったそうで、その昔ニューヨークなどから遊学する人がいたためだといいます。イエール大学とニューヨークの距離は約120km。東京から栃木の日光までの距離と同じくらいです。中村が在学中の大正5年には、
「日本の学生十人、文部省留学生も二三人居る、医一人、天文二名、農政二人、法律は小生一人」(① p.135)
で、他に神学の人もいたそうです。
また、歴史科には早稲田大学出身の朝河貫一教授がいて、宗教史を教えていると書いてあります。当時から国内外で早稲田の卒業生が活躍していたことがわかりますね。
一方で、ハーバード大学を経たのち、1911年秋にイギリスへ渡った坪内は、自身をモデルにしたと思われる物語において、オックスフォード大学に入学した主人公(大木)と現地の学生について次のように描いています。
「英国の貴族や富豪の若者共が、或いは草匂う芝生の上のテニス・コートに、或いは柳の枝垂れる河の上のボートに此の世楽しげに腕を競う有様を見れば、あだかも昔の平氏盛りの折の太平に戯れた公達の姿を現代式に描き改めたかのようにも思われて、自分も其の仲間の一人かと考える時に彼の胸は波打った」(② p.56)
憧れの名門大学に入学して、多くの学生たちと同じように振る舞い、交際する大木。そんな彼について、坪内は次のように続けます。
「人間は最幸福の時にも魔に誘われるものである」(② p.63)
異国の地で経験したことのない楽しみを味わいつつも、そこには常に深い煩悶苦悩が。
「一部の社会から望みを属されている自分の責任の重いのを知らぬ彼ではない。怜悧な彼、秀才として他人に見込まれる程の彼が一生を傷つけて、世の中の屑となり終るはずはあるべきではない」(② p.63)
初めてのことに多く接し急速に変わっていく自分と、これまでに出会った人や社会からの期待の狭間で揺れ動く青年の心境がうかがえる場面です。
さて、今回のわせとしょ探検はここまでです。
しかし!実はまだ岡本一平による『紙上世界漫畫漫遊』を見ていませんね…。ということで、なんと、今回の探検は後編へと続きます。
近日中に公開しますので、次回もどうぞお楽しみに!
今回の発掘成果
- 中村萬吉『貧乏留學生の日記』日東出版社 1923年
- 坪内士行『旅役者の手記』新潮社 1919年
- 岡本一平『紙上世界漫畫漫遊』実業之日本社 1924年
バックナンバー
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- 第10回 改元をどう迎えた?昭和最後の日を覗いてみよう。
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