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【わせとしょ探検隊!】第10回 改元をどう迎えた?昭和最後の日を覗いてみよう。

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こんにちは。
早稲田大学図書館ボランティアスタッフLIVSの大﨑です。

平成も残りわずかとなりました。
至るところで、「平成最後の○○」というフレーズを耳にするようになり、だんだんと実感がわいてきています。

平成最後の日は何をして過ごすか決めていますか?
GW(しかも10連休)だから出かけるよ、という人も多いかもしれません。
ちなみに私は、平成の想い出を振り返りながら時計を見つめる予定です。

今から30年前、昭和は平成に改元されました。
その時、日本にいた人々は一体何をしていたのでしょうか?

今回は、当時の新聞記事を中心にその様子を探っていきたいと思います。

「昭和の最後の時間」は、何時間?

平成31年に天皇が譲位されることに伴い改元が行われることは、数年前から公表され、準備が進められてきました。だからこそ、「平成最後の時間」を意識しながら過ごせているのですね。

しかし、ご存じのとおり、昭和から平成に改元された時は今年の改元とは事情が違っています。では、昭和が終わることが知らされ、平成に改元されるまでの「昭和最後の時間」はどれくらいあったのでしょうか。

恥ずかしながら、私には昭和天皇が崩御されて、官房長官から新元号が発表されて…くらいの知識しかありません。新元号を迎えるにあたり人々がどのように過ごしていたのかを知るために、まずこの時間をきちんと調べる必要があります。

平成という年号が制定された経緯を調べたいので、事典などが良さそう。蔵書検索WINEを使い、キーワード検索で「年号 and 事典」と入力してみます。
すると、『日本年号史大事典』という本が出てきました。年号について詳しく載っていそうな感じです。


この事典の配架場所は、中央2F参考図書コーナー。中央図書館のゲートを入り、正面に見える大階段右手側の自動ドアの先にあります。探してみると、ありました。


内容は日本で使用されたこれまでの年号について詳細にまとめてあり、「平成」の改元経緯に関する記述も見つかりました。
簡単にまとめてみます。

  • 1989年(昭和64)1月7日午前6時33分 昭和天皇が崩御される。
  • 有識者会議→国会の承認→閣僚の賛同を経て新元号が決定
  • 14時30分 官房長官が新元号「平成」を発表
    新元号を「翌一月八日午前零時から施行」することを発表

どうやら、1989年1月7日の8時ごろ(天皇崩御が公表されたのは午前7時55分*)から、1月8日の午前零時までの約16時間が、「昭和最後の時間」にあたるようです。その時間を人々は、どのように過ごしていたのでしょうか。
* 講談社 編『昭和 二万日の全記録 第19巻』(講談社 平成3年)より補足

当時のリアルタイムな様子を知りたいので、新聞記事を探してみることにします。
新聞といえば、過去の新聞記事の縮刷版を読むことができる、中央図書館3Fにあるバックナンバー書庫が利用できそうです。むやみに記事を探すとなると大変そうですが、今回は「昭和最後の日」1989年の1月7日から、「平成が始まった日」1月8日までという期間がわかっています。
では、さっそく行ってみましょう。

3階に着きました。バックナンバー書庫へは、手前にあるロッカーで荷物を預け、受付で学生証を提示してバッジを受け取ります。


この写真の撮影日は2019年2月25日 ちょうどバックナンバー書庫の入り口のある3階が改修工事中でした。そのため、少し受付も薄暗く、むき出しの蛍光灯やケーブルが見えます…

新聞の縮刷版は、バックナンバー書庫3Fの入口からすぐ右手の書架にあります。
今回は『読売新聞』、『朝日新聞』、『毎日新聞』の三紙から、気になる記事を詳しくみていこうと思います。閲覧スペースがあるので、ちょっと重い縮刷版も机に広げてゆったり読むことができます。

昭和天皇の崩御を悼む

まず、『読売新聞』でこのような記事が目に留まりました。

皇居前広場に、深夜まで玉砂利を踏みしめる音が響いた。昭和天皇のめい福を祈る人、人--。八日午前零時には約五百人がやみの中にたたずみ、「昭和」から「平成」へと移る時代の変わり目を、静かな感慨とともに迎えた。(中略)弔問の記帳は、この日午後八時過ぎに終わったが、その後も皇居前広場には、「昭和のうちに記帳したい」という人が途切れることなく続いた。

「昭和」最後の夜 弔問の列途切れず
『読売新聞』縮刷版1989年1月8日 東京 朝刊14版 27頁

昭和天皇が崩御されたことを聞き、皇居の前には弔問のために多くの方が訪れたという内容です。「昭和」が「平成」に代わる午前零時、その瞬間を500程の人が皇居前広場で迎えていたようです。なかには、知らせを聞いて北海道から飛行機で駆けつけた人や、神奈川から車で乗りつけた人もいたことが書かれています。

ほかにも全国で昭和天皇に哀悼の意が捧げられたという記事が何件かみられました。昭和天皇が亡くなられたことが、最も昭和という時代の終わりを実感させるものだったのかもしれません。

では、昭和時代の最後の日として、書籍でこの日はどのように記録されているのか、少し掘り下げてみたいと思います。一旦新聞記事から離れ、図書資料を探します。
WINEのタイトル検索で「昭和」と検索してみます。
……3,893件も出てきてしまいましたが、奇跡的に上の方に『昭和:二万日の全記録』という本が目に入りました。二万日の全記録というくらいなので、1日ごとの出来事が詳しく載っていそうです。

何冊も分かれていますが、「昭和最後の日」について知りたいので最も発行年が新しい19巻を探していきます。


請求番号は「中央 B1研究書庫 リ5 15111 19 」。地下1階の研究書庫です。
バックナンバー書庫からは少し遠いですが、がんばって向かいます。

地下書庫に到着! 奥に進んでいきます。『昭和:二万日の全記録』…ありました。


読んでみると、昭和64年1月7日のことは「「昭和」が終わった日」として、写真とともに、天皇が亡くなられた経緯や新元号の公表、街の人の反応などが載せられています。

特に、有楽町の「マリオン」前に貼られた「天皇崩御」の号外の前を通り多くの人の写真(お見せできなくてすみません)が、印象的でした。昭和天皇の体調がすぐれないことは前年から度々報じられ、日本全体が”自粛ムード”のなかで新年が迎えられたそうです。そのなかで、この号外を見た人はどんな思いだったのでしょうか…。

昭和の記念を残したい

少し、地下書庫に寄り道しましたが、バックナンバー書庫に戻りましょう。また新聞記事を探していくと、『毎日新聞』の記事に、気になるトピックがありました。

午後五時、東京・丸の内の東京中央郵便局。正面入り口には「64・1・7」の郵便日付印を押してもらおうと、約四百人の人垣が出来た。(中略)
窓口が開く午前九時には、マニアら約二十人が列をつくった。その後、サラリーマンや主婦らが続々。あわてた局側は十二人の職員を動員。特設コーナーをつくり、午後六時四十分まで延長し、汗だくで列をさばいた。並んだ人はこの日だけで約二千九百人。

「列島「昭和」最後の日 日付印求め2900人 声出さずグラス合わせ」
『毎日新聞』1989年1月8日 東京朝刊 14版 27頁

「昭和64年1月7日」の印を記念に残すため、郵便局に行列ができたという記事。(東京中央郵便局は、皇居から一番近い郵便局です。)土曜日だったため当初は郵便局員さんも少なく、集まる人の対応のために動員されたようです。
朝から並んでいる人が全員「マニア」だったかは怪しいですが、段々と人が増えていき、最終的には2,900人程度が並んだというのには驚きました。ただ、昭和が今日で終わることを知り、何かしらの記念を残したかったという気持ちも分かる気はします。

『朝日新聞』でも、上記の出来事に加え、

全国でただひとつ、元号の「昭和」を局名に持っている名古屋市昭和区の昭和郵便局でも、朝から行列。中には、大阪や東京から来た人もいたという。

「消える「昭和」惜しみ あかし刻む人たちも」
『朝日新聞』1989年 1月8日 14版(平成元年)朝刊 30頁  東京)

といった記事を取り上げていました。

日付だけではなく、もっと昭和感のあるものを求めて足を運ぶ人がいたようです。「平成」という郵便局があれば、今年も同じことができるかもしれません。

せっかくなので、日本郵政グループのホームページから郵便局を探してみましたが、「平成郵便局」という局名は存在しないようです。ただし、「熊本平成郵便局」はあるようなので、もしかしたら今年の改元の日に足を運ぶ人がいるかも…?

新元号「平成」をもとめて

先ほどの『朝日新聞』の記事に、このような内容がありました。

東京では、新元号「平成」を公布する官報号外が大変な売れ行き。
(中略)同販売所には午後三時ごろから「いつから買えるか」という電話が相次ぎ、販売が始まる午後七時前には三、四十人が集まった。

「消える「昭和」惜しみ あかし刻む人たちも」
『朝日新聞』1989年 1月8日 朝刊 14版 30頁  東京)

新元号に伴い、官報は号外が出されたようです。『官報』は国の機関が定めた法令を公布・広告するために国が発行する機関紙で、行政機関の休日を除き毎日発行されています*。
*いしかわまりこ・藤井康子・村井のり子『リーガル・リサーチ [第5版]』(日本評論支社 2016年)69頁より

郵便などで「昭和の記録」を残したい人もいれば、新しい元号が公表された証を求める人もいたわけです。なかには、どっちも手に入れた人もいるかもしれませんが。

さて、ではこの時の官報、見てみたいと思いませんか?
WINEのタイトル検索で「官報」と調べてみると…ありました


発行年によって閲覧できる媒体や場所が違うようですが、今回閲覧したい1989年のものは「官報情報検索サービス」というデータベースで全文を見ることができそうです!
受付場所は、中央図書館3Fの雑誌カウンターとなっています。先ほどバックナンバー書庫に入るために受付をしたところですね。さっそく聞いてみましょう。

……なんと、2019年3月12日現在(春季休業期間中)は中央図書館3Fの改修工事があるため、「官報情報検索サービス」の利用ができなくなっているそうです、ええ…

しかし、ここであきらめてはいけません。もう一度、先ほどのWINEの検索結果をみてみましょう。1913年から2011年分は「マイクロフィルム(M00846)でも所蔵」と書いてあります!
改めて、雑誌カウンターで「マイクロフィルムの『官報』を利用したい」旨を告げます。…今度は利用できました!

申請書を書いたり学生書を預けたりして、閲覧の準備をしましょう。
フィルムの扱い方が分からない時は、教えてもらえるので安心です。(筆者も教えてもらいました)いざ…!


実際のフィルムの画像はお見せできませんが、

「元号を改める政令をここに公布する」という政令

「定められた元号の読み方は、次の通りである 平成へいせい」という告示

の文言を確認できます。時の内閣総理大臣である竹下登の名前も記されていて、歴史の一場面としてとても貴重な記録をみることができました。

政令の文言に関しては、政府の情報が検索できる電子政府の総合窓口e-Govの「法令名検索」からも確認ができました。

元号を改める政令(昭和六十四年政令第一号)

とはいえ、やっぱり「元号を改める政令」を国民に公布した『官報』号外そのものを見てみたい!という方は、マイクロ資料のほか、2019年4月以降は「官報情報検索サービス」も再び利用できるようになっていますので、ぜひそちらも試してみてください。

さて、今回のわせとしょ探検はここまでです。

昭和最後の時間がどんな風に過ごされたか、少し垣間見ることができる探検でした。特に改元の記念に何か残しておきたいという気持ちは、今も変わらないなと感じました。当時の新聞の紙面からは人の行動だけでなく、社会の息づかいが感じられて、とても貴重で面白い体験になりました。この記事を読んで、紹介した資料や施設を活用してみたい、と思ってもらえたら嬉しいです!

次回のわせとしょ探検もお楽しみに!

今回の発掘成果

  • 所功 編著『日本年号史大事典』(雄山閣 2014)P.630-631
  • 講談社 編『昭和 二万日の全記録 第19巻』(講談社 平成3年)
  • 「昭和」最後の夜 弔問の列途切れず」(『読売新聞』縮刷版1989年1月8日 東京 朝刊14版)27頁
  • 「列島「昭和」最後の日 日付印求め2900人 声出さずグラス合わせ」(『毎日新聞』1989年1月8日 東京朝刊 14版) 27頁
  • 「消える「昭和」惜しみ あかし刻む人たちも」(『朝日新聞』1989年 1月8日 14版(平成元年)朝刊 東京)30頁
  • 官報』(太政官文書局 1989年)マイクロフィルム資料

参考

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* この記事の図書館書庫内の画像、資料の写真、データベースの画像は、早稲田大学図書館・各データベース提供元の許可を得て撮影・掲載したものです。図書館内あるいは 図書館資料・データベースを許可なく撮影すること、インターネット掲載は厳禁です。またこれらの画像の無断転用を禁止します。

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