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【わせとしょ探検隊!】第9回 大隈重信と自動車

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皆さん、こんにちは。早稲田大学図書館ボランティアスタッフLIVSの松本です。
平成最後の2月ももうすぐ終わりますが、まだまだ寒い日が続いていますので体調には十分気を付けてくださいね。
さて、前置きはこれぐらいにしておいて本題に入りましょう。今回の「わせとしょ探検隊!」ではこの人物を取り上げたいと思います。

早大生の皆さんなら当然ご存知だと思いますが、早稲田大学創設者の大隈重信です。今回の主人公はこの大隈重信ですが、彼に関する先行研究は数多存在しますので、これだけではあまり面白みがありませんね!
そこで、もう一人?の主人公となるのがこちらです。

大隈家所有自動車写真(イ14 D0531)

こちらも皆さんよくご存じだと思いますし、普段から利用されている人も多いと思います。もうお分かりですよね?今回のもう一人?の主人公は「自動車」です。
今回の「わせとしょ探検隊!」では「大隈重信と自動車」について紹介していきたいと思います。大隈重信と自動車と言われてもピンと来ないよと言う方がほとんどだと思いますが、大隈は日本における自動車文化を振り返る際に、その創成期の代表的な自動車愛好家として登場してくる人物ですので、世界有数の自動車大国である日本に暮らし、そして大隈が創設した早稲田大学の一員でもある皆さんにはぜひ知っておいてもらいたいと思いますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。

はじめに

冒頭から小難しい話をしても読む気が無くなってしまうと思いますので、まずは今回「大隈重信と自動車」というテーマを選ぶきっかけについて簡単にお話をしたいと思います。
私自身が元々クルマ好きであるということ、そして自動車産業が日本の基幹産業であることなどから大学では自動車産業を研究テーマとして取り組んできました。細かいことは割愛しますが、早稲田大学名誉教授の小林英夫先生が2015年に『アジア太平洋討究』25号で発表した「日本で自動車はどう乗られたのか」という論文にたまたまであったのが、今回のテーマを選んだきっかけです。さっそくこの論文を読むための方法を紹介していきましょう。
まずは、「わせとしょ探検隊」ではおなじみ早稲田大学図書館の検索システムWINEを使って、この論文が掲載されている『アジア太平洋討究』を検索してみましょう。

検索の結果、複数の図書館(図書室)に所蔵されており、中央図書館には1号から最新号である35号まで全て所蔵されていることが分かります。そして、探している25号は「中央3F雑誌(バックナンバー書庫)」「サヲ 0716 008 = no.24-25(2015)」とありますので、バックナンバー書庫に配架されていることも分かりました。配架場所が分かりましたので、さっそく向かいたいところではありますが、もう一度検索結果を詳しくみてみましょう。すると、出版者が早稲田大学アジア太平洋研究センターと書かれています。実は、この雑誌は早稲田大学に関係する機関誌で、早稲田大学リポジトリに電子版が公開されています。今回は、こちらを利用してみましょう。

早稲田大学リポジトリとは、早稲田大学内で生産されたデジタル学術情報を保存し学内外に発信しているデータベースで、学術雑誌掲載論文、学位論文、ワーキングペーパー、会議録、紀要論文などのデジタル学術情報を収載しています。
検索バーに題目「日本で自動車はどう乗られたのか」と入力してみると、ピンポイントでこの論文がヒットします。以下のように書誌情報が掲載されていて、PDFファイルでこの論文を閲覧することも出来ます。

皆さんもぜひ実際に画像をクリックして、読んでみてください。この論文は、自動車史を社会経済文化史の視点から捉えようとしたものとなっています。この論文を糸口に、大隈重信と自動車に関してももう少し詳しく調査してみることにします。
ちなみに『アジア太平洋討究』はバックナンバー書庫にもこのように所蔵されています。図書館で冊子体のものでも、家にいながら電子媒体でも、どちらも活用できるようになっています。

日本で最初の自動車はいつ登場したのか調査する

そもそも、日本で最初の自動車はいつ登場したのでしょうか。自動車が走り始めた、大隈が生きた時代でもある明治の自動車史を調査します。
自動車史を振り返る時にも、我らが早稲田大学図書館が役立ちます。蔵書数約580万冊を誇る早稲田大学図書館には、今年で終わる平成の資料はもちろん、明治、大正、昭和の資料も数多く所蔵されています。では、改めて検索システムWINEを使って、活用できそうな資料を探しましょう。

手始めに「自動車」というキーワードで検索をしてみます。すると、4,696件(2019年1月末時点)もの資料が該当してしまいました。これでは多すぎますので、もう少し絞って「自動車史」でキーワード検索をしてみましょう。その結果は、以下のように414件とだいぶ絞られました。

自動車史を遡る場合、より新しい資料ももちろんありますが、それらの中には古い資料を参照したものも多いため、今回はなるべく出版年が古い資料を選んでみます。ここで検索のコツをお伝えしましょう。デフォルトの検索結果を年代順に並べ替えるには、検索結果画面の上の方にある、dateというリンクをクリックすると、出版年が新しい順に検索結果が整理されます。特に古いものを見たいので、ここでは一番最後のページを見てみます。この中で、自動車史に関連しそうなタイトルかつもっとも出版年が古い資料として、尾崎正久(1942)『日本自動車史』自研社が見つかりました。

WINEによると、配架場所は中央 B1研究書庫(ム2 4938)という事なので、実際に行ってみましょう。新しくなったゲートを通り、同じくリニューアルされたばかりの2Fを横目に地下への階段を下りていきます。研究書庫に入るにはロッカーに荷物を預けなければならないので忘れずに預けて、B1に向かいます。館内の地図を頼りに配架場所へ向かうとこのように電動書架となっています。

他に利用者が居ないないか確認して電動書架を操作すると、このように古い資料がたくさん収められています。

お目当ての資料を見つけたら、ついでに周りを見渡してみましょう。図書館の棚は資料の内容で分類されていますので、周辺には同じジャンルの資料が配架されていますので、さらに参考になりそうな資料に出会うことが出来ます。『日本自動車史』のすぐ近くに、ほぼ同時代の柳田諒三(1944)『自動車三十年史』を見つけることができましたので、これも参照してみます。
これで、資料が揃いましたのでまとめていくとしましょう。

では、日本最初の自動車はいつ登場したのでしょうか?これについては様々な議論があるようです。

最初に紹介した小林(2015)では、

  • 明治31年(1898年)にフランス人によって持ち込まれたバナール・ルヴァソールである

とありますが、先ほど見つけた尾崎(1942)では、

  • 明治32年(1899年)10月に持ち込まれたアメリカプログレス製の電気式三輪車である

とあり、様々な説があることが分かりました。
最後に見つけた柳田(1944)にあるように、

  • 明治33年(1900年)に当時皇太子であった大正天皇ご成婚の際にサンフランシスコ在留日本人会が献納した四輪電気自動車が初めてである

という説も広く知られているようです。

とは言え、当時の日本には自動車を運転できる者はおらず、鐡道院から優秀な汽車の機関士を選び運転手とし、自動車の輸送・納入を担った高田商會の者が補佐役としていましたが、運転を誤り紀国坂でお堀に転落してしまったそうです(尾崎(1942)p.31) 。自動車自体が少なく教習所など無いこの時代においては運転を誤って事故を起こすというのは決して珍しいことではありませんでした。

このようにして、慣れない自動車に戸惑いつつも日本に自動車が走り始めることになったのでした。

大隈重信と自動車について資料を調査する

以上のように、図書館の資料で自動車史を振り返ることが出来ました。次は、本題である「大隈重信と自動車」についてみていきましょう。大隈と自動車の関係性を知る事が出来る資料は無いかと調べたところ、愛知県にあるトヨタ博物館が発行する『トヨタ博物館だより』に興味深い記事を見つけました。それが、2004年3月号(No.59)2004年6月号(No.60)の2号にわたって掲載された、西川稔による「名士と自動車 大隈重信侯と自動車」という特集です。皆さんもリンクから閲覧することが出来ますので、アクセスしてぜひ読んでみてください。

この記事を取っ掛かりに、ここで用いられている資料の原典を早稲田大学図書館で探して、さらに調査を掘り下げていきましょう。
西川氏の記事を読んでいくと、『グラヒック』という雑誌を中心に記述がなされていることが分かりました。しかも、参照されているのは「明治44年(1911年)3月20日号「グラヒック 自動車号」」とあり、今から100年以上も前の明治時代の資料のようですが、原典に当たることはできるでしょうか…?

ということで、さっそくWINEで検索してみましょう。今回はタイトルが決まっているので、「グラヒック」でタイトル検索をします。検索の結果、いくつか『グラヒック』がヒットしましたが、

欠号はあるものの、西川氏の記事で参照されている1911年発行の号が含まれていそうなものを見つけました。こんなに古い資料も保存しているとは、さすが早稲田大学図書館ですね。配架場所ですが、中央 B2大型本コーナーとなっています。膨大な数の資料が研究書庫に配架されていますが、なかなかお目にかかる機会が無いのがこのB2大型本コーナーです。せっかくですので、実際に行ってみることとしましょう。

B2研究書庫を奥に進んでいくと、この大型本コーナーがあります。同じB2には大型本書庫というのもあるので、間違えないように注意してくださいね。実際に行ってみると、大型本コーナーというだけあって、書架からはみ出すような資料までたくさんの大型の資料が所蔵されています。

 そのうちの一冊がこの『グラヒック』です。棚に並んでいる姿を写真でご覧いただくだけではその大きさは伝わりづらいと思いますが、実際に持ってみると製本されていて、雑誌というよりは新聞に近い大きさです。

※明治時代の資料ですので、資料自体が脆くなっています。利用する際には丁寧な取り扱いをお願いします。

この『グラヒック』を読んでみると、西川氏の記事で参照されている1911年3月発行の号(第三巻第六号)以外にも、自動車に関する記述がたくさんあることが分かります。ここでは全て紹介できませんが、皆さんも研究書庫の探検もかねて、ぜひ読んでみてください。これで『グラヒック』が揃いましたが、冒頭で紹介した小林(2015)の論文で参照されている、成瀬恭(1970)『大隈侯八十五年史(全三巻)第三巻』も研究書庫に所蔵されていたので、ついでに自動車関連の分類番号である537(自動車工学)の書架をブラウジングして見つけた、佐々木烈(2012)『日本自動車史写真・史料集』を利用してみることとしましょう。これでおおよそ書籍の資料は揃いました。

大隈重信と自動車について、当時の新聞がどう報道していたか調査する

これらだけでもある程度まとめることは出来ますが、今回は大隈が自動車を当時どのように使用していたのか、そのことがどのように社会に知られていたのか、当時の社会事情や反応なども知りたいですよね?そんな調査には新聞です。毎日発行される新聞は、その当時の社会情勢を知るにはもってこいの資料です。

さて、こんな時に役立つのが毎度おなじみの早稲田大学図書館の学術情報検索です。早稲田大学では各種データベースを契約していますので、様々な媒体の情報を探して、利用することができます。ちなみに、日本経済新聞や日経BP、東洋経済、ダイヤモンドなど、就活に役立つ新聞や雑誌が利用できるデータベースも取り揃えていますので、就活生も必見です!

今回は新聞記事を検索したいので、「聞蔵Ⅱビジュアル」、「ヨミダス歴史館」というデータベースを利用してみました。前者では1879年以降の朝日新聞、後者では1874年以降の読売新聞記事が検索・閲覧できます。もちろん、毎日新聞や日本経済新聞のデータベースもありますし、中日新聞や東京新聞といった地方紙のデータベースも契約されていますので、そちらも活用してみてくださいね。

いずれのデータベースも「大隈」と「自動車」をキーワードに検索し、数はそこまで多くは無いものの、複数の記事を発見する事が出来ました。今回は、その中から興味深い以下の9つの記事を利用しました。

  • 朝日新聞社「聞蔵Ⅱビジュアル」
    1906年12月9日「大隈伯と自動車」
    1911年5月26日「睨まるる自動車」
    1913年5月20日「大隈伯に投石」
    1922年1月8日「初ものの自動車を得意に乗廻して」
  • 読売新聞社「ヨミダス歴史館」
    1906年12月8日「大隈重信伯が自動車に試乗 40人乗りの乗合自動車、横浜到着へ」
    1907年1月7日「〔隣の噂〕大隈伯の購入した自動車は1万円以上とも7,000円以上とも」
    1915年5月7日「首相の自動車 自転車と衝突し主は無事、車は小破」
    1916年8月10日「首相の自動車 牛込払方町で衝突」
    1975年10月3日「〔クルマじん⑳〕ウマなし馬車(八)“カーキチ”の先駆者登場」

気になる方は、ぜひデータベースを活用して検索して内容を見てみてください!

「大隈重信と自動車」まとめ

さて、これで一通り資料が揃いましたので、それらをもとに「大隈重信と自動車」についてまとめていく事としましょう。少し長くなってきましたが、ここからがメインディッシュですのでもう少々お付き合いの程お願いします。

自動車愛好家 大隈重信

まず気になるのが、大隈が初めて自動車を購入したのはいつだったのかということですよね。文献によってその時期がずれていますが、1906年12月9日の朝日新聞「大隈伯と自動車」や、西川(2014)「名士と自動車 大隈重信侯と自動車」 を照らし合わせると、明治39年(1906年)12月であると推測が出来ます。

その際に購入した自動車はフランス製のオチキス(ホチキス)という中古車でした。その自動車を動かすために雇われていた林平太郎氏によると、

自動車と云うのも名許(なばか)りで、好い加減に使い切つた古車でタイヤにも泥が詰つて居て一度外出すると屹度(きっと)一度は動かなくなる、パンクをするやらエンヂンに故障が起る、それでも侯爵は必ず外出には自動車に乗る、仕方がないから最後には外出毎に幌の人力車を後からつけて行つたものです。(「初ものの自動車を得意に乗廻して」『朝日新聞』1922年1月8日)

と語っておりその程度の悪さはかなりのものであったと想像が出来ますが、それでも大隈は自動車を手放すことはなく愛用していたようです。

同じく林氏は、

タイヤが破れるとアメリカへ注文せねばならぬし之が来るまで六箇月間もかゝる、その間でも侯爵は自動車でなければ承知なさらぬ、已(や)むを得ず破れたタイヤに藁を詰めて走つたものでずいぶん泣かされました(「初ものの自動車を得意に乗廻して」『朝日新聞』1922年1月8日)

と語っています。この事が物語るように大隈は自動車の持つ便利さに惚れ込み、大層自動車を気に入っていたようです。

そのことはその他の文献からも読み取る事ができ、大隈重信は『グラヒック』において以下のように語っています。

今や歐米諸國は自働車の時代だ。啻(ただ)に紳士の乗用とするばかりではない。啻に荷物運搬の用に供するばかりではない。之を各種の事業に應用(おうよう)せんとして、種々の試験をしている。或は之を農耕に應用せんとしているものである。乗用としては固より今日の處では之れに上越すものはない、其の乗心地の善い事と言つたらない、一度之れに乗ると、復た他の乗物には乗りたくない。更に其の時間の節約に至つては、流石に文明の利器で、何人も金さへあれば、之を利用すべきであるが、惜しい事には其價(そのあたひ)が不廉なので、貧乏の日本では尚ほ未だ大に利用せらるゝに至らない、何事も去來(いざ)となると金の問題であるが、之が爲めに何時も日本が西洋諸國に後れを取ると云ふのは誠に残念の至りだ。(『グラヒック』第3巻第6号(1911年3月1日)p.5)

と語っており、自動車の便利さを認めるとともに日本の発展への想いも読み取る事が出来ます。

日本の自動車界発展にも尽力した大隈

このように熱心な自動車愛好家であった大隈ですが、尾崎(1942)によると、ただ自動車を愛用しただけではなく日本自動車俱樂部(明治43年組織)の会長としても活動していました。この俱楽部は自動車を愛用する一部の人間が集うオーナーズクラブのような社交的機関という側面だけではなく、まだ自動車が数百台しか走っていない日本における道路の改正や運転手の養成、自動車に関するあらゆる権利や便宜を享有することを目的として大倉喜七らによって組織されました。現在のように税制や法制が整っていない時代でしたので、自動車保有者の多くがメンバーとなっていたこの俱楽部が税制やその算定方法などの検討にも参画していたそうで、現在の日本自動車工業会のような立ち位置でもあったと言えます。

以上を踏まえると、大隈は自動車を愛用し日本の自動車発展にも貢献していたという事が分かりますが、なぜここまで自動車を愛好したのでしょうか?今回複数の文献を当たりましたが、その明確な理由は分かりませんでした。大隈は明治22年(1889年)10月に外国人判事導入問題で玄洋社の来島恒喜から爆弾を投げられたことにより、右脚を切断するに至りましたが、小林(2015)はこのような身体的な不自由さから大隈は自動車を愛好したのではないかと推測しています。

大隈と自動車の「アクシデント」

大隈が常に自動車を愛用していたのは先述しましたが、当然アクシデントも発生しておりました。

  • 1913年5月には大隈が乗車する自動車へ投石がされる事件が発生していますし(「大隈伯に投石」『朝日新聞』1913年5月20日)
  • 1915年5月には御前会議から早稲田の私邸に帰宅する途中に自転車や洋服店と衝突する事故が発生しています(「首相の自動車 自転車と衝突し主は無事、車は小破」『読売新聞』1915年5月7日)

後者の事故は早稲田大学の近くである早稲田鶴巻町で発生し、大隈に被害はありませんでしたが、偶然居合わせた洋服店に居合わせた早大生が擦過傷を負ったそうです。先述していますが、当時は自動車の運転技術が未熟であっただけでなく、道路も現在のように整備されてはおらず事故は珍しいものではありませんでした。そのため、騒音なども加わり危険な邪魔者であるというとの声も少なくありませんでした。

オンボロのオチキスを購入した大隈でしたが、後に故障の少ないキャデラックを購入したそうです(成瀬(1970)p.439)。残念ながら、購入時期等の詳細を記した資料は見つける事が出来ませんでしたが、数年経った時点でも自動車が珍しい存在であったのは間違いありません。

その後も自動車を愛用し続けた大隈ですが、大正11年(1922年)1月10日に亡くなり17日に葬儀が行われた際、佐々木(2012)によると、当時ではまだ多くは無い霊柩車が使用されたとのことで、最後まで自動車と共にあった大隈重信でありました。

大隈の愛車を実際に見てみる

最後に、冒頭にも掲載している写真について紹介しておきましょう。
WINEで「大隈 and 自動車」とキーワード検索をしてみると、『大隈家所有自動車写真』という資料が2件出てきます(1件目 / 2件目)。その書誌情報をみると、どちらも4F貴重書庫の配架となっていますね。4F貴重書庫はこちらのページに説明されている通り、国宝・重要文化財をはじめとした、江戸時代及びそれ以前の和漢の版本、写本、古文書、また、近代の書写資料、博物資料、さらには1800年以前に刊行された洋書などの貴重な資料が所蔵されています。資料保護のため、基本的にはそれらの原本は利用することは出来ませんが、古典籍総合データベースにてデジタル版を閲覧する事が出来ます。

WINEの書誌情報画面で「画像情報」をクリックしてみると、以下のように画像が出てきます。

『大隈家所有自動車写真』(イ14 D0530)

終わりに

ここまで大隈重信と自動車について簡単に見てきましたが、いかがでしたか?自動車がまだ珍しく社会の冷たい目もある時代において、これから「瀑發(ばくはつ)瓦斯(がす)の時代」が来ると先見の明を持ち自動車を愛用し、そして発展に貢献した大隈は、まさに『進取の精神』を有していたと言って良いのではないでしょうか。皆さんも、色々なものに目を向けて何事にも捉われずに進んで新たな事に挑戦してみてください。その際には、ぜひ知の宝庫である図書館を活用してみてください。

今回利用したWINEや学術情報検索などは、皆さんの普段の授業はもちろんの事、卒業論文・研究、就活などにも強い味方となりますので、今回の記事だけでなく「わせとしょ探検隊!」の他の記事や、LIVSが発行する『りぶまぐ!』なども参考にしていただき、ぜひ活用してみてください。もし、それでも困ったときにはレファレンスサービスも活用してみましょう。早稲田大学図書館を熟知した職員さんが的確なアドバイスをしてくれるはずです!

以上、長くなってしまいましたが今回の記事『大隈重信と自動車』はここまでとしたいと思います。最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。次回の記事は2019年3月25日公開予定ですので、乞うご期待!!

今回の発掘成果

バックナンバー

* この記事の図書館書庫内の画像、資料の写真、データベースの画像は、早稲田大学図書館・各データベース提供元の許可を得て撮影・掲載したものです。図書館内あるいは 図書館資料・データベースを許可なく撮影すること、インターネット掲載は厳禁です。またこれらの画像の無断転用を禁止します。

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