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【わせとしょ探検隊!】第8回 100年前、早大生はどんな学生生活を送っていた!?

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みなさん、こんにちは!
早稲田大学図書館ボランティアスタッフLIVSの弦間です。
寒い日が続いていますね、冬といえば…。
はい、今年も中央図書館を探検する季節がやってまいりました!
中央図書館のBBN、すなわち地下書庫(Basement)バックナンバー書庫(Back Number)の魅力をお伝えしていきたいと思います。
各回異なる様々なテーマでお届けしますので、図書館に詳しい方からそうでない方まで、ぜひお楽しみください!

ちなみに、これまでの記事が気になる方はこちら
幅広いテーマで、お宝情報たっぷりの記事がたくさん公開されていますよ。

さて、突然ですが、「学生生活」といえば…。
授業、サークル、アルバイト。それとも友人や恋人と過ごす何気ない日々でしょうか。
1882年に東京専門学校として始まった早稲田大学は、今年で創立137年。
ということは、早稲田の地では数十万通りの学生生活が送られてきたのです。かつての学生生活がどのようなものだったか、気になりますよね。
そこで、今回は図書館資料を手がかりに、100年前の早大生の姿に迫ってみたいと思います。

WINEで早稲田に関する本を探してみる

では、さっそく蔵書検索WINEを使って検索してみましょう。
早稲田大学に関する資料を調べたいので、キーワード検索で「早稲田大学」を調べると…。


なんと、約13,000件!これでは探すのが大変です。そこで件名検索に変えると…。


579件、これならなんとか確認できそうですね。出版年に着目し、1910年代〜1920年代の資料を見ていきます。
すると、1922年出版の『早稲田之今昔』という本が見つかりました!今回のテーマにぴったりのタイトルですね。古い時代の資料の方が、当時の生活を当事者の目線で知ることができそうです。

この本の配架場所はB1研究書庫。中央図書館B1研究書庫では、早稲田分類と呼ばれる早稲田大学図書館独自の分類が使われており、中でも早稲田大学に関する資料には[ト10]という記号が与えられています。


配架場所がわかったので、さっそく地下書庫に行ってみましょう!

地下書庫を使ってみる

地下書庫を利用するには、1階でロッカーに荷物を入れ、受付で学生証を提示してバッジを受け取る必要があります。みなさん、忘れないようにしてくださいね。



では、いよいよ地下書庫へ!早稲田分類に基づく資料は奥にあるので、そちらに向かいます。


[ト 10]は電動書架にあるようです。電動書架を利用する際は、棚のボタンを押して使用中を示す緑色のランプをつけます。


お目当の分類の場所へ行くと……うわぁ、たくさん!


早稲田大学に関する資料は、大学史や写真集から歴代の受験資料、科目案内まで実に様々です。今回の目的は100年前の学生生活を知ることなので、背表紙を見て古そうな本を選びます。

探していた『早稲田之今昔』に加え、『早稲田物語』という本が2冊(1929年版 / 1917年版)見つかりました!同じタイトルの本が2冊あるのは面白いですね。


これら3冊から当時の様子を探っていきましょう。

本の内容を読んでみる

まず、当初の目的の『早稲田之今昔』です。こちらは大学によって出版されたもので、学長を経験した人物の演説計7本と当時の教職員や校規、学生の心得などが収録されています。


心得には、以下のようなことが書かれ、大正時代にも学生証や交通機関の学割制度があったことがわかります。

一 學生は校の内外を問はず常に學生證を携帶すべし
(略)
一 鐡道、乘車、乘船に關する身分證明書及割引證は學生課に就き成規の用紙に所要の記入を爲し交附を受くるものとす (『早稲田大学之今昔』p.99,101より)

また、キャンパスにはポプラや銀杏が立ち並んでいたそうで、こちらも銀杏並木のある現在の早稲田キャンパスと共通していますね。早稲田のローカルカラーは「がらくた」で、様々な学生がいるとも書かれていますが、これは現在の「多様性」につながっているかもしれません。

次に、『早稲田物語』の1冊目です。在学中の学生によって1929年に書かれたもので、表紙には獅子のような動物が描かれています。


中には、大隈講堂や演劇博物館、当時の図書館(現・会津八一記念博物館)の写真が載っていました。特にこの3つの建物は今に引き継がれて現存している、美しい建築物です。


(左から演劇博物館、大隈講堂)


(右上から時計回りに恩賜記念館、大隈会館、大学の一部、図書館)

受験や入学直後の生活についての記述では、

入学試験は(略)やゝもすれば冷たい宣告を與へる冷血な裁判官でもある。(略)十六時間は全く勉強の支配下にあつて苦しい時間を過ごす。(1929年版『早稲田物語』p.79,81より)

などと書かれていて、受験生の苦悩が垣間見えます。

それだけに入学は格段の思いに溢れたものであり、新生活への期待や緊張が伝わってきます。授業が始まると部活動や研究会によって新入生歓迎会が開かれたり、友人の下宿に遊びに行ったりしていたようで、現代の学生と似た部分がありますね。一方、学生の多くは音楽や美術に親しみ、下駄にステッキで早稲田の街を闊歩していたというところからは、大学生という身分が特別だった時代の空気を感じることができます。

続いて、『早稲田物語』の2冊目です。これは、1917年に卒業生によって書かれたもので、なんと右上には校章が箔押しされていています。


こちらは一学生による随筆で、今と変わらぬ悩みや学生生活の数々が登場します。上京時の故郷との別れ、進路に関する家族との意見の相違。友人が意外にも恋に落ちてしまった話や野球の応援に行った様子も書かれています。

画像のページにあるタイトルは「早稲田ロマンス二篇」、雰囲気がありますね。


その書き出しは、次のようなもの。

早稲田にも戀のロマンスがある。儚い夢のやうな淡い戀の果てが、奇しき運命に弄ばれて脆くも若い生が滅びて行くといふことはあはれにも痛ましいことである。(1917年版『早稲田物語』p.119より)

また、当時から聴講生制度があり、講義を通じて年配の人や目の不自由な人と知り合いになったようです。本科はテスト期間が約10日間で、校庭のベンチに腰かけて勉強している学生も見かけたということで、現在の学生と変わりませんね。卒業祝いのパーティーは築地精養軒で行われたそうです。

他にも、在学中に「沙翁三百年祭典」という催しが早稲田大学で行われたことが書かれています。沙翁とはシェークスピアのこと。みなさんはシェークスピアの生誕祭がなぜ早稲田大学で行われたかご存知でしょうか。その答えは文学部を創設した坪内逍遙にあります。坪内逍遙は昨年の記事に登場していますので、ぜひご覧ください。

国立国会図書館のデジタルコレクションについて知る

ここまで、3冊の本を手掛かりに昔の学生生活について探ってきました。いずれも貴重な情報が満載で、惹きつけられる内容ばかりですね。

一方、古い資料ゆえに劣化もかなり進んでおり、取扱いには細心の注意を払わなければなりません。

そのような中、近年は「国立国会図書館デジタルコレクション」が利用できるようになりました。みなさん、ご存知でしょうか。

劣化が進む戦前期の資料や絶版等で入手が難しい貴重な資料でも、国会図書館のサービスを利用することで、自宅にいながら電子版で閲覧ができ、調査や研究に用いることができるのです。例えば、今回ご紹介した2冊の『早稲田物語』はこのデジタルコレクションでも公開されています。

『早稲田物語』1929年版 / 1917年版

こういったサービスを活用すれば、図書館に所蔵されている古い現物を傷める心配がなく安心ですね。もちろん、必要な時には図書館にある貴重な現物を直接利用できるのが、早大生の強みです。

なお、このデジタルコレクションの中でも、一般公開されていない資料のうち、特に入手が困難な資料の閲覧や著作権法の範囲内での複写ができる「図書館向けデジタル化資料送信サービス」を中央図書館では提供していますので、機会があればこちらも利用してみてください。

再びWINEで検索してみる

さて、1冊目の『早稲田物語』には入試に関するエピソードが載っていました。当時の入試は一体どのようなものだったのでしょうか。WINEを使って資料を探してみたいと思います。

今回はキーワード検索を使い、「早稲田and入試」で検索すると…。
ありました!1925年の『早稲田大学入学案内』です。


校章が大きく箔押しされた表紙をめくって…、見返しはこちら。


目次を見ると、過去問だけでなく競争率や経験談まで。まるで今の赤本みたいですね。ここにも学生生活が紹介されていますが、当時は大運動会というものがあったそうです。大運動会について調べてみると、こちらの早稲田ウィークリーの記事で冒頭の部分に、

体育祭の前身は「運動会」と称され、100年ほど前は一週間にわたり盛大に開催されていた。(「歴史ある「体育祭」 100年先のスポーツを思う」『早稲田ウィークリー』2016年12月6日より)

と書かれており、この運動会とは現在11月初週に行われている体育祭の前身のようだとわかります。
しかし、当時の本ではなぜ「大運動会」という名称が使われていたのでしょうか。これに関して、『早稲田大学百年史』の第一巻/第三編/第十章には、以下のような一節があります。

さて由来早稲田は、どんなことにも大をつけるのが好きであったようである。例えば、大運動会、大園遊会、大演説会、大講堂など。 (『早稲田大学百年史』第一巻第三編第十章より)

なるほど、早速由来らしきものが出てきました。当時の雰囲気をうかがうことができる、面白いエピソードです。

この大運動会、図書館にも何か資料がありそうですよね。
こちらもWINEで検索してみましょう。
すると…[春季大運動会招待状]という資料が出てきました。明治37年のもので、WINEの注記の情報を読むと、なんと小泉八雲宛に送られています!というのも、彼は大隈重信や高田早苗と親交があり、約半年ほど早稲田の教壇に立った経験もあるそうなのです。
では、さっそく画像情報を見ていきたいと思います。



招待状と2枚の招待券がセットになっています。招待券の書き出しには、

拝啓来る四月十七日(日曜)本校運動場に於て春季大運動会相開き(雨天順延)候

とあります。大学裏手にある運動場での開催で、雨天順延だそうです。招待状の文面を見ていくと、中ほどに大運動会へ招待する一文があるだけでなく、終わりの方では

就ては例年に倣ひ御寄附相願度候

とあって、出席だけでなく寄付金を乞うていることがわかります。当時から広く活躍する卒業生や関係者が数多くいたことが想像できますね。

新聞記事データベースから昔の学生生活について調べてみる

ここまで紙の資料を見てきましたが、最後に図書館ホームページの学術情報検索から「朝日新聞:聞蔵Ⅱビジュアル」で過去の記事を調べてみます。


ログインをしたら昔の記事を探すことができる「朝日新聞縮刷版 1879~1999」を選択して「早稲田大学」と検索してみると、その数は膨大。24,000件以上の記事がヒットし、明治時代に学生募集の新聞広告があったことや、海外に留学生が派遣されていたことなどの記事が見つかります。

あまりに件数が多いので、今回ご紹介した本に関する出来事を選んで、「朝日新聞:聞蔵Ⅱビジュアル」で調べてみることにしました。
対外的に注目されていた出来事としては、やはり2冊目の『早稲田物語』で登場した沙翁三百年祭典でしょうか。そこで「沙翁三百年」で検索すると…、予想通り記事を見つけることができました!

●早大の沙翁祭
既報の如く早稲田大學にては來たる廿二日より同校に於て左記順序にて沙翁三百年祭を擧行すべしと
△二十二日午後一時及び廿三日午前八時より記念品展覧會開催△廿二日午後六時より學生演劇*に沙翁活動寫眞△二十三日午後一時より記念講演會△二十三日午後六時より學生演劇*に沙翁活動寫眞 (「朝日新聞:聞蔵Ⅱビジュアル」1916年4月20日より。*は判読不能)

1916年4月22日から23日にかけて、早稲田大学において複数の催しが行われようで、『早稲田物語』の著者が少なくとも1916年までは在学していたことが読み取れますね。

今回のわせとしょ探検はここまでです。

100年前の学生の姿を図書館資料から探ってみましたが、その時代特有の学生生活がある一方、そこには21世紀に生きる私たちとの共通点もたくさんありました。早稲田大学図書館には、古今東西の多様な資料が数多く眠っています。みなさん、ぜひ活用してくださいね!
そして、わせとしょ探検はこれからも続きます。次回をお楽しみに!

今回の発掘成果

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* この記事の図書館書庫内の画像、資料の写真、データベースの画像は、早稲田大学図書館・各データベース提供元の許可を得て撮影・掲載したものです。図書館内あるいは 図書館資料・データベースを許可なく撮影すること、インターネット掲載は厳禁です。またこれらの画像の無断転用を禁止します。

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