第17回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」贈呈式 式辞・講評および受賞者挨拶

11月30日、第17回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」の贈呈式を行いました。島田陽一副総長の挨拶に続いて、大賞3名・奨励賞1名の受賞者に、賞状、副賞のメダル及び目録が授与されました。本賞及び授賞作等については特集記事をご覧ください。

第17回を迎えた今年の贈呈式には、受賞者と共に取材・報道に尽力した取材チーム等の方々をはじめ、報道・メディア関係者、ジャーナリストを志す本学学生など100名を超える方々が出席。選考委員を代表して広河隆一氏から講評が述べられ、その後に続いた受賞者および関係者の熱いスピーチに、来場者は熱心に聴き入っていました。

前列左より、三村忠史氏、坂本信博氏、島田陽一本学副総長、鎌田薫本学総長、林典子氏、島袋夏子氏 後列左より、秋山耿太郎委員、八巻和彦委員、後藤謙次委員、広河隆一委員、高橋恭子委員、武田徹委員、瀬川至朗委員、吉岡忍委員

式辞 島田陽一副総長

総長鎌田薫がご挨拶申し上げるところでございますが、遅れて参りますので、代わってご挨拶させていただきます。

本賞は2000年に創設いたしまして、2001年に第1回贈呈式を行いました。今年で17回を数えます。手前味噌ではありますが、社会的な評価もかなりあがってきている、という思いを致しております。本年も130件ものご応募・ご推薦を頂戴しました。今回はそのなかから、3件の大賞と1件の奨励賞を選ばせていただきました。受賞者の皆様、心からお祝い申し上げます。

またこの選考にあたっては、選考委員の先生方に大変お忙しいなか、極めて短期間にご審査をいただき、こんにちに至りました。あらためてお礼を申し上げます。

さて本賞の冠となっている石橋湛山は、早稲田大学を卒業し、長くジャーナリズムで活躍されたことはみなさんご存知のとおりでございます。わたしどもが非常に敬意を表するのは、戦前の大国主義・軍国主義というなかにあって、これを大日本主義の幻想だと鋭く批判をされ、平和主義・経済の自立ということを考えた小日本主義──小アジア主義ともいうらしいのですが──を貫かれた、ということでございます。戦後には政界に身を転じて1956年に内閣総理大臣に就任されました。極めて残念ながら、二ヶ月ほどで病のために退任を余儀なくされたわけですが、ある歴史家によれば、石橋内閣があと数年続いていたら、50年代から60年代にあった、いわば激突型の社会ではない、別の社会が日本にはあったのではないか、という評価を頂戴している方でございます。時流に流されることなく、自らの信念を貫き通されたその精神は、まさにジャーナリストの本懐でしょうし、また早稲田大学にとりましては、精神的支柱の一つと言っても過言ではない、と考えているところでございます。

今回の受賞作は大変優れたものばかりであることは当然、20数年前のことを丹念な調査によって真実に迫った作品、あるいは国際的な人の移動を日本からだけではなくてアジアという視点から迫った作品、さらには文章ではなく写真ということを通じて人びとの心を伝えようとした作品、このようなものが選ばれているわけでございますが、たんに日本だけではなくて、世界的に見ても、これからのジャーナリズムとは何か、というようなことを提起している、そうした作品ではないかと素人ながら思っているところでございます。もちろんこれらにつきましては、あとで選考委員を代表されて、広河隆一委員からご講評いただけることになっているわけではありますが、僭越ながら一言申し上げさせていただきました。

早稲田大学におきましては2002年から石橋湛山早稲田ジャーナリズム大賞記念講座という授業を設置しております。これは学生にとっては貴重な機会でありまして、来年度につきましては「ジャーナリズムの現在」という講座名で開講いたします。例年受賞された皆様方にはゲストスピーカーとしてご登壇いただいて、生の声を、ジャーナリズムの本当の姿というものを学生にじかにお伝え頂きます。このような機会を得られる学生はとても幸せだと思います。これが契機となって早稲田の伝統であるジャーナリズム世界に足を踏み出してくれる学生が増えてくれればと期待をしているところであります。

最後になりますが、受賞された皆様のご研鑽・ご苦労に心から敬意を表しますとともに、この受賞を一つの契機とされて、さらなるご発展を遂げることを、わたくしどもとしては望んでいるところでございます。

本日は誠ににおめでとうございます。

講評 広河隆一委員

受賞された皆様、おめでとうございます。

審査員のひとりとして、素晴らしい作品をお寄せいただいたことを、感謝いたします。

わたしたちは子どものころに、大人になったら何になりたいかと聞かれたときに、お医者さんとか、看護師とか、ジャーナリスト・新聞記者になりたい、と答えた経験がある人も多いと思います。それは人々の生活や命を守ることにかかわる、誇りある仕事だと子どもたちが考えたからだと思います。いま学生に教える機会があるとき、将来の仕事について聞きますと、ジャーナリストになりたいと答える学生が多いです。そこで、ジャーナリストになりたいのか、大メディアの社員になりたいのかどちらですかと尋ねると、顔を見合わせて手を引っ込めてしまう学生も多いのです。その言葉の意味も考えたことが無かったからでしょう。

純粋で、まっすぐで、子どもなりに自分の立ち位置をしっかり考えようとして、将来の夢を語った人が、大人になってからは違う価値観で仕事を考える。夢を語る気持ちに、変化が生じていく理由がわたしにはわかりません。こうした結果が国境なき記者団による日本の「報道自由度ランキング」72位という数字にも現れていると思うのです。

最終審査に残ったのは、どれが大賞に選ばれても不思議ではない作品で、熱のこもった議論になりました。この時代の抱える深刻な問題に、優れたジャーナリストによって光が当てられた作品ばかりだったからです。それは何を伝えようとしているかということだけでなく、それを人々に伝えなければならないという動機が、見事な構成力と取材力で、大変な説得力を持って、遠くに伝わっていく力を持っていました。ジャーリズムは芸術ではないので、自己満足ではなく、人に伝わってその仕事が完結します。遠くの人、多くの人に届く力を持っているか、が問われるのです。

こうした作品の前では、わたしたち審査員自身が、どこまで作品を審査する力を持っているのかが試され、審査する作品によってわたしたちが試されているという気持ちになりました。

この賞の名称が、ジャーナリズム大賞であってドキュメンタリー大賞ではない、ということも大切なことでした。ドキュメンタリーというのも大事な分野ですし、ジャーナリズムと重なる部分もたくさんありますが、ジャーナリズムには「伝えなければならない」という意思があります。その事実を「人々のもとに届けなくてはならないという」強い意思があるのです。そのためにドキュメンタリーの仕事よりも、世界では圧倒的に多くの人々が、ジャーナリズムの仕事を通して死んでいきます。戦争や事故でその責任ある人が隠していたい出来事にジャーナリストが直面し、それを伝えなくてはいけないと考える時、危険にさらされるからです。世界中のあらゆる現場で共通して直面するジャーナリストたちの勇気ある仕事に対して、早稲田ジャーナリズム大賞は敬意を払う場でもあります。このジャーナリズム大賞は、そういった世界中のジャーナリストたちの仕事とつながっています。多くの場合、ジャーナリストが伝える伝え方によって、人々の生死が決まったり、権利が回復したり無視されたりするのです。この基本的な姿勢で妥協する人は、ジャーナリストの仕事を離れたほうがいいのかもしれません。

こうして最終的に選ばれた作品は、現在と未来のかかえる深刻な問題に対して、見て見ぬふりをする日本の社会、何のためのジャーナリズムか忘れて、力を削がれてゆくメディアに対して、「あるべきジャーナリズムとはこのようなものだ」と強烈に訴えかけてくる作品たちでした。

公共奉仕部門 大賞
NHKスペシャル「ある文民警察官の死 ~カンボジアPKO 23年目の告白~」
NHKスペシャル「ある文民警察官の死」取材班 代表 三村 忠史(日本放送協会 大型企画開発センター チーフ・プロデューサー)

1993年5月にポル=ポトと思われる集団に日本のPKO部隊が襲撃され、死者が出ました。この事件は、武力衝突が起こっている事実を隠して、国際貢献という美名のもとに国民を派遣した政府にとって、責任を問われる事件で、その結果生じてしまった死亡事件さえも、隠蔽したほうがいいとされることでした。この構図は現在も、福島原発の事故の問題そのものや、被害者の問題を、復興という名のもとに隠されていくのと繋がっているように思えます。戦争に向かって突き進む危険性をはらんでいるかにみえる現在、日本中の人にこの作品をみてほしいと願っています。

草の根民主主義部門 大賞
「新 移民時代」
「新 移民時代」取材班 代表 坂本 信博(西日本新聞社編集局社会部デスク兼遊軍キャップ)

日本人が働きたがらない職種や時間帯など劣悪な状況下の労働を、実習生・留学生という名目で集められたアジアの若者たちが担っている実情を報じた作品です。そして彼らの労働の影で、日本人は豊かで便利な社会を満喫しているという状況を、丁寧な取材で明らかにしています。彼ら労働者たちはほとんどの場合、人権を無視され、周辺の日本人たちも彼らの存在に関心すら持ちません。この作品は長期連載で、現在も掲載が続いていると聞いておりますが、ここで問われている、日本の排他的な性格・政策・差別・多様性の拒否は、単に為政者の問題ではなく、国民一人一人のあり方を覆う非常に深刻な問題をはらんでいて、わたしたちがこれからいったいどこに突き進んでゆくのか、たいへん大きな問題を提起しています。「難民問題が日本で発生しないでよかったね」という人は多くいますが、同じ質の重い問題はすでにこの国では深く広がっているのです。わたしたちはそうした問題が無いかのごとく、無視しているだけでした。

文化貢献部門 大賞
『ヤズディの祈り』
林 典子

イラクでISに殺戮と暴行を受けたヤズディという名の少数民族の記録です。林さんのこれまでの作品は、単に写真の賞としてではなく、ジャーナリストとしての立ち位置が評価されて、多くの賞を受賞されてきました。世界最大のフォトジャーナリズム祭(フランス)では、世界中の主要メディアからなる8つの新聞・雑誌などの編集長やフォトエディターたち審査員が、全員一致して彼女の仕事を金賞に推した、こともありました。彼女の仕事が、フォトジャーナリストはジャーナリストでなければならないと考える審査員に評価されたのです。世界中のフォトジャーナリストのほとんどは日本製のカメラを使っていますが、日本の中ではフォトジャーナリストが育ちません。それは何故か、と問われることがありますが、わたしには答えがわかりません。アジアの労働者にせよ、沖縄の問題にせよ、我々の生き様、他者への関心、責任感をもたないようされているありかたと関係しているのではないかと思っています。林さんが、日本ではフォトジャーナリストが育たない、という状況に穴をあけてくれるのを期待しています。

公共奉仕部門 奨励賞
「枯れ葉剤を浴びた島2 ~ドラム缶が語る終わらない戦争~」
「枯れ葉剤を浴びた島2」取材班 代表 島袋 夏子(琉球朝日放送 記者)

沖縄の嘉手納基地近くのサッカー場で、埋められていたドラム缶が見つかりました。その成分を調べた人々は、ベトナム戦争で落とされた枯葉剤が含まれていたことを知ります。沖縄の土地は化学兵器で汚染されていたのです。これは単に沖縄に日本の米軍基地の7割が集中するということが、住民の殺害やレイプ被害だけでなく、どのような深く重い問題をともなっているのかを思い知らせてくれます。米軍だけでなく日本政府や、本土の日本人からもなかったことにされるこの問題の恐ろしい深さを起こすものでした。ジャーナリストのくやしさが動機になって問題を暴いていくこの姿勢からは多くの事を学ばされます。


早稲田ジャーナリズム大賞の役割は、今後も大きくなると思っています。現在日本では、原発事故報道の反省もできない、戦争報道の反省もできない、権力の監視というジャーナリズム本来の役割を果たせないことへの反省もない、「知る権利」を自ら放棄する、メディアが溢れる状況になっています。権力やスポンサーに媚び、バラエティ化するニュースは、深刻な状況に陥っています。このような時代に求められる役割を果たすジャーナリズムとはなにかということを、応募作品が告げていると思うのです。だからこそ今のジャーナリズムのあり方に対して、きちんと力ある言葉や映像で発信する作品が寄せられたことを、非常に嬉しく思います。

公共奉仕部門 大賞 受賞者 三村 忠史氏の挨拶

このたびは大変栄誉ある、そしてこの仕事をしてゆく上で常に精神的支柱としてきた石橋湛山先生の名前を冠した賞をいただき、身震いをするような気持ちでおります。企画のきっかけは、講談社の加藤さんから、文民警察隊の隊長を務めた山崎さんという方の現地で書かれた手記をNHKに提供いただいたことでした。ディレクターが退職した警官あるいは現職の警官、あるいはカンボジア、あるいはオランダで事実を掘りおこしてきました。警察官の方は結果として23年間沈黙を強いられたようですが、この事実を知らしめてほしいという熱い思いを受けて取材を進めました。

この番組を企画制作している時、国内外でフェイクニュースが蔓延していました。スタッフの間で共有していたのは、何か党派性に与するのではなく、「事実を持って事実を語らしめる」ということとに徹しよう、という思いでした。

文民警察隊の銃撃事件のあと、メディアは一瞬報道を加熱させますが、ちょうど自民党政権が終わりを告げ、一斉にそちらのニュースを報じるようになりました。メディアはいちばん飛びつきやすい情報に一気に報道を加熱させてゆくため、文民警察官の死は忘れられていきました。その後、23年間検証されることもありませんでした。報道の仕事をする中で、忘れてはならないことを積み残しているのではないか、とこの番組を制作しながら反省させられた思いです。

草の根民主主義部門 大賞 受賞者 坂本 信博氏の挨拶

ほんとうにありがとうございました。じつは、ジャーナリズム大賞記念講座の受講者一期生が、わたしたち取材班の中心メンバーのひとりです。彼もこの受賞を喜んでおります。

出勤前や仕事帰りに立ち寄るコンビニで、ここ数年の間に、早朝・深夜に働いている店員の多くが、いつのまにかネパール人やベトナム人の若者に変わっています。かれらはなぜ日本に来たのか、なぜ数が増えているのか、どんな暮らしをしているのだろうか──そのような素朴な疑問からこの取材を始めました。昨年の秋のことでした。取材をはじめてわかったのですが、実はコンビニだけではなく、そこにお弁当を出荷している工場、お弁当の資材を運ぶ運送会社の配送センターなどのアルバイトの九割が、ネパールとベトナムの留学生で占められていました。九州の日本語学校や専門学校には、アルバイトに日々追われているいわば「出稼ぎ留学生」の若者がたくさんいるのです。彼らには週28時間という就労制限がかけられています。時給900円だとすると、月収10万円が限界で、そこから日々の生活費・学費・渡日の借金も返済しなければなりません。彼らは入国管理法を守れば困窮し、破れば摘発対象となる、というジレンマを抱えています。一方で彼らは、人手不足の日本の職場で貴重な戦力となっている、ということもわかりました。国内外の取材を続けてゆく中で、事実上の労働移民といってよい技能実習生や留学生が日本経済を支えていて、その背景には世界的な人の動きがあるということがわかったのです。OECDのデータを分析しましたが、これによれば日本は世界第5位の移民流入国です。しかしこのような労働移民の存在に対して、政府は見て見ぬふりをしています。いるのにいない、日本には労働移民はいない、という前提で政府は様々な政策を打っており、彼らを生活者として捉える視点がまったく欠けています。このような政府の建前と日々の日本の現実の狭間に生じている歪みを追いながら、どうすれば共生の道を探れるのか、ということを考え続けた一年でした。今日、明石書店から『新移民時代 外国人労働者とともに生きる社会へ』が出版されました。ぜひ手にとって頂きたいと思います。

国民には知る権利があり、ジャーナリストには、手遅れになる前に知らせる義務があると思っています。外国人に優しい社会というのは、自分と異なる他者に寛容な社会につながっている、と考えています。今回の受賞を励みに、他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない、という視点で、小さな声に耳を澄ませ、見えにくいものに目を凝らし、それを社会に伝えてゆく、というジャーナリストの使命を果たしてゆきたいです。

文化貢献部門 大賞 受賞者 林 典子氏の挨拶

素晴らしい賞をいただくことができ、大変光栄に思っています。わたしが今回出版した写真集『ヤズディの祈り』は、ISによって2014年8月にシリア・イラク国境沿いのシンガル山のふもとに暮らしていた数万人の少数民族ヤズディが故郷を追われた後、いまどういう生活をしているか、を追ったものです。ISがヤズディの村々を攻撃したとき、たまたま近くのトルコで別の取材をしていましたが、ヤズディの人びとが国境を超えてトルコに入ってきているという現地のニュースをきっかけとして取材を始めました。当初は中東で起きているさまざまな問題の被害者はヤズディだけではないので、さまざまな問題を取材しようと思っていましたが、それから約二年間、フリーランスのため取材費が限られているというのもあり、ヤズディの一家が避難生活をして大家族15人が小さな部屋で雑魚寝をしながら生活をしている民家に、わたしも泊めてもらいながら取材しました。

イラクには当時世界中からたくさんのメディアが来ていました。ヤズディの人々自身も、目の前で起きていることを映像にとって、動画サイトやSNSに投稿できるのが当たり前の時代に、現場にいるわたしはどのように向き合って、どのように伝えればよいか、つねに自分自身に問いかけながら取材をしてきました。15人同じ部屋で暮らしていた彼らが、日本からイラクを訪れるたびに、数が減っていって最終的に3人になりました。それは何故かと言うと、陸路でヨーロッパに逃げてゆくからです。激しい現場もあることはありましたが、そういうことではなく、彼ら一人ひとりの存在、彼ら一人一人が大事にしてきた土地とか、物とか、思い出の写真とか、そういったものを記録して、彼らの存在を伝えたいと思ったのです。これまで取材をしてきた方たちにもう一度会って、彼らが暮らしていた故郷の家、もう戻ることができなくなった故郷の家の所在を聞いて、そこを訪れて……という取材の仕方であったり、難民として移動した際に持っていった大切な、けれども何気ない、故郷を象徴するもの、そういうものの写真を撮ったり、証言を訊いて文章をまとめたり、という方法で取材してきたものを写真集としてまとめました。本を出した後も取材を続けていて、今でも彼らと連絡を取り合っています。

日本ではフリーランスのフォトジャーナリストも少なく、またわたし自身なかなか安定しないなかでこれまでもつづけてきましたが、この賞を励みにこれからも取材活動を続けていきたいです。

公共奉仕部門 奨励賞 受賞者 島袋 夏子氏の挨拶

このような賞をいただき、ありがとうございました。この9月に亡くなったわたしの父は鉄血勤皇隊の少年兵でした。沖縄の歴史や差別を受けた自分たちの体験を伝え欲しい、とわたしに言い残して逝きました。沖縄が経てきた歴史や、父が言う差別ってなんだろう、とわたしたちの世代はよく考えます。それが大きなテーマになっています。「枯葉剤を浴びた島」という番組でテーマにしているのは、沖縄がいったい何を押し付けられたのか、という問題だと思っています。土の中から出てきたダイオキシンや有害物質が、一体なんの目的で、誰がどのようなかたちで遺棄したのか、と証明することは大変なことでした。それはいまでもグレーゾーンになっています。無機質で数字が羅列された山のような報告書を読むという、途方もない作業に明け暮れる毎日でしたが、そういったものがわたしたちメディアに対して大きな仕事を与えている、あるいはジャーナリストとしてこれを読んでゆくことが、沖縄社会を大きく変えることの一役になるのではないか、と思いながら続けてきました。まだ不十分な点がたくさんあり、これからもたくさん勉強を重ねてゆかねばならないと思い、いま大学院で学んでいます。これからも心折れることなく、一所懸命番組作りに励んでいきたいです。

贈呈式の後に催されたレセプションでは、鎌田総長の挨拶に続き、石橋湛山のご令孫である石橋省三・一般財団法人石橋湛山記念財団 代表理事より挨拶を頂きました。受賞者を囲み、終始和やかに催されました。

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