歴史を刻む「早稲田建築」

東京タワーからスカイツリーへ

日本を代表する2本のタワー「東京タワー」と「東京スカイツリー®」。電波塔としての役割を果たすことはもちろん、国内外から多くの人が訪れる観光名所としても有名だ。この2つのタワーの設計には早稲田大学ゆかりの人物が深く関わっている。

エッフェル搭をしのぐ総合電波塔を

早稲田大学歴史館には内藤多仲の東京タワー設計図(複製)が展示されている

日本でテレビ放送が隆盛した1950年代。各局の電波塔を一本化するために1958年に作られたのが「東京タワー」だ。設計者の内藤多仲は早稲田大学の名誉教授であり、構造設計の第一人者である。内藤は生涯に約60の塔を設計し「塔博士」の異名を持つ人物。1954年に「名古屋テレビ塔」(高さ180m)、1956年に大阪の二代目「通天閣」(高さ103m)を立て続けに設計。その2年後に、「312mのエッフェル搭をしのぐ総合電波塔」という、これまでに設計した塔の2倍もの高さに及ぶ「東京タワー」設計の依頼を受けた。内藤は安全性を追求し、1万枚もの設計図を描いたという。建設期間は計543日、述べ22万人が動員され、安全性と構造美を兼ね備えた333mのタワーが誕生。自立式鉄塔としては、当時世界一の高さを誇った。

伝統と最新の技術を融合

その後、約50年の時を経て、2012年に建てられた新たな電波塔が「東京スカイツリー」だ。都心部に超高層ビルが立ち並んだことから、東京タワーに代わるより高い電波塔が必要とされた。設計は株式会社日建設計が担い、プロジェクトには、早稲田大学の卒業生である亀井忠夫と吉野繁の2人が名を連ねた。敷地は細長く制約があったため、足元は、東京タワーのように安定感のある広がった形状にできず、少ない面積でも安定が得られる三角形に。展望台やアンテナのある上層部は円形であり、頂部に向けて三角形から円形へと変化する構造にした。その結果、日本の伝統的な建築に見られる「そり」や「むくり」のラインが生まれ、見る方向によって変化するシルエットとなっている。高さは634mで、自立式電波塔としては世界1位。耐震性に優れた日本の伝統的な建築である五重の塔に「心柱」と呼ばれる柱が使われていることに着目し、タワーの中央には「心柱」に見立てたコンクリート造の円筒が造られた。その他にも、最先端の材料と技術を用いて地震や暴風に対しての安全性を確保している。伝統と最新の技術が融合して生まれた「東京スカイツリー」は、新たな街のシンボルとなった。

新しい文化を創造する「早稲田建築」

それぞれに時代を象徴する2本のタワーのほか、早稲田大学の卒業生が手掛けた名建築は「早稲田建築」と呼ばれ、日本各地に存在する。デザインや技巧に優れているだけでなく、都市や町、人々の生活に根ざし、暮らしを支え、新しい文化を創造して、多様な価値を生み出してきた。現在まで数多くの優れた建築家を排出してきた早稲田大学から、今後も多くの人材が巣立ち、新たな歴史を刻む名建築が生み出されていくだろう。

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