第16回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」贈呈式 総長式辞・講評および受賞者挨拶

12月7日、第16回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」の贈呈式を行いました。鎌田薫総長の挨拶に続いて、大賞2名・奨励賞2名の受賞者に、賞状、副賞のメダル及び目録が授与されました。本賞及び授賞作等については特集記事をご覧ください。

第16回を迎えた今年の贈呈式には、受賞者と共に取材・報道に尽力した取材チーム等の方々をはじめ、報道・メディア関係者、ジャーナリストを志す本学学生など約100名が出席。選考委員を代表して秋山耿太郎氏から講評が述べられ、その後に続いた受賞者および関係者の熱いスピーチに、来場者は熱心に聴き入っていました。

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式辞 鎌田薫総長

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「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」は2000年に設置され、2001年を第1回の贈呈式とし、本年で第16回を数えます。回を追うごとに社会的評価が高まり、今年度は146件のご応募・ご推薦を賜りました。その中から今年度は2件の大賞と2件の奨励賞を授与することとなり、早稲田大学を代表して、受賞者の皆様に心よりお祝い申し上げます。あわせて、短い期間に選考された委員の皆様に、心からの御礼を申し上げます。

ご承知の通り石橋湛山は、我が国を代表するジャーナリスト、エコノミスト、そして政治家であります。そして早稲田大学卒の初の総理大臣でもあります。戦前、日本が、全体主義化・軍国主義化へ急速に進んでいくなか、そのような風潮を「大日本主義幻想」だと喝破し、「小日本主義」を訴え、植民地の放棄や軍備放棄などを打ち出しました。戦後には吉田内閣の大蔵大臣として、GHQに臆することなく、自らの考えを貫き通しました。しかしGHQの不興を買い、公職追放の憂き目にあいます。そうしたなかにあっても湛山は、時代に流されることなく、権力に阿ることなく、自らの主張を貫いた、まさにジャーナリストのなかのジャーナリスト、独立不羈のジャーナリスト、本学の大先輩であります。わたしたちの精神的支柱として、早稲田大学は湛山に敬意を評し続けています。

1956年12月、湛山は総理大臣に指名されました。それから数えて今年はちょうど60年、節目の年にあたります。今年、石橋湛山から岸信介元首相にあてた手紙が発見されました。60年安保改正に関して、「国内及国際の激しき分裂を益々甚だしくして顧みぬがごときは断じて取るべき策ではない」と、安保条約改定を厳しく諌める内容です。自らの信念に則って行動する湛山の気概を、そこに読みとることができます。

今年度の授賞作品を拝見しますと、意見や見解が鋭く対立している題材について果敢に切り込んだ作品、すでに語り尽くされている題材について「問題はまだ終わっていない」と訴える作品、また地道な取材や統計データによって隠れていた実相を顕在化させる、そういった作品がありました。これらの作品は、日本のジャーナリズムだけでなく、世界のジャーナリズムのあり方を考えさせる優れた作品だと思います。毎年、受賞者の方々には、翌年度に設置される「報道が社会を変える-取材過程論-」という授業のゲスト講師としてご来校いただき、学生たちに取材・報道現場の生の声を伝えていただいております。記念講座をきっかけとして若い諸君が、ジャーナリズムの真髄を注ぐ、先輩に勝るとも劣らないジャーナリストになりたい、という志を継承していってもらえるものと期待しています。

重ねて受賞者の皆様のご研鑽とご労苦に対して、最大限の敬意を表させていただきますとともに、この受賞がさらなる飛躍の契機となればと祈念いたします。本日は誠におめでとうございます。

講評 秋山耿太郎委員

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受賞されたみなさま、おめでとうございます。

最終選考を踏まえて、4作品が選ばれたポイントをお話しします。

10作品は、いずれも力作ぞろい、石橋湛山の名前を冠した早稲田ジャーナリズム大賞にふさわしい作品ばかりでした。一つひとつの作品について、選考委員の先生方の光の当て方、評価の力点の置き方に微妙なニュアンスの違いがあり、最終選考会は侃々諤々の議論となりました。議論を重ねるうちに意見が集約され、その過程もなかなか面白かったのですが、委員全員の一致で授賞作品が決定されました。

2016年の世界と日本を振り返ると、テロリズム、大量の難民・移民の発生、経済のグローバル化と貧富の格差の拡大、そして、反グローバリズムのうねり。その混沌の中から英国のEU離脱やトランプ大統領が出現するなど、現代社会のあり方や世界の秩序が大きな転換点を迎えていることを改めて認識させられました。そうであればこそ、歴史を記録し、真実を追究するジャーナリズムの役割がますます大切になってきます。今年の「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」に、いずれも骨のある作品を選考できたことをうれしく思います。

公共奉仕部門 大賞
NNNドキュメント’15「南京事件 兵士たちの遺言」
日本テレビ報道局取材班 代表 清水 潔 氏(日本テレビ 報道局 特別報道班)

受賞した日本テレビ取材班のコメントがすべてを語っています。「何も足さない。何も引かない。ただ事実と信ずるものだけを淡々と伝える」。これ以上でもなく、これ以下でもない。だからこそ、さまざまな意見があり、さまざまな対立がある南京事件の真実の姿に限りなく近づくことが出来たのだろうと思います。取材班のジャーナリズム精神に敬意を表します。もう1人、今から79年前の昭和12年12月の日本軍による南京攻略、その現場にいた兵士たちを訪ね、長い年月をかけて証言を引き出し、日記など一次資料を集め続けた民間の研究者の方にも敬意を表さねばなりません。この方の協力がなければこの作品は生まれませんでした。

草の根民主主義部門 大賞
「語り継ぐハンセン病 ~瀬戸内3園から~」
取材班 阿部 光希 氏、平田 桂三 氏(ともに山陽新聞社編集局報道部)

大変に重いテーマへの挑戦でした。すべての患者を隔離して療養所に閉じ込めてしまう「らい予防法」が1996年に廃止されてから20年。「国の政策の誤り」を認定した2001年の熊本地裁判決が確定してからも15年が経ちます。マスコミも含めて、世の多くの人々は、ハンセン病の問題は決着済みとばかり無関心を装い続けてきました。その方が楽だから。しかし取材班は、ハンセン病が終わっていないことを知ってしまいます。偏見と差別は私たち自身の心の中にあるのではないでしょうか。だとすれば、ハンセン病のいまを、伝え続けねばなりません。地域に根ざすメディアの使命感、気概が伝わってくる作品でした。

公共奉仕部門 奨励賞
長期連載「原発は必要か」を核とする関連ニュース報道
新潟日報社原発問題取材班 代表 仲屋 淳 氏(新潟日報社編集局報道部次長)

柏崎刈羽原発の再稼働問題を巡って、様々な思惑が絡み合い、賛否渦巻く中で報道していかなければならない地元新聞の立ち位置を踏まえたうえで、取材班が知恵を絞って取り組んだ作品です。原発を再稼働させないと地元の経済は持たないのか。原発は地域経済を救う打ち出の小槌なのか。問題をその一点に絞り込んで、地元企業の聞き取り調査などを通じて、「原発の経済効果は限定的」という事実を伝えることに成功しました。原発再稼働をめぐる議論の場に、新しい観点からのデータを淡々と提供して見せたという点に、取材班の工夫とセンスのよさがにじみ出ているように思います。

草の根民主主義部門 奨励賞
『日本会議の研究』菅野 完 氏

時の政権に少なからぬ影響力を与えているように見える集団、実像がはっきりつかめない組織、その実態は何なのかという大変に興味深い、そして、難しいテーマに、一人で正面から挑んだ作品です。古い文献を調べ、宗教団体の集会に参加し、インタビューを申込み、断片的な情報を積み重ねることで全体像が浮かび上がってきました。政治権力を支える影の部分にまで掘り下げていかねばならない取材は、なかなか苦労が多かっただろうと拝察します。菅野さんもやはり「何も足さない。何も引かない。ただ事実と信ずるものだけを淡々と伝える」というジャーナリズムの基本に徹することで、大きな壁を乗り越えられたのだと思います。

 

公共奉仕部門 大賞 受賞者 清水潔氏の挨拶

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南京事件という番組は、昨年の10月に放送したものです。一年の間に、さまざまなところで話題にしていただき、いくつかの賞をいただくことができました。テレビマンとしてはありがたく思っています。

戦後70年、一体今何を伝えればいいか、昨年いろいろ検討しました。戦争を伝えようとすると、「被害国日本」という番組がやはり多いようです。それはそれで大切なことですが、その反面、戦争の始まりとは一体何だったのか、どうしてこんなことになったのかということを、もう一度きちんと調べてもよいのではと思い、取材を始めました。

ただし、その時点ですでに77年も前のことで、事件の当事者はほとんど鬼籍に入られていました。そのなかで多くの軍人の日記を、小野二さんという方が集めていらして、その方を訪ね、日記を拝見してお借りし、全面的な協力の下に制作させていただきました。小野さんの協力無くしては、番組の制作もありえませんでした。

現在、日本も世界もややきな臭い感じで、大丈夫なのだろうかと心配しているのは私だけではないと思います。戦争の始まり、というものを見失うと、ふと気づいたら私たちはまたそこに戻ってしまうのではないか、という危惧を抱きます。歴史的事実を調べ、残し、伝える。そして正しい戦争なんか絶対に無いのだと、私たちジャーナリスト伝え続ける、それがジャーナリズムの使命だと思います。

草の根民主主義部門 大賞 受賞者 阿部光希氏の挨拶

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2013年、瀬戸内市の長島に橋がかかって25年という節目に、その特集の取材に行き、国家賠償訴訟の原告を手がかりに取材しようと思いましたが、亡くなってしまわれていたり、あるいは認知症で取材ができない、ということがありました。このままだとハンセン病の証言が残らなくなるのではないかと危惧し、まとまった形で歴史を検証する取材をしていないというこれまでの反省も踏まえて、取材しようと思いたちました。

最初、取材を進めていって戸惑ったのは、「らい予防法」の改正や廃止に対して、療養所でもかなり慎重な声があったことや、隔離政策を主導していった長島長生園初代園長の評価を巡って、入所者の間でもさまざまな見解があったことです。傍から見ていると、悪法としか思えない「らい予防法」の改正や廃止に対して、皆なぜ慎重になっていたのか、分からないことだらけでした。突き詰めていくと、予防法があるから自分たちは療養所で守られているという思いが彼らにはあり、そうさせていたのは何なのかというと、戦前から戦後にかけて入所者に対してあった激しい差別です。特に、全国各地で繰り広げられた官民一体の無らい県運動が、入所者の方にとってはトラウマというか、いまだに拭えないものとして残っています。今でも療養所には偽名の方が半数ほどいらっしゃいますし、社会復帰した人も病歴の暴露に怯えながら暮らしているような状況です。そのような意味で、ハンセン病問題は終わっていなくて、これからも伝えていかなければならない問題だと思っています。

今回の受賞を機に、連載が書籍化されることになりました。連載は終わりましたが、これからも細かくフォローしていきたいと思っています。

同 受賞者 平田桂三氏の挨拶

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取材執筆に関わってくださったすべての方にお礼を申し上げたいと思います。伝えていく、聞いたものの責任として書いていく、というスタンスでやってきました。ただ、伝えたかったのは、誰が病気になっただけの彼らを療養所に追い詰めたのか。裁判では、国であり医療であり宗教であり、それぞれの責任が明確になりましたが、関心を示さなかった私たちマスコミの責任でもあったのでは、と思っています。

今、岡山県瀬戸内市長島の2つの療養所を中心に、療養所を世界遺産にしようという運動があります。また、元患者の家族のみなさんが、この春一斉に国に対して訴訟を起こしました。まだまだこの問題は終わっていません。私はこれからも、この問題をみなさんに伝え続けていきたいと思っています。

公共奉仕部門 奨励賞 受賞者 仲屋淳氏の挨拶

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新潟日報社は来年創刊75年となります。日本国内でも国の原子力政策の最前線で報道活動をしている新聞社の一つです。

特に柏崎刈羽原発が地震で損傷した2007年の中越沖地震後は、原発の耐震安全性について集中的に取材をしてまいりました。東京電力福島第1原発事故後も、安全性や過酷事故、住民の安全確保、日本海側の地震研究の在り方など多角的に報道をしていました。しかし、手をつけていなかった問題がありました。その一つが今回の連載で核とした、原発は地域経済に本当に役に立っているのかというテーマだったのです。

原発が地域経済に貢献しているのだろうかという疑問は、柏崎刈羽の現状を照らし合わせて考えると、常に疑問を抱かざるをえませんでした。この問題は、立証が難しいため、まことしやかに原発が地域経済に必要という説が長い間「神話」のように原発立地地域で流布されていました。取材班が1号機着工前から約40年間の統計をまとめ、立地地域100社の経営者への聞き取りで導き出した答えは、福島事故後、原発が停止していても売り上げへの影響、並びに各種指標をみても原発立地による地域への経済波及効果は極めて限定的で、原発は地域の産業の核にはなっているとはいえないことが分かりました。これは自ら調べて、足を使って人に聞くという記者の基本を忠実にこなした結果です。私どもが用いた取材手法は全国の立地地域でも応用できるものではないかと思います。

柏崎刈羽原発6、7号機は現在、再稼働の話が出始めています。福島で事故を起こした東電の原発であるため厳しく住民視線で検証していきます。しかし、再稼働する、しないだけに注目すると、大事なことを見失ってしまうと考えております。何をいいたいのかといえば、柏崎刈羽をはじめ、国内の原発が再稼働をしてもしなくても、原子力政策は行き詰っているという現実があるということです。今回の受賞を励みに、この原子力政策をめぐる現実をさらに取材を進めて、「原発は必要か」という重い課題を今後も問い掛けていきたいと考えております。

草の根民主主義部門 奨励賞 受賞者 菅野完氏の挨拶

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今この瞬間になっても、まだ私みたいな者が、栄えあるこの賞を頂戴して良いものかどうか、ちょっと驚きと戸惑いを感じています。私は個人での受賞となりますが、正直それを誇りに思う気持ちもあります。

今日シャワーを浴びてスーツを着ていたら、娘から「パパ今日どこ行くの?扶桑社の人とも会うの?喧嘩しないでね」と言われました。娘の中で、僕と扶桑社は喧嘩している、という認識になっているようです。実際そうでした。『日本会議の研究』を書くにあたって、約1年間ウェブ上で連載してきましたが、担当編集者とは怒鳴りあいの喧嘩を何度したかわかりません。二人で議論をし、励まし合い、罵り合い、褒めあって、あの本は出来ました。さきほど「個人で取ったことを誇りに思う、ところもある」と述べましたが、娘のひと言で、そんなはずはない、と気づいたのです。会社があり、優秀な編集者がいて、上司が彼の果敢な挑戦を支えてくれたから、この作品を世に出すことが出来ました。

私はいまだに、自分のことをジャーナリストだとは思えずにいます。まだ、本籍地はサラリーマンだ、と思うところもあります。サラリーマンとして生き残る知恵は、絶対に嘘をつかない、そして図太く生きる、ということです。今後は、サラリーマン時代に培った嘘をつかないという心情と図太さで、この賞を励みにしつつ、もうちょっと出世したらテレビにも出て、現政権から寿司や天ぷらをおごってもらっても、ちゃんと批判できるジャーナリストになろうと思っています。

 

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