麻布学園 理事 氷上信廣さん 第二世紀へのメッセージ

麻布学園 理事 氷上信廣さん

麻布学園 理事
氷上信廣さん

実益偏重の世の中に抗い、人間の“根っこ”を磨く教育を。

高校“御三家”の一つと称される私立麻布学園。名門大学への進学実績のみならず、私服通学や生徒の自主運営による文化祭など、自由闊達な校風で知られています。同校で昨年までの10年間、校長を務められたのが氷上さんです。独自の教育信念が形成された背景や、教育者としての取り組みについてお聞きしました。

さなぎ期を経験した麻布での生活

―ご自身も麻布学園で中・高時代を過ごされています。学校生活の思い出を振り返っていただけますでしょうか。

麻布学園は1895年創立と、私立の中高一貫校としては古い歴史を持ち、また、創立者である江原素六先生から受け継がれた、自由な校風で知られた学校です。そうした点を気に入った父に勧められるがまま、私は麻布に入学しました。実際、生徒を個として尊重してくれる先生方に囲まれながらの学校生活は、自分の肌によく合いましたね。学業だけでなく新聞部の活動にも精を出し、ニュースを追い求めて校内中を駆けずり回るなど、のびのび過ごしていました。

でも高校生になる頃、私の内面に大きな変化が生じます。心に言い知れぬ葛藤を抱え、それを周囲にのぞかれまいと感情を内に閉じ込めた、無口な青年となったのです。私はそうした自分の体験、さらには教育者としての経験から、人間は“変態動物”であると確信しています。つまり、少年は活発に動き回る幼虫に、青年は分厚い殻をまとい内側で必死に組織形成をするさなぎに、そして大人は立派に羽ばたく成虫に例えられるのです。

当時の私はさなぎ期の真っ只中にありました。今振り返ると、現在の自分の思想・人格の根幹を形成する上で欠かせない時期であったことがよく分かります。自分とは何か、人間や社会とは何か、本質を探究するために文学を読みあさり、幼少期から触れてきたキリスト教を深く理解しようと、自発的に学び始めたのもこの頃です。そうやって思考を巡らす中、より実践的な政治思想に興味を持つようになった私は、その分野の教授陣が充実していた早稲田大学を進学先に選択。学者であった父や祖父と同じように、将来は大学で研究に身を投じたいという夢を描きつつ、政治経済学部に入学したのです。

大学紛争で夢を断念 新たな道を志す

―早稲田大学では、どのような学生時代を過ごされましたか。

学部時代は、図書館での読書や聖書を研究するクラブ活動に熱心に取り組み、思想の世界にどっぷりひたる生活をおくっていました。でも修士課程に進むのと時を同じくして、私は人生の大きな転換点を迎えることになります。

ちょうど大学紛争がピークを迎えていた時期。日本だけでなく世界中の学生たちが、若者ならではの感性で近代文明に対する異議申し立てを行っていました。私も思想の実践として行動を起こす選択をし、バリケードの中に入りました。大学に盾突いたわけですから、それは学者としての将来を捨てることと同義でした。

しかし、警察の強行突破によって各大学のバリケードは崩され、大学紛争は終焉を迎えます。私は一般企業に就職していく多くの友人たちに違和感を覚えつつ、自らへの落とし前として修士論文を書き上げた後、進路を模索します。その中で、大学紛争の経験を通して身についた、世の中の本質を追求する姿勢を崩すつもりはありませんでした。それは自分と社会はひと続きであり、無関係でいるのは不可能ということにほかなりません。だからこそ社会を常に全体としてとらえ、しかし自分の足下を見つめながら、社会を良くするために行動し続けることが大切だと考えました。

その結果たどり着いたのが、人間形成において最も重要な“さなぎ期”にある青少年たちの教育に携わりたいという思いです。それから一念発起して教職免許を取得し、希望していた倫理社会(当時)の教員枠に空きのあった、母校・麻布学園に運よく採用されたのです。

学びへの渇望に触れ無上の喜びを感じた

―教育者として貫かれてきた信念について教えてください。

私が着任したのは、大学より遅れて起こった高校紛争が収束した直後でしたが、生徒たちからは、紛争に飽き飽きしている様子が垣間見えました。そこで私は放課後に「無単位倫理」という呼び名の読書会を始めました。参加は自由で、生徒が興味を持った思想者について研究し、その内容を皆の前で発表するというものです。毎年十数名が参加してくれ、中には受験勉強で忙しいはずの高校3年生の姿もありました。そうやって、さなぎ期ならではの学びに対する渇望のようなものに触れられることは無上の喜びでした。「とにかく、むちゃ面白い」。教員という職を表すなら、この一言に尽きます(笑)。

校長になってからは、新たに導入された総合学習の時間を活用して、「教養総合」というゼミ形式の授業を取り入れました。受験には役立たないといった理由で、当初は一部の教員や生徒から抵抗を受けたものです。それでも卒業生の弁護士や医師などを講師として巻き込みながら、ゼミのテーマを40ほどに広げていきました。今ではこの授業もすっかり定着しています。

こうした取り組みは、「早期から専門性を磨いてほしい」という現代社会の要請に背を向けるものです。そこに込めたのは、より普遍性のある教養学習によって人間の根っことなる感性、あるいは徳性といわれるものを育てたいという思いです。世の中では功利主義や現実主義が加速していますが、このままでは長くはもたないでしょう。最近流行り言葉のようになっている“持続可能な社会”のためにも、どこかで立ち止まり、従来の手法を考え直す必要があると考えています。

在野の精神の本質を貫くべし

―麻布学園から多くの生徒が早稲田大学に進学しています。今後の本学には何を期待されますか。

小学生の頃から文学や詩、映画に触れるなど、徳性や感性はなるべく早くから磨かれるべきものです。ただ、世間一般の学校教育ではそのようなことにじっくり時間を割くことはありません。だからこそ大学でも引き続き、教養教育に力を入れてほしいと思っています。早稲田大学には創立時より受け継がれる、在野の精神があります。その本質とは、世の中の流れに杭くいを打つということではないでしょうか。実益偏重の社会にくさびを打ち、学生たちの人間として素敵な面を伸ばしていく。そんな姿勢に期待しています。

麻布学園 理事 氷上信廣さん

1963年麻布高校を卒業し、早稲田大学政治経済学部入学。政治学研究科修士課程修了後、ドイツ留学を経て、1974年より麻布学園社会科教師に。2003年から2013年まで校長を務め、現在は同校の理事。

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