第20回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」贈呈式 受賞者挨拶 ―片山 夏子 氏

※第20回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」贈呈式 式辞・講評 はこちら

【公共奉仕部門 奨励賞】
『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実、9年間の記録』 書籍(朝日新聞出版)

片山 夏子(東京新聞社会部)氏の挨拶

朝日新聞出版編集部の内山美加子氏

※当日は、片山夏子氏は東日本大震災の福島での取材のため欠席されました。朝日新聞出版編集部の内山美加子氏よりご挨拶いただきました。

「本日は、このような素晴らしい賞を受賞することができ本当にうれしく思っております。ありがとうございます。本日、受賞者の片山記者は3.11の10年目ということで福島支局長ということもあり現地で取材をしていますので、担当編集者の私が片山記者から預かっている手紙を代読いたします。


東日本大震災と福島第一原発事故から10年が経つ今日、3月11日に、事故後ずっと追い続けてきた原発作業員の10年間をつづった本が、ジャーナリズムとして評価され、賞をいただけることを心より嬉しく思います。

福島での取材がどうしても外せず、授賞式を欠席することをお許しください。

事故直後、国や東電の会見を聞きながら、現場にいる作業員は次の水素爆発が起きたら生きて帰れるのか、次々と危機が襲う中で、どんな思いでいるのか……そんなことが頭を巡りました。

会見では作業の進捗状況はわかっても作業員の様子は見えてきません。原発事故が起きたとき、そこにいた人たちに何が起きていたのか、人を追いたいと思いました。

特殊な取材現場でした。原発には東電の許可がないと入れない。入ってくる情報は国や東電の発表ばかり。実際に現場で何があったのか、作業員の話を聞かないとわからないことばかりでしたが、厳しいかん口令が敷かれ、記事を書けばすぐに犯人捜しが行われました。作業員の入れ替わりも激しく、高線量化の作業下、はやければ2-3週間で去ったという人もいます。この10年は取材に応じてくれる作業員を探し続けた年月でした。ある作業員は原子炉建屋内で20キロの鉛を背負って駆け上がりました。線量計は鳴りっぱなし、全面マスクの苦しいなか、「早く終われ早く終われ」と彼は祈り続けたと言います。地元から通い一生働くつもりであった原発を、被爆線量が増えたからと解雇され、「俺は使い捨て」と自分の存在価値に悩み、うつ状態になった作業員もいました。

原発で働くために避難する家族と離れて暮らし、こどもの成長をそばでみられないと苦しむ作業員。離れて暮らす息子に「パパいらない」と小さな手で押しやられ悩む他県から来た作業員。原発作業員の彼らも、誰かの息子であり、夫であり、父親であり、友人で、心配する誰かがいました。

今日も、作業員はいつものように現場で目の前の作業を一歩でも進めようと奮闘しています。原発事故は終わっていません。そして一日も早く廃炉にしたいという彼らをこれからも追っていきたいと思います」

Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/top/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる