第15回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」贈呈式 総長式辞・講評および受賞者あいさつ

12月10日、第15回「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」の贈呈式を行いました。鎌田薫総長の挨拶に続いて、大賞3名・奨励賞1名の受賞者に、賞状、副賞のメダル及び目録が授与されました。本賞及び授賞作等についてはこちらをご覧ください。

第15回を迎えた今年の贈呈式には、受賞者と共に取材・報道に尽力した取材チーム等の方々をはじめ、報道・メディア関係者、ジャーナリストを志す本学学生など約130名が出席。選考委員を代表して鎌田慧氏から講評が述べられ、その後に続いた受賞者および関係者の熱いスピーチに、来場者は熱心に聴き 入っていました。

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式辞 鎌田薫総長

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石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞は2000年に創設され、2001年に第一回の贈呈式を開催しました。本年は15回目の記念すべき会です。お忙しい中お集まりいただいた多くの皆様に、また多くの若い皆様にも来ていただき、大変嬉しく思っています。15回の歴史を重ねた本賞は、社会的評価も高まりつつあり、今年度は117件のご応募・ご推薦をいただくことができました。その中から今年度は、3件の大賞と1件の奨励賞を選考しました。受賞者の皆様に、心よりお祝いを申し上げます。また短い期間内にご評価・ご選考いただいた選考委員の皆様方にも、心よりお礼申し上げます。

さて石橋湛山は本学出身の最初の総理大臣です。戦前には植民地主義・帝国主義に強く抵抗し、戦後にはGHQの横暴を許さない、まさに独立不覊の精神をもってジャーナリズムの真髄を貫いた大先輩です。まさに早稲田の精神的支柱です。誰もが気軽に情報を発信でき、どこからでも情報にアクセスできるようになった今日、デマゴギーやプロパガンダ、あるいはエンターテイメントと、ジャーナリズムの境界が曖昧になり、不透明感が増している今日こそ、湛山が示したようなジャーナリズムの本来の姿を世に問うことが求められています。湛山を模範とするようなジャーナリストが陸続と輩出することを願います。

今回の授賞作は、厳しい状況の中で努力を積み重ねて大作にまとめた作品もありますし、地域の問題にじっくり取り組んだ作品もあります。日本のジャーナリズムだけでなく、世界のジャーナリズムのあり方を考えさせる優れた作品だと思います。また記念講座をきっかけとして若い諸君が、ジャーナリズムの真髄を注ぐ、先輩に勝るとも劣らないジャーナリストになりたい、という志を継承していってもらえるものと期待しています。

重ねて受賞者の皆様のご研鑽とご苦労に最大限の敬意を払いますとともに、この受賞がさらなる飛躍の契機となればと願っております。

講評 鎌田慧委員

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石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞は創設から15年が経ちましたが、だんだん選考が難しくなってきました。頭を悩ませることも多いのですが、それはとても良いことだと思います。報道の力が失われてきた、とよく言われますけれども、どっこいまだまだ頑張っている、ということがよくわかります。またこの賞は新聞や単行本などの活字媒体だけではなく、映画やテレビ、写真集なども扱っています。ジャーナリズムに関わるありとあらゆる作品が集中して現れてくる、というとても奇妙な賞になっています。

石橋湛山を記念している本賞の特質は、すなわち平和主義と小国主義──いま日本はその名誉を返上しようとしているのですけれども──と批判精神、の三つを柱にするということです。これはジャーナリズムの精神をよく表していると思います。またさらに特筆すべきことは、今回の授賞作品に単行本が二本入ったことです。単行本はあまり賞に恵まれない状況でしたが、それは応募が少なかったからです。今回、これほどまでに重量級の本が2冊も受賞しまして、これからはどんどん増えてくるだろう、したがってますます選考委員の苦労も増えるだろう、と思います。

公共奉仕部門 大賞
沖縄の自己決定権を問う一連のキャンペーン報道~連載「道標求めて」を中心に~
琉球新報社 編集局文化部記者兼編集委員 新垣 毅氏

膨大な記事をお一人で丹念に取材してきた、エネルギーと努力が感じられます。沖縄のプライドを発揮しようというモチーフが、全体をよく貫いています。沖縄の皆さんに対して、私たち本土に住むものは本当に申し訳ない、と日々思っているのですが、この作品はある種の被害の意識を抜け出して、自己決定権、自決権ということをテーマにし、琉球王国以来のプライドを持ってきた、ということを証明しようとしています。

辺野古では海上保安庁と本土から入った機動隊が日夜デモ隊を弾圧しています。そのなかにあって、沖縄の人たちがプライドを持っている、ということに励まされます。本作品は、琉球王国の時、諸外国と条約を締結していた一個の独立国であった、という事実を掘り起こしています。本土と沖縄の関係が緊張するなか、どう私たちが沖縄と連帯してゆくか、という考察の導きの糸となる作品です。

草の根民主主義部門 大賞
『原爆供養塔~忘れられた遺骨の70年~』 堀川 惠子氏

個人的には、堀川さんの最初の作品から、極めて緻密な取材と柔らかな筆致に関心していました。今回受賞されて、とても嬉しく思います。

さて本作品は、佐伯敏子さんという、平和公園の遺骨塚にいつもいらっしゃるおばあさんの歴史を通して、人間の豊かさ、貧しさを描いています。堀川さんは、彼女の記録を託されたような形で、全国を回って被爆者の思いを伝えてきました。いわば「鎮魂の紙碑」というあり方があるのでしょう。

文化貢献部門 大賞
『帝国の慰安婦~植民地支配と記憶の闘い~』 朴 裕河氏

まず、驚かされました。「従軍慰安婦と軍隊」という関係からではなく、「帝国主義」という枠組みの中で、人間の精神がどうなっているのか、という問題を掘り起こしてきた作品です。ほとんどの委員が本作品を推薦しました。これははっきりと申し上げたいのですが、選考委員は政治的な意図を持って賞を与えたわけではなく、選考委員の満場一致で授賞を決めたのです。

歴史は記録をいろいろな教訓として整理してしまう、それをもう一度掘り起こして腑分けしてゆく、という冷静な作業が、得てして感情的な記録を作りたい人からは「冷静すぎる」と批判されるのではないか、と思います。この作品は、今後の日韓関係の中に自立している本だと思います。歴史的な作品に賞をあげることができ、嬉しく思います。また本賞にとっても、初めての外国人の授賞者です。

公共奉仕部門 奨励賞
NHKスペシャル「水爆実験60年目の真実~ヒロシマが迫る“埋もれた被ばく”~」
取材班 代表 高倉 基也氏(NHK広島放送局 チーフ・プロデューサー)

とてもよい仕事だと思っています。いうまでもなく、ビキニ環礁での水爆実験によって、第五福竜丸は被爆しました。水爆マグロのことも皆さんご存知だと思います。けれども、第五福竜丸だけが問題だったのではなく、その周囲にいた漁船もみな被爆していたということの論証が、本作品の中心になっています。被爆漁船の調査を大規模にやったことに意義があります。これからの日本は、「被爆」が大きな問題になっていく。もうすでに甲状腺がんの子供が115人確定し、被爆労働者が1人認定されています。ビキニ環礁にいた漁師たちが、日米の核政策の犠牲になっていた──これは予兆的な本です。大賞を逃したことは残念でしたが、受賞おめでとうございます。

公共奉仕部門 大賞 受賞者 新垣毅氏の挨拶

aragaki_eyecatch取材の発端は、社長から「来年が何の年かわかっているか?琉米修好条約から150年だ」と聞かされたことです。琉球王国が外交権を持っていた時代とはどのようなものか調べろ、というミッションでした。そこで、学生時代以来かもしれませんが、多くの本や資料を読みました。するとあまりに不条理が多い。特に1879年の琉球処分がどれだけ理不尽なものか、よくわかりました。

私は米兵少女暴行事件から沖縄の問題に関わり始めました。それから20年経ちましたが、この事件をきっかけとして交渉が開始された普天間基地問題は、ますます対立と混迷を深めています。この20年何をしてきたのか、私の娘たちに何を残すのか、を考えながら書きました。これは20年というスパンの話ですが、一方で70年というスパンの問題もあります。沖縄戦経験者は、基地が残っていることによって、トラウマにナイフが刺さったままなのです。しかしこの作品が主張しているのは、単に沖縄戦から不条理が始まるわけではない、琉球処分の本質を見なければならない、ということです。今と全く変わらない─その驚きのあまり筆が進みました。沖縄が道具にされてきたこと、すなわち沖縄戦では捨て石にされ、戦後は安保の貢物にされてきた、そういう道具扱いはやめてください、という主張です。植民地主義と決別しましょう、それが、いま沖縄がやっている沖縄の自己決定権の戦いです。植民地主義との決別は、沖縄にとってだけでなく、日本にとっても大きい意義を持つのです。沖縄への基地集中をやめることで、沖縄を平和の要として生かし得るからです。植民地主義との決別の窓口、アジアとの共生の登竜門、第一歩として。さらに、立憲主義や国民主権が破壊されている今日、これに対して本当に声を上げなければならないのは日本国民です。沖縄の戦いは、その先駆になるのではないか、辺野古の戦いは日本の自主決定権の先触れではないか、と思います。

琉球新報は今回で3回目の受賞です。私たちには先輩方から受け継いでいる精神があります。「ハブ噛み魂を忘れるな」というものです。ジャーナリズムは権力の番犬、という言いかたをよく聞きますが、番犬は手なづけられるかもしれませんよね。でもハブは、そういうわけにはいきません。今後もハブ噛み精神を持って頑張って行きたいと思います。

草の根民主主義部門 大賞 受賞者 堀川惠子氏の挨拶

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2年前の本賞でNHKの番組が受賞し、スタッフの一人として舞台に上がりました。その頃、原爆供養塔の取材が始まって数ヶ月が過ぎ、いつ取材から撤退しようかと悩んでいた時期でもありました。先ほど、鎌田委員長から「鎮魂の紙碑」との言葉を頂いた時、決して十分ではないけれど、拙い思いは伝わったかもしれないと少しだけ安堵したところです。今回の取材は、地方局の記者として過ごした広島時代の時以上の距離を歩き、海や山を越え、遺骨の遺族を探しました。それでも一向に行方は分からず、一体いつまで追いかけるのか、そもそも追いかけるべきなのか、迷いは深まるばかりでした。同時に、加害を語ることをタブーとし、被害を語ることのみが歓迎される現在という時代の文脈の中で、広島の思いは受け止められるのか、意図せぬ形で利用されるのではないかという恐れもありました。

迷いを吹っ切り、何が何でもやりぬかねば、と決意が出来たのは、本書の主人公でもある佐伯敏子さんとの再会です。「迷った時は死者と対話をしなさい」という言葉を道標に、常に亡き方々に思いを寄せ、その声を聴こうとすることで内から突き動かされ、迷いを断ち切り、歩き続けることができました。取材の辛さを申し上げましたが、それ以上に、取材を受けて下さる皆さん方のほうが幾倍も辛かったと思います。取材に応じて下さった全ての皆さんに感謝を申し上げます。また「書く」という作業は本来、孤独なものですが、今回は編集者の方々に思わぬ力を頂きました。文藝春秋の武藤旬さんは『火花』を世に送り出すなど華々しい活躍をされる一方で、私であれば行かないであろう場所にまでリサーチの手を伸ばし、大きなヒントを与えてくれました。単行本を担当して下さった林暁さんは、ゲラを読んだ翌日には広島に飛び、本に描かれた場所をくまなく歩いたことを後から知りました。原稿に表れる出来事を自らの目で感じ、確かめた上で推敲してくれた。もちろん編集は戦いですから、ぶつかることもありますが、共に歩んでくれたことに感謝しています。元教諭の竹内良男先生は貴重な資料を3日と空けず拙宅にお送り下さり、どんなに疲れていてもそのカンフル剤に触発されて動き出すことが出来ました。この本は、大勢の方々の広島の記憶を残したいという思いが実現させてくれたものです。ありがとうございました。

文化貢献部門 大賞 受賞者 朴裕河氏の挨拶

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「石橋湛山」を冠する賞を受けることができて、ほんとうに嬉しいです。私は大学院文学研究科の出で、1980年代半ばから90年代の初めまで、ここ早稲田で勉強しました。早稲田で研究できたことは、いろいろな意味で自分に良かったと思っています。

「あれは単なるエッセイ集、散文集に過ぎない」と言われています。私は、一般の方々に読んで欲しいと思っていました。たくさんの人がこの問題を知るべきだ、と思ったのです。注釈つけるなど体裁を整えれば学術書としても出版できたかもしれませんが、あえて一般書として出したのです。辞書を引きますと、「ジャーナリズム」とは、文字を使って最近の事件に関するコミュニケーションをとること、というようなことが書いてありました。つまり、良いコミュニケーションをとってくれた、という点を評価していただいたのだろう、と理解しています。

けれどもコミュニケーションが上手くいかないところもあります。韓国で告訴され、起訴されました。いずれにしても、コミュニケーションが上手くいかなかったのは、自分の責任だと思っています。特に「同志的関係」という言葉。大韓帝国は他の国にではなく「大日本帝国」に編入されたのですが、そのなかにも異なる関係、一般的に考えられているのとは異なる関係があり、それを描いたのです。しかしある方々は、「それは例外だ」とか「破片だ」という批判をします。私はそもそも、それが例外であるとは誰にも言えないと思います。あるいはまた、その絶対数が少ないからといって、それを「なかった」ことにして良いのか、とも思います。

本書はアジア女性基金をかなり高く評価しているように読まれていますが、それは、あのときに存在した日本の誠意を評価したつもりなのです。しかし基金の存在は、韓国ではほとんど知られていません。歴史畑の中では無視されがちだったことがら、すなわち記憶について、書いたつもりです。「例外」かもしれない、しかし大勢に対抗する「例外」は、大事にしていきたいと思います。韓国でも日本に対する批判がよく起きていますが、日本の方にはその例外、望ましい形の方も見てほしいです。それが平和への道ではないかと思います。

公共奉仕部門 奨励賞 受賞者 高倉基也氏の挨拶

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腹の座った賞、書き手の思いを吐露することが許されるような場で安心しています。NHK広島放送局は、8月6日に向けてどんな企画をやろうか、ということで一年が回っているような局です。ご存じのようにNHKは転勤族ですが、8月6日については、先輩から後輩に取材先を引き継ぎながら、70年近くやってきました。今回の水爆実験の話は、広島大学の教員がそういうデータを知ったことをきっかけとして、番組として始まったものです。先生方も、そのようなデータを先輩から引き継いできたのでしょう。そもそもどうやって60年も前のことを証明するのか。教員の方々は退官目前だったり、あるいはすでに一線を退いていましたが、どのようにして被爆の事実を証明するか。その方法は、漁船員の歯の中にある放射線、また血液の中にある放射線の痕跡を探ってゆく、というものです。とにかくリスキーな取材でしたが、世界各地の被爆者について長年にわたって見てきた先生方の、ビキニのことは知らなかった、という悔しさを供養するためのものだったと思います。

しかし、実際に始めて見ると大変でした。歯を抜くお年寄りが出てくるのを待つ、という地道な取材です。なかなか歯の提供者も出ませんでしたし、あまり調査に協力的でもありませんでした。その間、先生方が言っていたのは、「葬られてしまう事実があってはいけない」ということです。その言葉にほだされて、とにかく待ち続けるのはしんどかったのですが、ついに結果に行き着きました。「葬られてしまう事実があってはいけない」、それは我々の仕事にぶつけられた言葉のように思います。非常に大切なことを教わりました。偉大な人たちがまだまだ広島にはいらっしゃいます。まだまだやるべきことがたくさんあります。

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