「汝の隣人を繁栄させよ」 マハティール・ビン・モハマド氏 名誉博士贈呈式挨拶

ご来賓の皆様、ご列席の皆様、こんにちは。

まずは早稲田大学の皆様、名誉博士号の授与をいただき誠に有難うございます。早稲田大学については幼少の頃より耳にしておりました。まだ大学の数がさほど多くなく、マレーシアには一つも無かった時代のことです。

当時最も著名だったのは、英国のケンブリッジ大学とオックスフォード大学、米国のハーバード大学とエール大学でした。続いて日本の慶応大学、早稲田大学を耳にするようになりました。どういうわけか、有名な大学というのは対になっていることが多いようです。

子供時代、自分が大学に入れるなんて夢にも思っていませんでした。有名な大学など絶対に無理だと思っていましたし、もちろん実現しませんでした。私が通っていたのは、名のある大学ではありません。私が卒業したマラヤ大学は、現在世界ランキング200位以内に入っていますが、早稲田大学ほど知名度は高くありません。

ところが本日、私は早稲田大学からこの名誉博士号を授与されるために、ここにいるのです。もちろん学業成果によって得たものではありません。日本語をマスターしていたとしても、試験には絶対に合格できないでしょう。しかし私は大学の卒業に匹敵するものを手にしたと感じています。これに値するだけのことを私が成し遂げたということなのでしょう。この栄誉に関し、再度お礼を申し上げます。

20051203マハティール・モハマンド名誉博士学位授与式-(54)

記念講演会「日本:東アジア結束への鍵」

皆さん、
実のところ、私は日本という国と人々に対してずっと興味を抱いておりました。私が育ったのは、マレーシア、つまりマラヤが英国の植民地であった時代です。1511年にアフォンソ・デ・アルブケルケがマラッカを征服して以来、植民地化は目に見えて進んでいきました。マラヤは小さくて力のない、分裂したマレー諸王国から成り立っていたため、ヨーロッパによる占領や支配を防ぐことができませんでした。それ以前ですら、我々は常に大君主に仕える奴隷のようだったのです。

日本、イタリア、ドイツ、中国など、小さな領土に分裂した過去を持つ他の国々とは異なり、マラヤ諸王国は1957年まで一つの国家としてまとまることはありませんでした。この年、独立して連邦となり、中央政府を設立するに至ったのです。

ヨーロッパの人々は、我々の心をも支配することに成功しました。我々は、ヨーロッパ人は無敵であり、今まで知りえなかった優秀な生物であると信じていたのです。そして全てのアジア人は劣っているのだと信じていました。

植民地時代に通った私立英語学校では、ますますそう信じるように教え込まれました。我々は自国の歴史を学ぶ代わりに、英国の歴史と偉大なる大英帝国の歴史を学んだのです。自分の国が、陽が没することのない国と呼ばれた大英帝国の一部であることを誇りにすら思っていました。この帝国の終わりなど、想像することもできなかったのです。

太平洋戦争以前、英国領マラヤには日本人も何人か住んでおり、おもに玩具の販売や写真店の経営をしていました。ある日、父が日本人地質学者を家に連れて来ました。その地質学者は、小さな果樹園で発見された、奇妙な岩を調査していました。背が低くて、似合わないニッカーズ(膝までのズボン)を履き、分厚い丸眼鏡をかけた、見栄えのしない男性でした。実際、英国の漫画などで描かれるところの、典型的な日本人だったのです。

私が日本人に対して抱いていたのは、物まね人間で、質の悪い製品、英国製品の粗悪な模造品ばかり作っているという印象でした。私が持っていた日本製の自転車は、ハンドル部分のメッキがはがれ落ち、むき出しになったハンドルは錆びてしまっていたのです。

自分が購入した良質な製品のいくつかが日本製であることに、私は気づいていませんでした。「パイロット」や「エバーシャープ」のペンは、英国製だと思っていたのです。大変良い製品でしたが、日本語の名前はついておらず、「日本製」という表記は非常に小さくて見えないほどだったからです。

しかし、日本の製品は劣悪であったにせよ、ヨーロッパ人を連想させる製品を製造できるアジア人を誇りに思っていました。最新の軍艦を使用した海戦で、日本がヨーロッパ国家であるロシアに打ち勝ったことなど、知る由もありませんでした。

1940年までには、マラヤにも戦争の足音が近づいてきました。我々は日本の中国侵略についての記事を読みました。マラヤの新聞では詳細まで報じられませんでしたが、日本と中国の間に大きな確執があることは分かりました。マラヤには昔から大きな中国系民族のコミュニティーがあり、彼らは中国のために戦争資金調達をし、日本製品の不買運動を行いました。しかし私はマラヤ人ですから、中国人のこのような心情には大して興味がありませんでした。英国が、マラヤ人と中国人をうまく別々の区画に分けて住まわせていたため、お互いに存在程度は知っているが、向こうの出来事には関心がない、という状況だったのです。

1941年12月、日本によるマラヤ侵略の噂は現実となりました。私の故郷アロースターに日本軍が現れたのです。これは私にとって忘れられない衝撃的な出来事でした。私の家の近くで英国軍の小隊が雨の中を撤退していくのが見えました。私の中の英国無敵神話は見事に打ち砕かれ、英国とその同盟国が最終的に戦争に勝った後も決して復活しませんでした。日本による侵略は、支配されていた我々の心を解き放ったのです。これは、マラヤおよび東南アジアの多くの人々に対して日本が行った最大の貢献です。

戦争が終わった後、私は米国の爆弾によって完全に崩壊した日本を心に描きました。広島と長崎に落とされた原爆、そして東京の大空襲について思いを巡らせたのです。日本は立ち直れないだろう、立ち直るには少なくともかなりの時間を要するだろうと確信していました。もし立ち直ったとしても、以前のように安っぽい劣悪品を作る、他国を模倣する、二流の日本になってしまうだろう、と。

1961年、終戦から16年経った年に、私は初めて日本へやってきました。そして驚嘆しました。日本は、ほぼ完全に立ち直っていたのです。東京では凄まじいスピードで再建が進んでおり、東京オリンピックに向けて、羽田につづく首都高速道路が建設されている最中でした。大阪では、松下が水田にまで工場を建てていました。日本製品は、もはや安っぽい模造品ではありませんでした。高品質で独創的、しかも比較的安価だったのです。

痛手を癒そうとする敗戦国日本の面影はなく、不死鳥のように灰の中から甦った、力強い日本の姿がそこにありました。悲惨な戦争の記憶を振り払い、復興してその偉大さを取り戻そうという決意に満ちた姿だったのです。

同じアジア人として、私は誇りに思いました。先ほど申し上げたように、1941年から42年の英国軍敗北により、私の白人に対する信頼はすでに打ち砕かれており、1961年に日本で目にしたものは、アジア人としての劣等感をきれいに拭い去ってくれたのです。私はひとりごちました。日本にできるのだから、他のアジア諸国にもできるに違いない、と。

1981年にマレーシアの首相となって最初に頭に浮かんだのは、1961年に目の当たりにした日本復興の光景でした。マレーシアは、日本を真似ることができるだろうか? 国を発展させ、産業化を進め、人々の生活を豊かにする方法を、日本から学べるだろうか? 450年にもおよぶ外国支配の後、果たして自尊心を取り戻せるものだろうか?

ルックイースト政策が策定・採用され、それが発展と産業化に向けたマレーシアの戦略の主要部分となりました。有り難いことに、日本がマレーシアの政策に応え、大学や工場に助成金や場所を提供してくれたのです。一つ後悔しているのは、日本に占領されている間に習った日本語を、ほとんど意図的に忘れてしまったことです。日本語など役に立たないと思っていたのです。大きな間違いでした。私は三人の子供たちを日本へ送り込み、勉強や仕事をさせながら日本語を学ばせました。自ら実例を示してリードするのが一番だと思っているからです。自分の子供にそうさせてもいないのに、他人に日本語の教育を受けるようにと言うことはできません。ルックイースト政策を導入した際、マレーシアの人々はまだ西欧諸国、とくに英国に関心を向けていました。私はこの考え方を変えねばなりませんでした。ルックイースト政策は、そのために計画されたものだったのです。

他者を助ければ、いずれ自分たちに大いなる利益となって戻ってくる、というのが私の信条です。日本企業が資金をつぎ込みマレーシアで産業を立ち上げた後、我々の失業問題解決のために協力し、その他様々な方法でマレーシアを豊かにしてくれたのを見て生まれた考えです。我々の国は豊かになり、日本製品にとって良い市場になりました。明らかに、日本は我々の成功から二度の成功を得たわけです。まずは運用利益、そして我々に製品を販売することによって得る利益です。貧困なままのマレーシアでは、日本の良い市場には成り得なかったでしょう。

結果がすぐに得られないことに業を煮やし、この非政府組織は暴力的手段に訴えました。政府を数々の軽犯罪で糾弾したのです。まず標的となるのは、独立を成し遂げた後、順調に発展しているように見える国々です。これらの国は、非民主的である、人権を尊重していない、環境汚染をしているなどと非難されています。彼らは特に労働者の権利や競合する産業を麻痺させるストライキを擁護しています。

彼らの主張の一部は真実かも知れません。しかし、彼らの国家独立軽視は国際的行動規範に違反するものでした。それでも、洗脳されたマスコミや人々は、その違反が正当化されるべきものとして主張しているのです。独立国家の内政管理は国権であるという原則は、程なくして連続攻撃の的となりました。この原則を無視し、力のある国が干渉の権利を持つべきであるというのです。事実、過去に植民地を所有していた列強により、新しい植民地化の方法が実施され始めています。新植民地化は現実となってきました。

つまるところ、NGO団体が国境や不干渉原則を無視した結果、今日、大国は、独立国の内政に直接干渉し、力ずくで政府を変えるほどの権利が自分達にあると図々しくも思い込んでいるのです。

独立国家の内政不干渉は優れた原則です。独立に意義を与えます。しかし、一部の国では政府が非常に制圧的で、人々は自身を守るには非力すぎ、政府による権力乱用を止めるためには国外に助けを求めるしかない、というのも事実です。

カンボジアが良い例です。ポル・ポト率いるクメール・ルージュの支配下で、200万人のカンボジア人が拷問を受け、最も残虐な方法で殺されました。この大虐殺のニュースは、カンボジア政府自身によって徐々に明らかにされました。世界の国々は干渉の正当性を認めていながら、このニュースを無視し、何もしなかったのです。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは、セルビア人による民族浄化が、テレビを介して全世界の目の前で行われました。およそ20万人のボスニア人が殺されました。スレブラニツァで、セルビア人がおよそ7千人のボスニア人を目の前で虐殺している間、オランダ兵たちは何もしませんでした。内政問題を重視していたためなのかもしれません。しかし、国連を代表してセルビア人の残虐行為を止めないのなら、オランダ兵はそこで一体何をしていたのでしょうか。

ルワンダ共和国、ブルンジ共和国では、部族闘争によって何百万人もの人が殺されました。政府の力ではこの争いを止めることが出来なかったのです。そして、政府による、あるいは政府に法と秩序を維持するほどの力が無いことに起因する大虐殺が、近代において多くの国で起こっています。このような場合でも、内政不干渉の原則を尊重するべきなのでしょうか? いいえ、そんなはずはありません。国際社会には、このような状況が起こるのを防ぐ義務があるのです。そうする権利があるのです。

一方、国が貧しく多くの問題を抱えていれば、隣国や他国はその国の不幸の副次的影響を受けることになります。ベトナムは戦争によって貧困に陥り、米国に対する勝利が生み出したのは、マレーシア沿岸への膨大な数の難民上陸でした。この隣国からの副次的影響への取り組みに、我々は手を焼きました。地域内の他の国々が様々な問題、例えば失業などに苦しんでいる時、マレーシアもその国の不幸の影響力を感じます。逆に、安定し繁栄している時には、マレーシアは望ましくない副次的影響の問題から免れるだけでなく、その国々と貿易を行い、その市場から利益を得ることができるのです。

この経験から、我々はある理念を打ち立て、この理念は国家に大いに役立っています。我々は現在、隣国を繁栄させるための政策を信じ、推し進めています。英国の諺に「汝の隣人を貧しくせよ」という言葉があります。つまり、隣人を貧乏人もしくは乞食にすることで利益を得るということです。他人が負けならあなたは勝ちという考え方です。これはゼロサムゲームでした。我々のスローガン、国家理念は、「汝の隣人を繁栄させよ」です。隣国やその他第三世界諸国の人材のための訓練施設、そしてそこに投資することによってこの理念を実現しています。経済的援助をするような余裕はありませんから。これを政策として採用することで、自国が繁栄し、隣国の問題から副次的影響を受けることが少なくなります。さらにこれらの国々は、我々が必要とする際にはいつでも支援をしてくれるのです。国連のようなものです。「汝の隣人を繁栄させよ」は決して利他的な考えではなく、自己の利益を啓発するものです。日本でもこの理念を採用されるよう、お勧めします。

残念なことに、今日の世界は豊かで力のある国によって先導・支配されており、こういった国々は「汝の隣人を繁栄させよ」の理念に同意していません。いまだに他国を無力にし、貧困に陥らせ、安定を揺るがすことで、自国を繁栄させ安全を確保しようと躍起になっているのです。

これらの大国は、自分たちが使って成功したシステムと理念を採用させ、貧しい国々を助けることを意図しているのだと主張します。全ての国をすぐにでも民主主義にしたいのです。これらの国々を自国の資本、強大な複合企業、銀行などのために開放したがっているのです。

民主主義は素晴らしいと信じているから、自分たちが民主的かつ自由でいるために、人を殺す準備を整えています。自由になるために人を殺すとは、どうも論理的ではないように思えます。しかし、これがまさに今日我々が目にしているものなのです。何十万という人々が飢えに苦しみ、制裁のために医療救済も受けられず、爆弾やロケット弾で攻撃されるのです。彼らが自由になるために。もし民主主義になったとしても、そのために払った代償、人の命や物理的破壊の犠牲はあまりにも高すぎます。例えば日本を民主化する方法は、原爆投下以外にあったはずなのです。

民主主義では選択の自由を提唱しています。しかし、イデオロギーに関して言えば、今日の人々や国々に選択の自由は無くなりつつあります。民主化あるいは民主主義者が参入することによって、体制変革を強いるのです。民主主義者たちは反対勢力に資金を提供し、教育をします。味方である「民主的な」政府に権力を持たせるために、非民主的であると判断した現在の政府を悪者扱いするのです。もしこれに反対すれば、排除・始末、つまりは殺されてしまいます。これは銃によって強制された民主主義です。我々はこの状況をまさに目の当たりにしているわけです。しかし、もしその国に搾取するほどの富がなければ、体制変革が迫られることはありません。貧困なアフリカ諸国では、何もされなくとも何百万という人が亡くなっています。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは、セルビア人による民族浄化が、テレビを介して全世界の目の前で行われました。およそ20万人のボスニア人が殺されました。スレブラニツァで、セルビア人がおよそ7千人のボスニア人を目の前で虐殺している間、オランダ兵たちは何もしませんでした。内政問題を重視していたためなのかもしれません。しかし、国連を代表してセルビア人の残虐行為を止めないのなら、オランダ兵はそこで一体何をしていたのでしょうか。

ルワンダ共和国、ブルンジ共和国では、部族闘争によって何百万人もの人が殺されました。政府の力ではこの争いを止めることが出来なかったのです。そして、政府による、あるいは政府に法と秩序を維持するほどの力が無いことに起因する大虐殺が、近代において多くの国で起こっています。このような場合でも、内政不干渉の原則を尊重するべきなのでしょうか? いいえ、そんなはずはありません。国際社会には、このような状況が起こるのを防ぐ義務があるのです。そうする権利があるのです。

国際社会を代表するのは誰か? 言うまでもなく国連です。国連は、他に政府の権力乱用を防ぐ手段がない場合や政府が法と秩序を維持出来るほどの力を備えていない場合に、国家の内政干渉の権利を有するのです。

しかし我々が実際に目にしているのは、国連の役割と権利を不当に奪取する巨大権力の姿なのです。

一つの国が自ら国際法を犯しているのは誰か判断を下し、国際社会の承認なしに行動を起こす権利を有していれば、権利と権力の乱用につながります。諺にもありますが、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」のです。これはイラクで実際に起こっていることです。たった一人を国から追放するために、制裁措置の結果として50万人以上の子供たちが亡くなり、またイラク侵略中および侵略後には10万人以上の人々が殺されました。さらに悪いことに、独裁者の追放は期待されていた結果をもたらさなかったのです。仮に変化があったとしても、状況は目障りな独裁者が権力を握っていた頃よりも悪化していました。これらは全て、国連に属するべき権力を奪った国の理解の欠如と、行動の不適切さを示唆しています。

権力の分散は、権力の乱用を防ぐ上で重要です。独裁的支配に反対する理由は、この権力の分散が欠けているからです。これでは抑制と均衡が機能しません。民主主義の良い点として、政府に対する選択権を国民が有すること以外に、行政・立法・司法の三権が分立していることが挙げられます。それぞれの機関が、他の機関による権力乱用を監視する立場にあるのです。

立法者であり執行者であり、同時に行政者でもある一つの巨大権力を、国際社会にすら監視されない状態で有していたら、権力乱用が起こります。従って、反対の証拠があるにも関わらず、権力はイラク侵略を決定し、人々を殺し、街を破壊しました。大量破壊兵器を保有しているとされた先導者を国外追放するためです。イラクが大量破壊兵器など持っていなかったことは、もう明白になっています。さらに悪いことには、その巨大権力のリーダーが大量破壊兵器について嘘をついていたことが証明されたのです。それでも、その巨大権力の兵士達も含め、亡くなった人たちを生き返らせることはできません。権力が一つの国に委ねられていれば、このようなことが起こり得る、現に起こっているのです。このように露骨な権力乱用が複数の国から支持されているのを見るのは悲しいことです。権力の独占が支持されるなら、世界は平和な場所にはなりません。

それよりも、世界をもっと民主的にするために努力すべきなのです。そうすれば、抑制と均衡が機能します。これまで長い間、我々は東アジア経済グループ構想を推進してきました。二極世界に戻ることができない今こそ、必要なのです。今日の二大勢力は、(1)北米、(2)欧州連合で、どちらもヨーロッパ系民族です。このヨーロッパ人による世界の完全支配を監視できるのはアジアだけなのです。我々は、アジア諸国の中で日本が先導者としての役割を果たしてくれるものと期待しています。

アジアは、信頼性を持っています。そして北米やヨーロッパが不当に権力を振りかざそうとした際に介入できる経済的および政治的な強い影響力を持っています。

実際、この調停役ができるのは東アジアだけで、現在のところ他地域には不可能です。

残念ながら、東アジアは混乱の最中にあります。我々は今も過去に生き、歴史上の問題が足枷となっています。日本は未だに、過去に犯した過ちを認めようとしていません。

中国も同じく過去に生きています。中国と日本の過去には、互いに怒りと怨みを植え付けるような出来事が多々ありました。しかし過去の闘争と怨みを思い出させる挑発的な行動を意図的にとったところで、そんなものは役にも立たないのです。

ヨーロッパでは、フランスとドイツが100年以上にもわたる争いを繰り広げてきました。しかし両国は、戦争には何のメリットもないと判断しました。そして過去を葬り去ることを決めたのです。怨みを忘れ、協力し合って新しい平和なヨーロッパを築くために。そして我々はその成果を見ています。60年ものあいだ、欧州連合加盟国間に平和が続くヨーロッパを。

我々アジア諸国、特に日本と中国にも、同じことができないでしょうか。過去の過ちを許す必要があるのではないでしょうか? 我々の未来を決定するために。こういった歴史上の問題は、我々を過去に縛り付け、未来を破壊するに違いありません。

東アジア結束への鍵は、日本と中国にあります。東アジア安定の鍵もやはり日本と中国です。過去に非アジア諸国と結んだ同盟関係により、日本は多くの犠牲を払いました。もし再び日本が非アジア諸国と手を組めば、他の東アジア諸国も非アジア諸国との同盟関係を求める結果になるでしょう。そうすれば協力や結束ではなく対立が生まれます。日本にとっても東アジアにとっても、また世界にとっても都合の良いことだとは思えません。

皆さん、
現在、かってないほど豊かで技術の発達した世の中になっています。それでも世界の三分の一は貧困に苦しんでいます。そうかと思えば、一方で十分の一の人々は有り余る程の財産と贅沢品に囲まれた生活を送っています。そしてこの十分の一の人々が、人殺しのために何兆ドルも費やしています。結果、世界の人々はテロの恐怖に怯えながら生活することになるのです。その上、テロ問題は悪化してきています。この裕福な人々が、自分たちの敵をすべて抑圧すべく軍の力を使うからです。

今日の世界がこんなに悲しい状態になったのは、ゼロサムゲームである「汝の隣人を貧しくせよ」の戦略に固執しているためです。この戦略では、他国を貧困に陥れることによって自国を豊かにし、裕福な国々が人々を餓死させる制裁措置を行います。また、人を殺す戦争が、紛争に終止符を打ち、イデオロギーを広めるための手段と考えられています。我々は文明人などではありません。石器時代の人々と同じくらい、ひょっとしたらもっと原始的かもしれません。

このような厄介な状況の中で、大学が担うべき役割はあるのでしょうか。例えば早稲田大学が。皆さんも、自分たちの役割をじっくり考えてみるべきだと思います。知識人が引っ込んでしまったら、この世界は不道徳な輩に支配されてしまうでしょう。言うまでもないことですが、そのような人々が世界を支配するようになれば、我々のすべてが苦しむことになるのです。

それでは、最後になりましたが、この私に名誉博士号を授与くださった早稲田大学の皆様に再度お礼を申し上げたいと思います。 有難うございました。

マハティール・ビン・モハマド氏 略歴

1925年12月20日生まれ。医学博士。地元ケダ州の総合病院に勤務後、1957年に個人診療所を開業。統一マレー国民組織(UMNO)に参加した後もドクター・UMNOと親しまれ、1964年に下院議員に初当選。その後、教育省大臣、副首相を歴任し、1978年からは通産省大臣も兼務、そして1981年に第4代首相に就任した。以来22年間、首相の地位にあり続け、氏のカリスマ的な卓抜した指導力によりマレーシアは高度経済成長を実現、国民生活は飛躍的に向上した。その成功は東アジアの「奇跡」と称され、マレーシアは国際社会から高い信頼を獲得した。1990年にはEAEG(東アジア経済圏構想)、後のEAEC(東アジア経済協議体)のビジョンを提示し、地域経済協力の枠組みの必要性を述べ、“アジアの意志”の代弁者と呼ばれるなど、独自のアジア的価値観を持つ強力な指導者である。

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