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Message from the Director
所長挨拶
ごあいさつ
2026年9月より、早稲田大学各務記念材料技術研究所(以下、材研)の所長を拝命いたしました、吉田誠(総合機械工学科・専攻)です。
1958年3月16日の日本経済新聞には、現在も続く「私の履歴書」と並んで、初代所長である石川登喜治先生が80歳頃に寄稿されたと思われる記事が掲載されています。そこには、東京大学機械工学科を卒業された後、佐世保海軍工廠に入り、造船技術に携わられたこと、そして、仕事を通じて冶金学の知識が不足していることを痛感し、これを学ぶために上司に申し出て英国へ渡られたことが記されています。
当時の造船に関する材料技術の一端を、横須賀港に保存されている英国ビッカース社で建造された戦艦「三笠」にみることができます。海上自衛隊のOBと思われる方から艦内を案内していただきました。その際、指揮所の装甲にはニッケルを含む合金鋼が用いられていると説明を受けたと記憶しています。(独国製浸炭処理済クルップ鋼のようです)日露戦争の時代、すでにこのような鉄鋼材料が実用化されていたことに驚かされます。石川先生が冶金学を学ぶため英国へ渡られた背景には、まさにこのような材料技術の先進性があったのではないかと思います。さらに興味深いのは、第一次世界大戦後の航空機材料に関する石川先生の記述です。戦勝国となった日本は、独国に対して航空機材料に関する先進技術を求めていました。ドーバーで撃墜されたツェッペリン飛行船の一次構造部材の破片(アルミニウム合金)を日本へ持ち帰り分析したものの、同等の性能を再現することができなかったといいます。ドイツのジュラルミン製造工場において、ジュラルミンの押出し温度が日本へ開示されるべきところ、開示されなかったため、やむなく新聞紙の破片を押し出し中のアルミニウム合金上へ落とし、燃え上がるまでの時間を測定したという逸話も残されています。その情報を日本へ電信で伝えたところ、日本の押出し温度がドイツより約30℃低く、それが所期の性能を得られなかった原因であることが判明した、と記されています。
1938年(昭和13年)に石川先生が初代所長に就任された時代には、英国ではすでに高靭性の合金鋼が艦船に採用され、ドイツではウィルムの発明により航空機用ジュラルミンが開発されていました。1940年頃には独国のUボートに溶接可能な高張力鋼板が採用されていました。1940年に登場した零式艦上戦闘機には、今日でも最高の強度を持つ7075系ジュラルミンにつながる高強度アルミニウム合金が用いられていました。鉄鋼材料や航空機材料の技術がこのようなレベルに達しつつあった1938年に、なぜ早稲田大学にあえて「鋳物研究所」が設立されたのでしょうか。
なぜ、鋳物研究所の設置だったのか
第18代所長を務められた中江秀雄先生がまとめられた「材研の歴史」によれば、その背景には、実業界の重鎮であった各務幸一郎氏の喜寿を記念した寄付の構想がありました。養嫡子の良幸氏が鉱山事業を経営しており、本学の採鉱冶金学科の教授との親交もあったこと、さらに当時の小松製作所の重役であった真野官一氏が、鋳造に関する研究所の設置を理工学部長に強く進言したことから、本学が各務氏の好意を受け入れ、鋳物研究所を設置することになったとされています。ここから先は、私自身の推測です。
小松製作所は、石川県小松市の遊泉寺銅鉱山の採掘機械製造を起源としています。その後の機械工業の発展を考えると、動力源となるディーゼルエンジン、とりわけシリンダヘッドやシリンダブロックなどの鋳造部品において、健全な鋳物を安定して製造することが重要な課題となっていたのではないでしょうか。また、1909年の本学理工科の創設に際して、竹内明太郎氏が多額の財政的・人的支援を行ったという本学と小松製作所との歴史的なつながりもあり、こうした背景から、鋳造に関する研究を大学に期待する声が生まれたのではないかと考えています。
石川先生が初代所長を受けられた理由の推察
第二次世界大戦当時、潜水艦にはディーゼルエンジンが用いられていたようです。今日の自動車用4ストロークディーゼルエンジンでは、シリンダヘッドやシリンダブロックには、吸気・排気ポート、水冷ジャケット、潤滑油の通路など、複雑な中空構造が形成されています。潜水艦の浮上や潜航に関する耐圧部品であるバルブハウジングについても銅合金鋳物が用いられていました。このような複雑な形状を、鋳物として運用上問題のないレベルに巣などの欠陥を抑制して製造することは現在でも容易ではありません。
実際、1945年の終戦時点において、日本では自動車やトラックの内燃機関に用いる健全なシリンダヘッドやシリンダブロックを安定して鋳造する技術が、まだ十分に確立されていなかったことが知られています。トヨタ産業技術記念館などを訪れると、戦後の日本の自動車産業が鋳造技術の向上にいかに苦労したかを知ることができます。「鋳物を制するものはエンジンを制する」という言葉がトラックメーカーいすゞ自動車の格言となっていたことも、その重要性を物語っています。第8代所長を務められた堤信久先生から、海軍の技術士官時代、鋳物の欠陥への対処に苦労されたという逸話を聞いたことがあります。
本件の主題と直接関係がありませんが、堤先生から直接うかがった忘れられない話があります。先生が20歳代の頃、呉軍港近くの江田島の海軍兵学校から上官の命令を受け、カッターを漕いで原爆投下直後の広島市内へ向かわれたそうです。広島市内の相生橋の欄干が「ハの字」に開いているのをご覧になり、「ああ、ここが爆心地だ」と思われた、とご自宅でうかがいました。私は、平清盛が開削したといわれる音戸の瀬戸の潮流を実際に見たことがあります。どのルートで広島市内へ向かわれたのかわかりませんが、カッターで広島市内へ向かうことは、瀬戸内海の海流の変化や流速を思うと技術的にも体力的にも容易なことではなかっただろうと思います。
話を主題に戻させて頂きます。堤先生が若き日に鋳造欠陥と格闘されていたとすれば、その上官であったはずの石川先生もまた、鋳造技術を発展させることの必要性を強く感じておられたのではないでしょうか。そのような経験が、石川先生が鋳物研究所の初代所長を引き受けられた理由の一つだったのではないかと、私は考えています。
90年を迎える材研における鋳造研究について
鋳物研究所が設立されてから、まもなく90年の歳月が経とうとしています。現在も材研では高周波誘導炉が稼働し、鋳鉄を溶解して研究に供しています。元東京大学機械工学科の教授の先生が、「早稲田大学では、山手線の内側で鋳鉄を溶かしているのですか」と驚かれていました。その先生自身も東京大学で鋳造研究をされていたとのことです。絶滅危惧種とか残存者利益、といったご発言があったように思います。今日現在、本学で鋳造技術に関する研究をする意義は何でしょうか。
鋳物は凝固するときに膨張したり収縮したりします。凝固後も冷却に伴って収縮します。また、共析反応を生じる合金では、固体状態で膨張することがあります。これらの膨張と収縮は、鋳型によって拘束されます。その結果、予期せぬ変形が生じることがあります。さらに、冷却速度の違いによって残留応力も発生します。これらを設計許容範囲に収める必要があります。湯流れを正確に予測し、湯境や凝固収縮巣も発生させない。これらは、現代の科学技術をもってしても、決して容易な課題ではありません。しかし、「難しいから研究する」というだけでは、研究者の趣味の範疇になりかねません。その先に、誰かの困りごとを解決し、誰かの幸せにつながるという目的があるからこそ、研究するのではないでしょうか。鋳造には、合金を溶解するために多くのエネルギーが必要です。化石燃料由来のエネルギーを使えば、カーボンニュートラルという社会の目標から遠ざかってしまいます。さらに、不良品となった鋳物を再び溶かし、もう一度鋳造すれば必ず良品になる、という保証もありません。鋳造技術を高度化することは、製造コストを下げるだけではなく、資源とエネルギーを有効に使い、環境負荷を低減することになります。
産学連携に関する現在の鋳造研究例
2021年10月、本学とコマツとの産学連携推進に関する包括協定にもとづく交流の一環として、当時の大橋徹二代表取締役会長が、材研における鋳造実験に立ち会ってくださいました。鋳型が熱応力によって破壊することを起因として発生する鋳物欠陥に、「ベーニング欠陥」と呼ばれるものがあります。コマツでは、この欠陥を半世紀以上にわたって克服できず、困っておられるとのことでした。コマツに限らず建設機械メーカーでは鋳鋼製車体部品の許容外変形や鋳造割れ欠陥が問題になっています。材研では現在、このような課題の解決にも取り組んでいます。また、近年では、自動車の軽量化を背景として、アルミニウム合金鋳物、特にダイカストがアンダーボディーなどの大型構造部材に使用されるようになっています。ここでも、新しい研究課題が生まれています。カーボンニュートラルの実現には、電解精錬材ではなく再生材を多く利用でき、不純物元素の許容度が高い、リサイクルに適した合金組成が求められます。一方で、衝突安全性を確保するためには、従来の内燃機関用合金よりも高いエネルギー吸収性能を持つ材料が必要です。さらに、材料の強度と剛性を両立する形状設計、鋳造技術、鋼板との異種材料接合技術など、自動車として成立させるために解決すべき課題は数多くあります。これらの課題を解決するためには、機械工学だけでも、冶金学だけでも十分ではありません。材料を理解し、その材料がどのように溶け、流れ、凝固し、変形するのかを理解すると同時に、それを実際の構造物としてどのように設計し、製造するのかを考える必要があります。すなわち、機械工学と冶金学、ひいては生産加工学を同時に用いることが不可欠なのです。
石川先生から受け継ぐもの
1988年10月、創立50周年を迎えた材研は、その研究対象を鋳造技術からさらに広げ、物理学、化学、物質科学全般を基礎学理とする無機材料を対象とした研究機関へと発展してきました。それからさらに約40年。それぞれの学問分野はますます深く、精緻になっています。しかし、社会が直面する課題は、一つの専門分野だけで解決できるものではなくなっています。石川先生が冶金学を学ばれたように、私たちもまた、自らの専門分野を研ぎ澄ますと同時に、異なる分野の知識を導入することで新しい価値を生み出せるものと思います。材研オープンセミナー、教育プログラム、ZAIKEN CAFÉや共同利用・研究拠点事業といった、学内および学外研究機関との交流は、こうした方向性にかなった活動と思います。石川先生が残された「鋳物研究所は工業の進歩に寄与する存在たらん」という言葉は、90年近い時を経た今も、材研の進むべき方向と思います。今後とも各務記念材料技術研究所に対するご理解とご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。
以上
早稲田大学各務記念材料技術研究所
第28代所長 吉田 誠