Faculty of Science and Engineering早稲田大学 理工学術院

News

ニュース

理工OB 多川知希選手(リオパラリンピック4×100リレー 銅メダル)が、リオパラリンピックの学術院長報告を行いました

日本時間9月13日、リオデジャネイロ パラリンピック陸上男子4×100メートルリレー(T42-47)決勝において、日本新記録(44秒16)の走りで銅メダルを獲得した日本代表。そのリレーメンバーで第3走を務めたのが、本学理工学部および大学院先進理工学研究科の卒業生である多川知希(たがわ・ともき)さんです。

そこで今回、リオから帰国した多川さんをお招きし、竹内淳 理工学術院長、若尾真治 先進理工学部長・先進理工学研究科長、そして、多川さんの指導教員だった武田京三郎教授との座談会を行いました。日々の研究とトレーニングの両立、メダル獲得の裏側などで盛り上がった模様をお届けします。

昔の早稲田らしい、黙ってひとつのことをやり遂げる男

多川氏(左)と竹内理工学術院長(右)

竹内 これがリオの銅メダルですか!「重い重い」とは耳にしたが…本当に重いですね。

多川 パラリンピックのメダルですので点字が施されているのと、今回から初めて、振ると音が鳴る設計になっているのが特徴です。

竹内 改めて、この度はリオ パラリンピックでの銅メダル獲得、おめでとうございます。こうしてメダルを触らせていただくと、そのありがたみを一層感じますし、理工学術院出身者から出た、ということが大変な偉業であると思います。多川さんは、武田先生の研究室で学ばれたということですが、武田先生は教育熱心で熱い先生でいらっしゃいますから、在学中は燃えるような体験をされたことでしょう(笑)

武田 多川君の代は学生が5人。その内、多川君も含め4人が修士課程に進学して研究を続けてくれました。その過程でずっと彼を見てきて「素晴らしいな」と思ったことがあります。多川君は、努力している素振りや苦労している姿を周りに見せず、ひょうひょうと結果を残してしまうんです。

竹内 そうなんですか!?

武田教授(多川氏の指導教員)

武田 実力がない人間は、「こんなに努力をした」というのを他の人に知らしめることで、自分の存在意義をアピールしようとします。でも多川君はそんなそぶりを微塵も見せず、日本新記録の樹立やパラリンピック出場という偉業を成し遂げてきました。学業においても、練習だから輪講できません、研究できません、といったことがないんです。

多川 先生、褒め過ぎです(笑)。

武田 昔の早稲田らしい、黙ってひとつのことをやり遂げる、ということを彼は体現してくれました。だからこそ私は「おめでとう」以上に「ありがたい」とつくづく感じました。

161111_image3

63号館の1階から6階まで、階段ダッシュしていた研究室時代

若尾先進理工学部長・研究科長

若尾 それにしても、北京、ロンドン、そして今回のリオと、3大会連続でパラリンピックに出場しているのが素晴らしいことだと思います。2008年の北京大会のとき、同じフロアで普段顔をあわせていた多川君が出場して感動したことをよく覚えています。

多川 北京パラリンピックは修士1年のときでした。

若尾 在学中は、研究と練習の時間をどのようにやり繰りしていたんですか?

多川 毎日63号館の研究室に通っていましたので、研究が忙しくて練習できないときは、1階から武田研究室のある6階まで、階段ダッシュをしていました。あとは、研究の合間にちょっと時間が出来たときにキャンパスのとなりにある戸山公園の坂を走ったり。

多川 陸上競技だったのがよかったと思います。サッカーや水泳だと、人数が揃わない、設備がないといった理由で練習もままならない状況になりがちです。でも、短距離走は道具も不要で、自分の足とちょっと走る場所さえあれば、いつでもできましたから。

若尾 今は東京電力にお勤めだそうですが、お仕事と練習をどのように両立させているのですか?

多川 平日は普通に仕事をして、業務終了後に時間を見つけて走っています。あとは土日に練習をしています。残業や会社の飲み会があったとしても、「今日は走るぞ」と決めたら、夜遅くなっても家の近くの公園の坂を走ったりしています。そこは、研究室時代と変わらないですね。

竹内 そのモチベーションはどこから湧いてくるのですか?

多川 北京やロンドンで結果を残せなかったので、諦めたくなかったというのが大きいと思います。そして何より、走るのが楽しい。誰かにやらされている感じはなく、歯を磨いたり、お風呂に入ったりするのと同じように、走ることが生活の一部になっています。無理してやっていたら、ここまで続かなかったと思います。

チャンスは降りてくる場所にいないと享受できない

竹内 今回、リオで銅メダルを獲得できた要因はなんでしょうか?

多川 実は、レースでの着順は4番手でした。でも、1位のアメリカが失格となったおかげで繰り上がって獲得できた銅メダルでした。ですから、棚からぼた餅なんですけど…。

竹内 いえいえ。それも実力のうちですよ。

多川 はい。チャンスは、そのチャンスが降りてくる場所にいないと享受できない、ということを改めて痛感しました。日本は実力的には4番手。他の国際大会でもいつも4位でしたし、リオでも他国のメンバー表を見て4位だろうなと思っていました。でも、僕たちにはバトンパスでの失敗がまずありません。もし、上位陣がミスをすれば可能性がある、という状況を作っていたのが大きかったと思います。その上で、僕らは今回、日本新記録の走りができました。自分たちの力をしっかりと出し切れたわけです。

若尾 メダルを獲得して何か変化はありましたか?

多川 4年後が東京大会ということもあると思いますが、注目度が格段に違います。また、前回はオリンピック選手だけだった銀座での凱旋パレードに、今回はパラリンピックのメダリストも参加することができました。これが4位だったらパレードには出られなかったわけです。80万人の観衆に囲まれる、というのは得難い経験でした。

武田 その、注目度が高まっている4年後はどのように考えているのですか?

多川 出たいと思っています。今度は個人種目でもメダルを狙いたい。ただ、私ももう30歳。このままやっていたら記録は伸びません。もっともっと頭を使って、質の高い練習をしなければいけない、と思っています。

武田 じゃあ、早稲田で学んだことが活かせるね(笑)。

多川 量子力学をどうすれば活かせるか…頑張ります(笑)。

竹内 実際、研究室で学んだこと、経験したことで、活きていることはありますか?

多川 毎日、研究室に通う日々を経験したことで、社会に出る準備ができたと思います。研究室に行かないと、武田先生に怒られますし(笑)。それと、仲間に囲まれたことで孤独感がありませんでした。リオから帰国後も、当時の仲間たちが集まって祝ってくれました。

若尾 研究に限らず、学生生活で壁に突き当たっている学生もいるのではないかと思います。そんな学生たちにぜひ、メッセージをお願いします。

多川 武田先生からはよく、「万事全力」という言葉をかけていただいたのをよく思い出します。私の場合、どれかひとつのことに体重を寄せる、ということをしてきませんでしたが、結果としてそれが良かったと思います。競走部にも入らず、個人で練習してきましたが、その分、いろんなところに活動場所を持っていました。理工学部以外にも友だちはいましたし、これがなくなるとダメになる、というものもありませんでした。ひとつのことを拠りどころにするのではなく、いろんなことに体重をかけ、いろんな経験をすることをオススメしたいと思います。

竹内 今日はありがとうございました。4年後も期待しています!

左から若尾先進理工学部長、多川氏、竹内理工学術院長、武田教授。竹内学術院長から記念品(大隈ベア文鎮)と著書「高校数学でわかる光とレンズ」が贈られた。

武田研究室の後輩と。

Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/fsci/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる