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イギリスのEU脱退とイギリス憲法(2/2) イギリスの底力 (中村教授)

法学学術院教授  中村民雄

中村民雄脱退意思をだれが・どういう手続で通知するか

さて、EU条約50条は、第1項で、「いずれの構成国も自国の憲法の要件に従ってEU脱退を決定することができる」と定め、第2項で「脱退を決定する構成国は、その意思を欧州理事会に通知するものとする。」と定めている。これまでの検討で明らかなように、イギリス憲法の要件に従って脱退を決定するのは国会である。国民ではない。ではイギリスが今後EU脱退の道を歩むと仮定したとき、イギリス憲法上は、だれがどういう国内手続により脱退意思を通知するのだろうか。

キャメロン首相は、脱退派多数の結果を受けて辞任の意を表明し、脱退意思の通知は次期首相に委ねるとした(EU referendum outcome: PM statement, 24 June 2016)。では次期首相は国会の脱退議決を経ずに、政府の閣議決定だけで欧州理事会に脱退意思の通知ができるだろうか。

scotish_parliament_debating_chamber_eyecatchこれに答えるには、脱退通知がどんな法的効果をもたらすのかをまず検証する必要がある。EU条約50条の第3項によれば、脱退協定の発効日かまたは脱退協定がないときは脱退通知後2年たった時点で、EUの基本条約の適用が終了すると定める。2年の期間は欧州理事会の全会一致で延長可能であるが、一カ国でも反対すれば延長できない。2年内に脱退協定がまとまらず、期間の延長も認められないなら、脱退通知から2年たった瞬間にイギリス国民はEU法上の権利をすべて失う(ただし国内立法に転換されてイギリス法上の権利になっているものは除く)。また他のEU諸国民もイギリスにおいてはEU法上の権利が行使できなくなる。EU法上の直接の権利義務が消滅するという脱退の法的効果は2年後に生じうる。しかも今のEU法には、一定のEU法上の権利を脱退後も「既得権acquired rights」として保障する旨の明文規定がない。だから2年後にイギリス人にEU法上の権利が何がしか残ると議論するのは非常に困難である。これらを総合すると、脱退通知をすることは、単に脱退協定という条約交渉の開始を通知するという意味を超えている。2年後には今あるEU法上の権利を失うという重大かつ広範な法的効果を全イギリス国民にもたらす危険を非常に高い確率で生じさせる行為なのである。

では首相が閣議決定だけで通知をするのは、イギリス憲法上はどういう行為と位置づけられるのか。これは国王がもつ条約交渉・締結権限という国王大権の行使である。近世までは国王大権は国王が行使していたが、18世紀以降内閣制度が国会内に生じてからは、内閣が国王に代わって行使するようになって今日に至る。

となると17世紀の昔からあった古典的問題として、先の問題はよみがえる。すなわち、国王(これは今は政府)は国会の同意なく国王大権を行使することより国民の自由を奪えるか、である。1600年代の初頭、王の面前で「王といえども神と法のもとにある」と啖呵を切って「法の支配」を墨守した事件(Prohibitions del Roy (1607) 12 Co. Repo 63)で名高いクック(コーク)判事(Coke CJ)は、別件の「布告事件」(Case of Proclamations (1611) 12 Co. Rep. 74)でも国王に毅然と対立し、国王が布告で人々に一定の規制をかけようとしたとき、国王は大権を行使することで判例法や制定法で認められた人々の自由を変更できないと意見した。それ以降これが憲法であり、今日の判例でも、政府が国王大権を根拠に、国会の同意なく制定法を変更する行為は違法とされている(R v Secretary of State for the Home Department, ex p. Fire Brigades Union [1995] 2 AC 513)。

この流儀で考えると、脱退通知は、国会が1972年EC加盟法という制定法でイギリス法上の権利としてみとめたEU法上の権利を2年後に消滅させうる行為なので、単なる政府のもつ条約交渉・締結権限の行使を超えており、国会の事前の同意を必ず得なければならないといえそうである。

もちろん2年間が完全に自動的にEU法上権利の消滅という結果に辿りつくわけではない。脱退協定が妥結しそうで欧州理事会の全会一致での延長許可があるなら、2年間のタイマーは途中で止められる。だがそれらを政治的に達成することは容易ではない今回の場合、敢えて政府の閣議決定だけで脱退意思の通知をするならば、イギリス国内では必ずや訴訟が提起され、当該通知行為のイギリス憲法上の有効性が問われることになるだろう。プラクティカルなイギリスの裁判所は、本当にそういうことが起きるまでは空論だといって訴えを却下するだろうが、本当に起これば17世紀までさかのぼって判例をほじくり返し、侃侃諤々の議論をするに違いない。

(2年間のタイマーを止める苦肉の策として、イギリス政府は脱退協定の対象をEU法上の権利のうち「既得権」として保障するものとしないものとの振り分けに絞って2年内に交渉し、次に脱退後のイギリスとEUとの関係を新たに構築する新関係協定の交渉を数年行うために、脱退協定の発効日は新関係協定の発効日と同日とするといった規定をいれて、2年間をより長い期間に延長してもらって新関係協定を交渉し、両方がそろったところで同時に発効させるといった法的技巧を弄せざるをえなくなるかもしれない。)

もう一つ脱退通知の手続についての論点は、脱退通知をする前にスコットランドや北アイルランドの分権議会の同意も必要かという点である。いまの分権議会を設立したのは1998年の分権法である。その立法時にイギリス全体のウェストミンスターの国会は、分権議会の立法事項にも及ぶ立法をするときは、事前に分権議会の同意を得ることが確認され、それが以後慣行となった(Sewel conventionと呼ばれる)。そして分権議会に移譲された立法権のなかにはEU法が関わるものもあり(農漁業や環境分野の立法など)、ゆえに1998年の分権法は分権議会に対してEU法を遵守する義務を課している。今後もしEU脱退となれば、1998年分権法のEU法遵守義務規定も廃止する必要があるが、皮肉なことに、その廃止は、残留多数を占めたスコットランドと北アイルランドの民意に反する法改正となり、しかもその廃止は分権議会の立法事項に直接影響するから、やはりSewel conventionを尊重し、ウェストミンスターの国会の脱退議決の前に、分権議会の同意をえる必要があるという議論も起こるだろう。法的には、この慣行をいわゆる憲法習律(constitutional convention)として位置づけえなくもないが、そうだとしても憲法習律はのちの国会の立法により破られる弱いものである。だから、ウェストミンスターの国会がSewel conventionを無視して分権議会の同意なくEU脱退法を可決できるといえばできるだろう。だがそうすれば、政治的には国内の亀裂をさらに深めることになるだろう。

イギリスの底力

westminster_eyecatchこれからどう政治が展開するにせよ、イギリス憲法からみれば、国民投票があってもなおウェストミンスターの国会での熟議と脱退議決が、脱退通知の前に必要である。だから一定の時間はかかる。今回イギリスの政府は、内外の苦難を生むような無用の国民投票を実施し、またイギリスの少なからぬ国民が軽率な票を投じてしまって悔いている。だが、イギリスの人々も心から自分の不勉強を悔いるにいたった。ゆえに真剣にEUの長所と短所を見極めて、国益にかなう決定が本当に脱退なのかどうかを議論するのは、むしろこれからだともいえるだろう。その点でイギリスは、EU構成国の中で唯一、EUと構成国の間の権限配分バランスが適切かどうかを包括的、体系的かつ実証的に研究した国であることは指摘されてよい。いわゆるBalance of Competences Review(https://www.gov.uk/guidance/review-of-the-balance-of-competences)と呼ばれる大掛かりな政府主導の研究である(2012~14年に実施)。キャメロン政権はこの研究に着手しながら、それを無視して国民投票に走った。だが今やこの研究が貴重な置き土産として真価を発揮し、これからのinformed discussion(情報を十分に得た熟議)の基礎となるであろう。熟議のうえで脱退の道を選ぶにせよ、イギリスはさまざまの方法で粘り、自ら掘った墓穴を少しでも埋めようとするだろう。イギリスの底力は端倪すべからざるものがある。EU諸国もイギリスとあらゆる方面で友好関係を維持することが利益であり、事を急くべきではないと私は思う。

第1回はこちら

参考文献

Bradley, A.W. 1989 “The Sovereignty of Parliament in Perpetuity?” in Jowell and Oliver (eds.), The Changing Constitution, 2nd ed. (Clarendon Press) pp. 25-52.
中村民雄 1993 『イギリス憲法とEC法―国会主権の原則の凋落』(東京大学出版会)
中村民雄 2012 『ヨーロッパ「憲法」の形成と各国憲法の変化』(山元一との共編、信山社)
中村民雄 2015 『EUとは何か―国家ではない未来の形』(信山社)
中村民雄 2016 「EU脱退の法的諸問題―Brexitを素材として―」福田耕治編『EUの連帯とリスクガバナンス』(成文堂)103-122頁

 

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