School of Law早稲田大学 法学部

News

ニュース

イギリスのEU脱退とイギリス憲法(1/2) まさかの結果(中村教授)

法学学術院教授  中村民雄

中村民雄まさかの結果

2016年6月23日のイギリスのEU残留・脱退を問う国民投票は、脱退派が約4%ポイント上回り多数をしめた。両派接戦が事前の世論調査や討論会の模様でも伺えたが、それでも全世界が結果にまさかと驚いた。他のEU諸国も残念だが尊重はするといった共同声明をだしたが、早く脱退通知をせよとも迫った。その後のイギリス国内政治は混乱しはじめている。

本稿では、政治闘争の土ぼこりを避け、法的な角度からイギリスのEU脱退(Brexit)国民投票のイギリス憲法上の意味と今後の脱退意思の決定の主体と手続について手短に考察してみよう(EU法上の問題は別の機会に論じる)。まずはイギリス憲法の基本から説き起こさねばならない。

 「国会主権の原則」

EUNewsLink63eyecatchイギリスには成文憲法典がない。だが、判例法や制定法により一定の憲法原則は確立している。その一つが「国会主権の原則」である。19世紀の憲法学者ダイシー (Dicey)の古典的な定義では、国王・貴族院・庶民院の三者からなる国会は法的に無制限の立法権をつねにもち、国会以外の何人も(たとえば裁判所も)国会の制定した法を無効にできず執行を拒めない。今でもこの古典的定義は、後述するようにEUとの関係では修正されているが、イギリス憲法の基本原則と考えられている。

実は40年以上前、イギリスが1973年にEU(当時のEC)に加盟する直前に2件の訴訟があって、イギリスにはこの古典的な定義での「国会主権の原則」があるから、そもそもイギリスはEUに加盟できないと論じる原告があった。いわく、ECではEC法がそれに反するあらゆる各国法にいつでも優先し、明確で無条件なEC法は各国の裁判所で直接に行使可能な権利を人々に生じさせることになっている。そういうECに加盟するならば国会がEC法に反する立法をしてもつねに人々はEC法上の権利を優先的にイギリスの裁判所で行使できるわけだから、「国会主権の原則」がEC法により破られてしまう。政府がそういう結果をもたらすEC加盟条約に署名すること(1971年の訴訟)やしたこと(1972年の訴訟)はイギリス憲法に反し違法だ、と。

しかし、万事につけプラクティカルなイギリスの裁判所は訴訟を2件とも却下した。目の前にEC法に反する国会立法がない限り空論だ、訴訟として成り立たないというのである。もっとも1件目の判決においてデニング判事(Lord Denning)は、今日の目からすれば預言者のごとく、「女王陛下の閣僚[=政府]がこの[EC加盟]条約に署名し、国会がその実施法を制定したならば、国会が後にこれを破って脱退を試みるとは私は予想しない。とはいえ、万一国会がそうするなら、それはそのときに考えることである。」と述べていた(Blackburn v Attorney General [1971] 2 All ER 1380 at 1383)。

やがてイギリスの裁判所も1990年代初頭についに目の前にEC法に反する国会立法の事件を抱えた。そして言った。国会は法的に無制限の立法権をもつ。だが国会は1972年EC加盟法(European Communities Act 1972)という立法でEC法をイギリス法として受入れて優先させる意思を示した。その国会意思が後の国会により明示的に覆されない限りは、EC法に反する国会立法よりもEC法を優先させるべきだ、と(R v. Secretary of State for Transport, ex p. Factortame Ltd. [1991] 1 AC 603 at 658-659)。これは1991年当時のイギリスの貴族院上訴委員会(the Appellate Committee of the House of Lords, 今日のイギリス最高裁判所に相当する機関)が下した判決である。

要するに、ECに加盟してEC法を全面的に受容する意思を示した1972年の国会立法を明示的に覆さない限りは(=それは脱退するときだがそれまでは)、イギリスの裁判所もEC法を優先的に適用するといったわけだ。こうしてEC加盟後のイギリスでは、国会の立法権はEC法(今日のEU法)によって制約されるようになり、古典的な定義での「国会主権の原則」はEUとの関係で修正されている。ただし、EUから脱退し1972年の国会立法を廃止する立法は今でも国会ができるのだから、究極の国会主権は残ると考えられている(以上全体につき詳細は、中村1993)。

 Brexit国民投票

こういう憲法の状態の下で、イギリスの人々は2016年にEU脱退・残留を問う国民投票を迎えた。だが憲法的にみれば、この国民投票は無意味に思える。修正された「国会主権の原則」(究極の国会主権)のもとでもEUの脱退や残留を決定できるのは国会であって国民ではない。だから国民投票をしても、その立法の明文で投票結果に国会が拘束される旨を書かない限り、国会は結果に拘束されない。

では今回の国民投票立法(European Union Referendum Act 2015)には、結果が国会を拘束するといった明文はあったのか。それはなかった。逆に最近の別の国民投票法(庶民院選挙制度の変更を問うた)は結果に国会が拘束されると明記していた(Parliamentary Voting System and Constituencies Act 2011)。ということは、今回は国会が意図的に結果に拘束されない道を残したと推定できるし、加えて「国会主権の原則」に照らせば、決定者は国会だから国民投票は単なる参考意見にすぎない扱いになる。かつてイギリスは1975年にもEC加盟を継続すべきかどうかの国民投票をしているが、そのときも結果に国会が拘束される明文はなく、憲法上は単なる参考意見とされていた(Bradley 1989)。

だから、政治の現実を別とすれば、憲法上は国会は今でも独自の判断で残留を決めることもできるというだけの根拠は十分にある。(誤解なきよう付言すれば、私は今回の結果に拘束されずイギリス国会がEU残留の決定をすべきだという政治的発言をしているのではない。法を説明しているだけである。)

それにしても憲法的には無意味な国民投票なる政治手段を、なぜEUという国民の理解が不十分なテーマについて、EU批判ばかりを報道するメディア環境にある中で、あえて選ぶ必要があったのだろうか。この「なぜ」は政治の分析作業であって、別の論者に任せたい。

June-2016_0016_eyecatchもちろん国民投票で示された直接の民意を国会議員たちは無視できない。けれども、その民意の無視できない部分が、無理解や誤解や錯誤(勘違い)や詐欺(ウソによる誘導)により形成されていたのであれば、国民投票の結果と国会の決定を直結させなくてもよいという政治的な判断の余地は生じうる。この点で、脱退派の主たる論客たちが、キャンペーン中は、イギリスのEU予算拠出金を財政難に陥っている公的医療サービス(国民健康サービス、NHS)に回せると言いつつ、結果がでた直後から前言を翻す挙にでた点など、いくつかの基本的な情報提供において不誠実であったことは看過できない。Bregret(脱退後悔)が報道されるのを見るにつけ、不十分な理解と偏った情報による浅薄な判断をした国民が相当数いることは確かなようである。また、無視できない数の人々が国会議事堂周辺その他で連日のように残留デモ行進を続けているのも、国民投票が単なる一つの参考意見であって国会議員はそれに拘束されずに国会として独自の決定をするようにとの民意を直接に表明しているものといえる。

このような場合、二度目の国民投票は政治的に無理だとしても、国会を解散して総選挙に訴えて、事実上のやり直しができないのか。日本風にはそう発想するだろう。だが今のイギリスの国会は、5年任期固定法(Fixed-term Parliaments Act 2011)により内閣は解散権を行使できない。よって2015年の総選挙の結果成り立っている現在の国会は2020年まで任期が原則として継続する。これは2010年総選挙で保守党と連立政権をなした自由民主党が保守党による抜き打ち解散を恐れて自己保全のために立法化したのである。これが今度の国民投票ではむしろ桎梏になっている。

もっとも5年任期固定法も、例外的に任期満了前に国会を解散できる場合を2つ規定する。一つは、庶民院が内閣不信任を議決する場合。もう一つは庶民院の総議員の三分の二の多数で早期解散を議決する場合である。だが超党派で取り組んだ国民投票の結果を理由にして、現内閣の不信任を問うというのは政治的説得力がないし、キャメロン首相はすでに辞意を表明しているから、国民投票の責任を理由に不信任する相手がもういない。そして現在の庶民院議員の三分の二以上は残留派であるから、国民投票の結果が気に入らなかったから三分の二条項に訴えて解散総選挙というのも論理的には可能である。だが、やはり民意をないがしろにする行為と国民には、とくにハードコアの脱退派の国民には、映るだろう。だから解散するなら別の理由をくわえないと説得力に乏しい。

こういうわけで法的な角度からみれば、イギリスの人々も国会議員たちも、憲法的には不要のことに熱をあげて国論を二分し、二大政党の混乱もまねき、対するEUからはすぐに出ていけ、脱退通知をするまでは交渉しないとも意地悪く言われ、内外ともに艱難辛苦をもたらす墓穴を掘ったのである。<つづく>

 

参考文献

Bradley, A.W. 1989 “The Sovereignty of Parliament in Perpetuity?” in Jowell and Oliver (eds.), The Changing Constitution, 2nd ed. (Clarendon Press) pp. 25-52.
中村民雄 1993 『イギリス憲法とEC法―国会主権の原則の凋落』(東京大学出版会)
中村民雄 2012 『ヨーロッパ「憲法」の形成と各国憲法の変化』(山元一との共編、信山社)
中村民雄 2015 『EUとは何か―国家ではない未来の形』(信山社)
中村民雄 2016 「EU脱退の法的諸問題―Brexitを素材として―」福田耕治編『EUの連帯とリスクガバナンス』(成文堂)103-122頁

 

Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/folaw/law/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる