
『東京府名勝図絵』(1912年)より、飯田町の「仏国大使館」。『東京府名勝図絵』の出版年とキャプション、フランス公使館の所在地および島田謙吉『大隈侯一言一行』(1922年)の「後に(中略)フランス公使館となつた」という記述を勘案するに、この写真の建物が、雉子橋邸ではないかと推定される。
四季折々の彩りで、学生・教職員や校友の憩いの空間となっている早稲田キャンパス・大隈庭園。かつてここに創設者・大隈重信の邸宅が存在したことを知らない人はいないでしょう。その様子は、『伯爵大隈家写真帳』の彩色写真などから伺うことができます。また歴史に詳しい方であれば、明治初期の大隈が築地に居を構えていたことをご存知かもしれません。けれども、雉子橋(現在の千代田区)にも大隈邸があったことはあまり知られていません。
東京における大隈邸の変遷、そして雉子橋邸時代に起きた一大事件について、5回の連載記事にてご紹介します。