豊竹呂太夫、「志渡寺」に挑む 大隈記念講堂では28年ぶり、素浄瑠璃の会を開催

大隈講堂では28年ぶりの素浄瑠璃の会を開催

早稲田大学演劇博物館では、開館90周年を記念した企画展「歌舞伎・文楽のエンパク玉手箱」を開催しています(8月5日まで)。展示とともに、歌舞伎・文楽に関わるイベントをいくつか予定しており、5月29日には、「豊竹呂太夫、「志渡寺」に挑む」と題して、人形浄瑠璃文楽の豊竹呂太夫、三味線の鶴澤清介のお二人よって、「花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」の「志渡寺(しどうじ)の段」を演奏していただく素浄瑠璃の会を催しました。会場の大隈講堂は、近代文楽史上の巨人である豊竹山城少掾も1947年に演奏したこともある所縁ある場所ですが、素浄瑠璃の会を開くのは28年ぶりのこととなります。

最高位の太夫が丸一段を一人で語り通す

「志渡寺の段」は、明治文楽の巨星・豊澤團平が、舞台でこれを弾きながら倒れて亡くなった逸話でも知られ、太夫と三味線の命をかける大曲と言い習わされています。呂太夫師は、2016年11月文楽劇場で、物語のクライマックスにあたる「切場」の後半分を語った経験をお持ちですが、浄瑠璃の切場はやはり前半・後半と分割するのではなく、最高位の太夫が一人で語り通すべきもの。今や、文楽の太夫の中でも、咲太夫師につぐキャリアを有し、芸力・気力・体力の充実期にある呂太夫師に、ぜひ丸一段を語り通していただこうというところから、上記のような表題となりました。
文楽の本興行でも、前半後半を一人で語り通したのは1974年以来、一人もいません。呂太夫師にとっては、祖父十代豊竹若太夫師の得意とされた語り物でもあり、並々ならぬ意欲で取り組んでくださいました。

左から:太夫の豊竹呂太夫さん、三味線の鶴澤清介さん

クライマックスでは「南無金毘羅大権現」を絶唱、期せずして会場から拍手も

清介師の、時に力強く、時に繊細な、みごとなリードによって、呂太夫師得意の詞も活かして前半では源太左衛門の敵役ぶりが活写されました。後半の焦点となる乳母お辻の祈りは全身全霊の語りで、「南無金毘羅大権現」を唱え続けるクライマックスは正に絶唱、期せずして会場から拍手もわき起こり、演奏後に呂太夫師は「二階席のあたりに金毘羅様が見えた気がした」とも漏らされました。全力を出し切ったおよそ七十分強の大曲の演奏に、客席も大いに堪能された様子でした。

なごやかなアフタートークの様子。左から:太夫の豊竹呂太夫さん、三味線の鶴澤清介さん

聞き手:児玉竜一副館長

約十五分の休憩を置いて、お疲れのところを申し訳なくもアフタートークの場を設けましたが、呂太夫・清介両師ともに、本興行での大曲「本朝廿四孝」勘助住家の段(前半)と、この「志渡寺」のお稽古を並行する大変さに触れられました。体力を要する難曲、大曲とはいいながら、前半後半を通して語ることで、一曲の中での緩急や力の配分、持っていきかたの塩梅などが、実によく計算されていることに改めて気づかされた、とのご感想も重要な指摘でした。緊張感みなぎる演奏とはうって変わり、くつろいだ大阪弁トークに会場もなごやかに盛り上がり、喝采の内におひらきとなりました。(児玉竜一記)

終演後の楽屋にて。左から:児玉竜一副館長、豊竹呂太夫さん、鶴澤清介さん

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