日本近代文学研究者
十重田裕一(とえだひろかず)/文学学術院 文化構想学部 教授
銀座の音の風景 「和光」の鐘
第2回は、「和光」の鐘など、銀座を舞台とした文学作品の中にある音の風景について、引き続き文学学術院 文化構想学部 十重田裕一教授と東京大学大学院 総合文化研究科 ロバート キャンベル教授にお話を伺いました。
(対談日時:2016年4月25日)
キャンベル: 第1回目でも紹介した『東京/銀街小誌』(含翠閣蔵板、1882年)では、銀座の範囲を「此間凡八丁」(この間およそ8丁)としています。今でいうと約870メートルです。この定義は銀座という言葉に含まれる地理的な共通認識を示していると考えられます。たとえば、武田麟太郎はその名も『銀座八丁』(改造社、1935年)という長篇を残しています。また、銀座が舞台となっている小説は、時間の経過やその間に移動する様子が多く書かれる点が特徴であるように思えます。服部時計店(現在の「和光」)にある鐘の音が時刻を知らせますが、これも小説にしばしば描かれます。この鐘の音こそ、銀座の代表的な音の風景の一つと言えるでしょう。
たとえば、井上友一郎はアジア・太平洋戦争敗戦直後から占領期の間に、銀座を舞台とした小説を10冊ほど出版しています。この内の一つ、1952年から「読売新聞」夕刊に連載された『午前零時』(新潮社、1953年)という小説では次のような記述があります。
カラーン
コロン
カラーン・・・・・・
やがて時計台では、ゆつくり一定の間をおいて、爽かな時報の音が響きだした。
いくつ鳴るか。
内海映子は、尾張町交叉点の薄暗いビヤホールの軒下に佇みながら、思わずその音を算えている。しかし、それが十二を打つことだけは、絶対にまちがいない。映子は、ちようど十一時四十分に、築地の協和会館を出てきたのだから、いま、ハットリの時計が鳴り出す以上、十二時に決まつているのだ。
「いやだわ。また、こんな所で待たされるんだから・・・・・・」
お互いに、電話で話して、いますぐ尾張町のビヤホールの角で、と云つておきながら、肝腎の玉木辰也はまだ来ていない。多少、待つたり待たされたりは恋の常だが、それも時と場合による。いくら何でも、こんな時刻、雨の尾張町の立ちん坊では、エチケットもヘチマもありはしない。
カラーン
コロン
カラーン・・・・・・
時計は、悠々として、長い余韻を曳きながら、まだ残りの数を打つている。考えると、ここの時計は、十二をすつかり打つてしまう間が、バカに長い。」 (出典:『午前零時』冒頭「交叉点」)
築地の共和会館から尾張町交差点(現在の銀座四丁目交差点)までの移動距離は、20分もかからない程度であることを示しています。また、文字盤を読むのではなく、服部時計店の鐘の音によって時刻を表現し、音と空間とが一体となった情景として描かれています。
十重田: 興味深いですね。銀座の音の風景としては、他にもありますか。
キャンベル: 鉄道馬車や人力車、さらに車のクラクションなど、交通の音も多く書かれていますね。たとえば、資生堂(現在の資生堂パーラー)の2階に登場人物ふたりが座り、下に銀座通りの往来を見ながら会話をしている場面が徳田秋声の『縮図』(初出「都新聞」都新聞社、1941年)の冒頭に描かれています。ガラス1枚を隔てて、眼下に人混みと車の渋滞、といった具合です。
十重田: 音を描くことを通じて、その都市の特色が浮かび上がってきますね。川端康成も『浅草紅団』(先進社、1930年)で震災から復興する浅草を描くにあたって、実に多くの音の風景を切り取り、その魅力を伝えています。たとえば、開始間もないラジオ放送に加え、参詣人の足音、鈴の音、お賽銭の響きなど、音の羅列によって大震災から復興する街の賑わいや躍動感を表現しています。
キャンベル: 街の賑わい、という意味では、再び銀座の話になりますが、岡本綺堂が書いた随筆「銀座の朝」(初出『文芸俱楽部』博文館、1901年)という作品では馬車の音を背景に、ふだんから声や機械音の中で生きるという人々を順番に登場させています。
この文献の中の音としては、直接的な音は少ないですが、大音量を出して動きだした鉄道馬車の始発や人力車の車輪の音など交通の音に対して、行商の掛け声、法界屋が奏でる月琴の音や法界節の歌声などで活気を暗示しています。そして、そこに登場する女工のひそやかな様子を際立たせてもいます。岡本はプロレタリア文学者ではありませんが、労働者の姿を切り取り、活気ある街の裏で押しつぶされそうになっている人間像を描いています。
十重田: 鉄道馬車の話が出たので、銀座から程近い丸の内で、夏目漱石『三四郎』(春陽堂、1909年)の主人公・小川三四郎が上京し、「第一電車のちんちん鳴る」音に驚いた場面を思い出しました。三四郎がもっとも驚いたのは、「何処迄行ても東京が無くならない」ということです。
この対談を行っている森岡書店のある場所は、かつて木挽町と言われ、昔は職人の街でした。ここに生まれ育った方からは木挽町が、職人たちが様々な物をつくる音が聞こえ、歌舞伎座が近いこともあって歌舞音曲の雰囲気をたたえた、豊かな音の街だったことをうかがったことがあります。現在の銀座を考えると近代的な音が中心であるように見えますが、かつては人の生業を感じさせる様々な音に彩られていたことがわかります。
キャンベルさんがあげた岡本綺堂の「銀座の朝」から時代が下ると、20世紀初頭、イタリアを中心に起って日本にも移入された未来派(伊・Futurismo、英・Futurism)に影響を受けた作家や詩人が、近代化の進展する銀座を描くことになります。伝統的な芸術を否定し、新しい時代の機械美、速度と運動の動態を礼賛する前衛芸術運動に魅了された表現者たちの目には、銀座は魅力的な街に映ったのだろうと思います。そこで選ばれることになるのは、自動車やビルのエレベーターなどが発する近代的な音です。銀座を含む東京の音の変化については、永井荷風の日記「断腸亭日乗」(1917〜59年)を読むと、彼の耳が聴き取った大正時代から昭和時代の音の一端を辿ることができます。
作家が東京の描くにあたって、どのように音を表現しているのか、様々な作品から収集し、時空間の変容とともに考察してみると、新しい発見があるのではないかと思います。
次回は、占領期の銀座と文学との関わりについてお話を伺います。
☞1回目配信はこちら
☞3回目配信はこちら
☞4回目配信はこちら
☞5回目配信はこちら
☞6回目配信はこちら
プロフィール
ロバート キャンベル(Robert Campbell)
ニューヨーク市生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業、ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了。文学博士。1985年に九州大学文学部研究生として来日後、同学部専任講師、国立・国文学研究資料館助教授、東京大学大学院総合文化研究科助教授を経て、2007年から同教授。専門は江戸から明治時代の日本文学。著書に『ロバート キャンベルの小説家神髄―現代作家6人との対話』(NHK出版、2012年)(NHK出版)、『Jブンガク―英語で出会い、日本語を味わう名作50―』(東京大学出版、2010年)、『漢文小説集』(岩波書店、2005年)、『読むことの力―東大駒場連続講義』(講談社、2004年)、『海外見聞集』(共著、岩波書店、2009年)などがある。テレビでMCやニュース・コメンテーター等をつとめる一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組出演など、その深い造詣を活かしてさまざまなメディアで活躍。
十重田 裕一(とえだ ひろかず)
1964年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部(当時)卒業後、同大学院文学研究科日本文学専攻に進学。博士(文学)。大妻女子大学専任講師、早稲田大学助教授を経て2003年から同教授。2015年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)客員教授、2015・2016年コロンビア大学客員研究員を務める等、海外との連携も精力的に行う。UCLAにて国際シンポジウム「READING PLACE IN EDO & TOKYO」開催等。1994年窪田空穂賞受賞。専門は日本近代文学(新感覚派を中心とするモダニズム文学、日本近代文学とメディア、占領期検閲と文学との相互関連性など)。著書に『岩波茂雄 低く暮らし、高く想ふ』(ミネルヴァ書房、2013年)、『<名作>はつくられる 川端康成とその作品』(NHK出版、2009年)、『検閲・メディア・文学 江戸から戦後まで』(共編著、新曜社、2012年)、『占領期雑誌資料大系 文学編 第1~5巻』(共編著、岩波書店、2009~10年)、『The Cambridge History of Japanese Literature』(分担執筆、Cambridge University Press、2015年)など、解説に横光利一『旅愁 上・下』(岩波書店、2016年)がある。
対談場所
森岡書店銀座店
本対談は、銀座一丁目に建つ鈴木ビル1階の森岡書店銀座店で行われました。「1冊の本を売る書店」をコンセプトに、1週間に1種類の本だけを置き、趣向を凝らした展示を行うという独特のスタイルで営業しており、海外の方も多く来店されます。