「特集 Feature」 Vol.11-1 世界的な文脈で対話する、国際日本学の未来へ(全6回配信)

日本近代文学研究者
十重田裕一(とえだひろかず)/文学学術院 文化構想学部 教授

「都中の都」、銀座にみる日本文学

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横光利一や川端康成など新感覚派の作家を中心として、近代日本文学とメディアとの相関、また、アジア・太平洋戦争後の占領期における文学の検閲の実態などの研究を進めてこられた、文学学術院 文化構想学部 十重田裕一教授。本シリーズの第1回から第4回は、花月文庫の文献調査で出会って以来15年以上の仲という、近世・近代日本文学をご専門とする東京大学大学院 総合文化研究科 ロバート キャンベル教授との対談をお送りします。対談場所は、銀座です。近世から近代への移り変わりの中で大きな変容を遂げた銀座という街について、様々な視点からお話を伺いました。

(対談日時:2016年4月25日)

 

十重田: キャンベル先生は近年、「銀座文学探訪」(『銀座百点』銀座百点会、2013~14年)や「銀座文芸の百年」(『文学』岩波書店、2015~16年)などを連載していますが、銀座という街について、どのような関心をお持ちですか。

キャンベル: 銀座に興味をもったのはこの5年ぐらいですが、調べるほどに街の特殊性が浮き彫りになってきました。銀座は、服部誠一によって『東京新繁昌記』(奎章閣、1874~76年)に記されるまでは、目立った街ではなかったようです。1872年の銀座大火を経て、短冊状に区画整理された銀座煉瓦街として生まれ変わり「都中の都(都市の中に埋め込まれた特別な街)」として称されるようになりました。そして、1882年には、『東京/銀街小誌』(含翠閣蔵板)という、今でいう情報誌のような書物も出版されています。

 

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写真:『東京/銀街小誌』の表紙(左)と口絵(右)。京橋から今の銀座中央通りを遠近法により描いている。当時の煉瓦街の新しい建物と、洋風・和風が混ざり合った当時の人々の姿を見ることができる(出典:ロバート キャンベル)

 

十重田: 銀座煉瓦街の完成以降、新聞社や文芸文化に関わる人々が集まってくることで情報交流の場が形成され、飲食・衣料品をはじめ多岐にわたる店が集積することで、作家たちも多く銀座に集まってきたようです。川端康成もその一人で、彼の日記を読むと、銀座をよく歩いていたことが分かります。

キャンベル: この頃の銀座では良い酒を安く飲めたということも、人が集まる環境を醸成する一助になっていたのではないかと思います。国木田独歩の短篇「号外」(『新古文林』近事画報社、1906年)では自分も通い、「灘の生一本」が飲めるという正宗ホールを舞台にしています。

十重田: カフェ文化が花開いたのも銀座でしたね。コーヒーもかなり早い時期から入ってきて、多くの喫茶店、カフェがありました。作家たちが気軽に集える、また足を運びたくなるような「モノ」「ヒト」「情報」が交錯する場所として銀座は存在したのだと思います。

キャンベル: 華やかな銀座を謳歌する一方で、それに相反する気持ちを抱いた作家がいたことも確かです。1923年の関東大震災で再び銀座の街が壊滅した後、1930年の帝都復興祭に向けて、銀座は驚くべき勢いで復興していきます。同時期に作家たちは、各々の銀座に対する思いを作品にぶつけています。

たとえば、永井荷風『つゆのあとさき』(中央公論社、1931年)では、年老いた松崎という男が、大震災から復興しようとする銀座の様子を、震災前と二重写しにしながら見つめています。良い、悪いというのではなく、ただ、震災によって一つの時代が終わってしまったのだということを少し冷めた眼差しで見ているのです。

一方、安藤更生『銀座細見』(春陽堂、1931年)では、冒頭から銀座を虚栄の塊として唾棄すべき街だとして記しています。しかし、さらに安藤が「細見」した部分を読み進めていくと、見事に復興した銀座のルポルタージュとして、様々な情報が情熱をもって記されているのです。安藤は震災を機に、自身が若い頃から親しんできた銀座を離れることにし、そのけじめとして本作品を出版したので、その複雑な心中が表現されていると言えます。

 

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写真:『銀座細見』の表紙。小さく「銀座」という文字をぎっしりと並べたデザインが施されている(出典:ロバート キャンベル)

 

十重田: 関東大震災後、以前にも増して銀座は発展し、それと共に文芸作品も多く世に出されていきます。明治以降、浅草が東京を代表する繁華街でしたが、大震災後、銀座の方が繁栄していきます。キャンベル先生がおっしゃったように、復興期に銀座小説が多く出版されたのも、それと少なからず関わります。

一方、この時期に浅草を書いた作家もいます。たとえば、日本で最初にノーベル文学賞を受賞した川端康成は、浅草だけでなく銀座にも通っていましたが、1930年に『浅草紅団』(先進社)という長編小説を出版しています。1929年12月から「東京朝日新聞」に『浅草紅団』を連載したことで、人々が浅草に再び注目する一つのきっかけとなります。

 

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写真:『浅草紅団』(川端康成、函装幀:吉田謙吉)(出典:公益財団法人日本近代文学館、所蔵番号:P0001016、出版者:先進社、刊行年:昭和5年12月)

 

キャンベル: 川端康成のように作品として明確に「アンチ」銀座を示す方法や、銀座モノを書きながらもその内容に「アンチ」を滲ませる方法など、各々の作家が各々の手法で表現したわけですね。

 

次回は「銀座の音の風景」についてお話を伺います。
 

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プロフィール

プロ1ロバート キャンベル(Robert Campbell)
ニューヨーク市生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業、ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了。文学博士。1985年に九州大学文学部研究生として来日後、同学部専任講師、国立・国文学研究資料館助教授、東京大学大学院総合文化研究科助教授を経て、2007年から同教授。専門は江戸から明治時代の日本文学。著書に『ロバート キャンベルの小説家神髄―現代作家6人との対話』(NHK出版、2012年)(NHK出版)、『Jブンガク―英語で出会い、日本語を味わう名作50―』(東京大学出版、2010年)、『漢文小説集』(岩波書店、2005年)、『読むことの力―東大駒場連続講義』(講談社、2004年)、『海外見聞集』(共著、岩波書店、2009年)などがある。テレビでMCやニュース・コメンテーター等をつとめる一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組出演など、その深い造詣を活かしてさまざまなメディアで活躍。

 

プロ2十重田 裕一(とえだ ひろかず)
1964年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部(当時)卒業後、同大学院文学研究科日本文学専攻に進学。博士(文学)。大妻女子大学専任講師、早稲田大学助教授を経て2003年から同教授。2015年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)客員教授、2015・2016年コロンビア大学客員研究員を務める等、海外との連携も精力的に行う。UCLAにて国際シンポジウム「READING PLACE IN EDO & TOKYO」開催等。1994年窪田空穂賞受賞。専門は日本近代文学(新感覚派を中心とするモダニズム文学、日本近代文学とメディア、占領期検閲と文学との相互関連性など)。著書に『岩波茂雄 低く暮らし、高く想ふ』(ミネルヴァ書房、2013年)、『<名作>はつくられる 川端康成とその作品』(NHK出版、2009年)、『検閲・メディア・文学 江戸から戦後まで』(共編著、新曜社、2012年)、『占領期雑誌資料大系 文学編 第1~5巻』(共編著、岩波書店、2009~10年)、『The Cambridge History of Japanese Literature』(分担執筆、Cambridge University Press、2015年)など、解説に横光利一『旅愁 上』(岩波書店、2016年)がある。

 

対談場所

森岡書店銀座店
本対談は、銀座一丁目に建つ鈴木ビル1階の森岡書店銀座店で行われました。「1冊の本を売る書店」をコンセプトに、1週間に1種類の本だけを置き、趣向を凝らした展示を行うという独特のスタイルで営業しており、海外の方も多く来店されます。

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写真:(左)銀座一丁目に建つ森岡書店銀座店の概観、(右)左よりロバート キャンベル先生、十重田裕一先生、森岡書店店長の森岡督行氏

 

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