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SPECIAL INTERVIEW 河合純一さん

特集:アクセシビリティ支援の現在地

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Tue 30 Jul 24

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内なる意志を伝えるから、 周囲がサポートしてくれる

河合 純一さん(公益財団法人日本パラスポーツ協会 常務理事/日本パラリンピック委員会 委員長)

先天性ぶどう膜欠損症により生まれつき左目の視力がなく、中学生で全盲となった河合純一さん。5歳から始めた水泳で、6大会連続でパラリンピックに出場し、21ものメダルを獲得した、パラリンピック界のレジェンドだ。水泳で世界一を目指すとともに、教師になることを志していた河合さんは、早稲田大学の教育学部に進学。競技生活と教職課程を両立させる、多忙な学生時代を送っていた。

「びっしりとつまった授業の合間を縫い、高石記念プールや所沢キャンパスで練習する日々でした。レポート作成では点字プリンターのあるパソコンルームを用意してもらったり、科目登録は友人や職員さんに手伝ってもらったりと、周囲のサポートはありがたかったです。早稲田には個性が突出した学生がたくさんいて、『目が見えないなんて、大したことないんだ』と、自分を特別だとは思わなくなりました」

大学卒業後は、全盲では初となる公立中学校の社会科教師として勤務。水泳部の指導にもあたった。さらに大学院教育学研究科にも進み、障がい理解教育の研究も行っている。

「当時の小中学校では、車椅子や白杖を体験する福祉教育が普及していました。障がいを知る入り口としては有効なのですが、『大変そう』『かわいそう』で終わってしまいバリアフリーのあり方など、本質的な理解には至らないように感じたんです。なんとかしたいと大学院で教育手法を学び直したのですが、その経験は今もパラリンピック教育などで生きています」

現在、日本パラリンピック委員会委員長を務める河合さんは、アスリートの支援やパラスポーツの普及が活動の中心だ。次世代の育成では、時に厳しさも大切だと語る。

「アスリートの指導で常に言っているのは、内側から溢れる意志がなければ、私たちは支援できないということ。それは大学でも同じはずで、まず“学びたいこと”“実現したいこと”を明確に描き、“できないこと”を伝えるから、周囲が助けてくれるんです。いくらハード面が整備されても、 物事を解決する のは、当事者同士の話し合いです。障がいの有無にかかわらず、最初の一歩は本人が踏み出すべきだと思います」

次々と夢を叶え、新たな目標へと突き進む河合さん。どのような意志が、人生を動かしてきたのだろうか。

「夢が叶うと、楽しいじゃないですか。もちろん、人生にはうまくいかない時もたくさんある。でも傷つかない道ばかりを選んでしまうと、先には進めません。失敗したって許されるのが、若者の特権です。現役の皆さんもぜひ、人や夢と距離を置かずに、自分の個性を磨き上げてください」

◆PROFILE◆

1975年静岡県生まれ。1998年早稲田大学教育学部卒業。2005年大学院教育学研究科修了。生まれつき左目の視力がなく、5歳から水泳を始め、15歳で視力を失う。バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、北京、ロンドンと、6大会連続でパラリンピックに出場。金メダル5個を含む計21個のメダルを獲得。2016年に日本人初となるパラリンピック殿堂入り。2020年日本パラリンピック委員会委員長に就任。

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