アト秒レーザーで光と原子の位相を分離した測定に成功
発表のポイント
- アト秒レーザー光を用いた新たな測定法により、光の位相と原子の位相を分けて測定した。
- 電子の干渉による重なりを分離して、個別の複素数の波動関数イメージを得ることに成功。
- 極端紫外(EUV)領域のアト秒・超短レーザー分光など光量子技術の発展、新規な量子力学計算法の発展、光によって機能する物質や生体分子の開発に寄与することが期待される。
概要
早稲田大学理工学術院の新倉 弘倫(にいくら ひろみち)教授とカナダ国立研究機構の研究者らは、アト秒レーザー光を用いた二次元アト秒測定法により、光のスペクトル位相と原子由来の位相とを分けて測定し、重なり合っていた電子波動関数を分離してイメージングすることに成功しました。この測定方法や解析法は、アト秒領域での固体物理分野などの研究の発展につながり、新しい量子工学技術や光計測技術などの分野での活用も期待されます。
本研究成果は、アメリカ物理学会発行の『Physical Review A』に、“Complete characterization of attosecond photoelectron wave packets” として、2021年11月23日(火)にオンラインで公開されました。
(1)これまでの研究で分かっていたこと
物質に光を照射すると、光の波長や強度に応じて、エネルギーが高い状態(励起状態)や、電子が物質から飛び出す過程(イオン化)が生じます。放出された電子は波としての性質をもつため、振幅と位相の両方の情報からなる複素数の波動関数であらわされます。どれくらいの数の電子が、どのようなエネルギーをもってどの方向に飛び出すのかは光電子分光法により測定され、物質内部の状態などの研究に用いられています。一方、従来の光電子分光法や光吸収スペクトル法などで測定される信号強度は、その自乗(実数)に相当するため、「位相情報」の測定が困難でした。
21世紀に入って発達したアト秒(1アト秒1×10-18秒)科学は、優れた時間分解能だけではなく、電子などの位相を測定する方法を拓きました。アト秒科学には、再衝突電子を用いた方法と、アト秒レーザー光※1を用いる方法との、二つの方法があります。アト秒レーザー光で光電子の位相を測定するためには、複数のイオン化過程により生成した、光電子の波動関数の干渉を利用します。しかし、干渉により得られる光電子の「位相」は、(1)アト秒レーザー光のスペクトル位相(spectral phase)と、原子に由来する位相(atomic phase)とが重なっている、(2)さらに原子位相は、複数のイオン化の過程ごとに異なる角度分布を持つ電子の波動関数(f-波、p-波などの部分波)の位相が重なっている、という問題があり、直接、理論計算と比較可能な位相の値を求めることは困難でした。そこで、これらの絡み合った位相を分離した測定が必要でした。
(2)今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと
アト秒レーザー光のスペクトル位相と原子由来の位相とを分離し、かつそれぞれのイオン化過程で生じた、異なる角度分布を持つ電子の波(波動関数、部分波)ごとの原子位相を決定しました。得られた原子位相と振幅の値から、干渉の結果として重なっていた電子波動関数を、個々のイオン化過程により生成した電子波動関数に分離することに成功しました。
(3)そのために新しく開発した手法
3-1. 二次元アト秒測定法
アト秒再衝突電子法と、アト秒レーザー光によるイオン化法とを組み合わせ、さらに「二次元アト秒測定法」を開発しました。装置系は早稲田大学51号館の新倉研究室で構築されたものです。まず高強度の赤外レーザー光(800nm,ω)とその二倍波(400nm,2ω)をアルゴンガスに集光し、奇数次と偶数次とを持つ極端紫外領域のアト秒レーザー光(アト秒パルス列)を発生させます。発生したアト秒レーザー光と、赤外レーサー光とを組み合わせて試料となるネオンガスに再度集光し、イオン化により放出された光電子の運動量分布(どの角度に、どのエネルギーで電子が放出されるか)を測定しました。ここで、二つの制御可能な「アト秒時間差」があります。ひとつは(a)アト秒レーザー光の発生に使用する800nmと400nmの時間差(時間差A)、もうひとつは(b)アト秒レーザー光と赤外レーザー光の時間差(時間差B)です。これらの二つの時間差を独立に50アト秒以下の精度で安定に変えることができます(1000アト秒=1フェムト秒(fs))。
3-2. 奇数次および偶数次の高調波を持つアト秒レーザー光のスペクトル位相測定
本研究では、アト秒レーザー光の13次・14次・15次高調波と、赤外光による三つのイオン化過程の干渉を利用しました※2。アト秒レーザー光のスペクトル位相は、これらの高調波の次数ごとに、少しずつずれています。まず「800nmのみでアト秒レーザー光を発生したときに対応する、高調波の次数ごとの位相のずれ」を、再衝突電子を用いた方法の一つであるω-2ω法(N. Dudovich et al., Nature. Phys. 2, 781 (2006))を組み合わせて測定しました。時間差Aの関数として、アト秒レーザー光のスペクトル強度を測定すると、スペクトルのピークがシフトします。このシフトからスペクトル位相が見積もられます。一方、今回の研究で用いた「800nmに400nmを加えた光でアト秒レーザー光を発生させた場合のスペクトル位相」は、さらにこれから少しずれたものになります。そこでその「位相ずれ」を次の方法で測定しました。
はじめに800nmと400nmの相対時間差Aを0に固定し、その状態でアト秒レーザー光を発生します。時間差Aを固定したまま、赤外光と重ね合わせ、アト秒レーザー光と赤外光との時間差Bを変えて、放出された光電子の運動量分布(角度分布)の変化を測定しました(右下図)。その結果、角度分布は時間差Bの1.33フェムト秒ごとに、互い違いになっていました(下図(a))。これはアト秒レーザー光と赤外光とによって生成した電子の干渉が変化したことによります。角度分布の時間差Bによる変化から、それぞれのイオン化過程ごとに、重なっている電子の波(f-波・p-波などの部分波)の位相を分離して求めました。
次に時間差Aを585アト秒だけずらして同様の測定を行うと、光電子の角度分布は逆になり(下図(b))、各部分波の位相はπだけずれることがわかりました。これは時間差Aを変えたことによる、アト秒レーザー光のスペクトル位相の変化によるものです。同様に、時間差Aをいくつか変えて、電子の各部分波の位相がどのように変化するのかを測定し、それからスペクトル位相の変化量を見積もりました。その結果、13次高調波と14次高調波は1.4ラジアン、14次高調波と15次高調波は1.6ラジアンだけスペクトル位相がずれていることが分かりました。これらの値を差し引き、三つのイオン化過程ごとにf-波、p-波などの部分波の原子位相を得ました。なお、位相を時間に変換すると、1.4ラジアンは約600アト秒に相当します。
3-3. イオン化過程ごとの電子波動関数イメージ
得られた各部分波の原子位相の値と振幅から、三つのイオン化過程で生成した電子波動関数を個別に再構成しました。過程1は13次高調波と赤外の吸収(H13+IR)、過程2は15次高調波と赤外光の放出(H15-IR)、過程3は14次高調波それぞれによってイオン化により放出された電子波動関数で、複素数のため、実部と虚部にわけて表示しています。ここで、過程1と過程2はともにアト秒レーザー光と赤外光との2光子過程ですが、イオン化の過程が異なるために、生成する電子波動関数の位相が異なっていることがわかりました。このように、(a)スペクトル位相と原子位相とをわけて、(b)f-波やp-波などの部分波の原子位相を求め、それらの値を用いて再構成することにより、(c)干渉の結果、重なっていた電子波動関数を個々のイオン化過程によって生成した波動関数に分離することができました。図の縦軸と横軸は原子単位(atomic unit)での運動量で、「運動量空間での」イオン化状態の電子波動関数イメージに相当します。
(4)研究の波及効果や社会的影響
本研究で測定した電子の部分波の「原子位相」は、光イオン化過程における「遷移双極子モーメント」という物理量の「位相」に相当します。遷移双極子モーメントは光と物質の相互作用にかかわる基本的な複素数の物質量で、物質の波動関数と関係があり、様々な量子化学的計算などで計算されます。しかし、多電子の相互作用が顕著な場合や、速い化学反応が生じる場合には、現在のコンピューターでも、特に位相の正確な計算が困難になります。そこで遷移双極子モーメントの位相と振幅を実験的に得ることができれば、多電子系やレーザー電場中での量子計算方法の発展や、改良につながることが期待されます。例えば分子からの発光や光に対する応答は、緑色蛍光タンパク質などの生物学分野でも重要な役割を果たしていますが、その発光効率の改善や、光遺伝学などにおける新規な制御過程の開発にもつながりうると期待されます。
また本研究では、「2波長を用いてアト秒レーザー光を発生させたときに、そのスペクトル位相がどうなるのか?」について気相で実測したものです。近年では、Vampa et al., Nature 522, 462 (2015)のように、この方法は固体物理で大きく展開されています。本研究で開発した「二次元アト秒測定法」や解析方法などは、アト秒領域での固体物理分野の研究や、光量子測定技術の発展につながるものとも期待されます。
(5)今後の課題
本研究では、特定の波長のみから生じる過程を取り扱いましたが、波長を変えて多くの原子や分子などに適用することや、固体からの光電子分光法や顕微分光法に適用することが今後の課題、方針になります。この場合は、角度分解でより広い範囲でエネルギーを選択できる専用の光電子分光器が必要になります。
(6)研究者からのコメント
光や、電子のような量子的な物質では、波としての性質が重要になります。特にその「位相」情報は、一般に古典的な検出器にあたると消えてしまうため、また複数の様々な位相成分が重なるために、その測定や解析には工夫が必要でした。このような「位相問題」は、光・量子的な測定にはつきものです。今回、アト秒レーザー光を用いて、「どのように個々の遷移過程により生成した電子の位相と振幅を測定するのか」を示しましたが、量子力学の本質である、電子の位相を測定するというアト秒科学の特質を表した研究だと思います。
(7)用語解説
※1 アト秒レーザー光・スペクトル位相
高強度の赤外のレーザー光を気相の原子などに集光すると、その赤外光の波長よりも短い波長の光(極端紫外~軟X線)が発生します。今回使用した、アト秒レーザーパルスがいくつか連続して発生する「アト秒パルス列」(高次高調波とも呼ばれます)では、そのスペクトルには、赤外レーザー光のエネルギー(800 nmの場合は1.55eV)の奇数次倍の高調波によるピークが現れます。例えば11次高調波(11X1.55 eV = 17.0 eV (~73 nm))、13次高調波(13 x 1.55eV = 20.15 eV (~ 61 nm))、15次高調波、と飛び飛びになります。次に800nmの光に400nmを混ぜてアト秒レーザー光を発生すると、奇数次だけではなく、14次高調波(14 x 1.55eV =2 1.7 eV(~57nm))など、偶数次の高調波も発生します。これらの異なる次数(エネルギー・波長)の高調波は、一般にその位相が同じではなく、アト秒単位でずれています。そのずれのことを「スペクトル位相」と言います。もともとの光のスペクトル位相がずれているので、それを用いてイオン化により生成された光電子の位相も、その「位相のずれ」が加味されたものになります。
※2 三つのイオン化過程
電子(波動関数)の位相を測定するには、電子同士の干渉を利用します。2001年に提案・実証された方法(P.M. Paul et al., Science 292, 1689 (2001))では、奇数次のみの高調波を持つアト秒レーザー光を用いて、二つの過程の干渉を作り出しますが、その場合は電子の角運動量成分ごとに位相をわけることが困難でした。そこで本研究では、奇数次と偶数次を持つアト秒レーザー光を使い、「三つのイオン化過程」を利用することで、それぞれの過程およびf-波、p-波などの角運動量成分ごとの電子波動関数(部分波)の位相と振幅を分離しました。この方法は、2017年に本研究者らが発表したものです(D. Villeneuve et al., Science 356, 1150 2017)。また、赤外レーザー光の強度とアト秒レーザー光の波長を調整し、特定の磁気量子数m=0のみを量子制御により選択しています(S. Patchkovskii et al.,J. Phys. B 53,134002 (2020))。過程1(13次高調波+赤外[H13+IR])ではf-波とp-波、過程2(13次高調波―赤外[H15-IR])では、過程1とは振幅と位相が異なるf-波とp-波、そして過程3(14次高調波)ではs-波とd-波が生じます。イオン化により放出された電子波動関数は、これらの部分波の重ね合わせになっています。14次高調波で、H13+IR, H15-IRとは異なる対称性を持つ電子の波を重ねあわせることにより、角運動量ごとの部分波の位相を求めることが可能になります。なお2017年の結果は、スペクトル位相と原子位相とが重なっていますので、今回はさらにそれを分離し、理論計算と比較しうる原子位相の値を求めたものです。
(8)論文情報
雑誌名:Physical Review A104, 053526 (2021).(アメリカ物理学会誌)
論文名:Complete characterization of attosecond photoelectron wave packets
執筆者名(所属機関名):D.M.Villeneuve (National Research Council of Canada & University of Ottawa), Peng Peng (National Research Council of Canada & University of Ottawa & ShanghaiTech University), Hiromichi Niikura (Waseda University)*
*責任著者
掲載日時(オンライン):2021年11月23日(火)
掲載URL: https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevA.104.053526
DOI: 10.1103/PhysRevA.104.053526
(9)研究助成
研究費名:科学研究費補助金 基盤研究A 18H03903
研究課題名:アト秒位相分解波動関数イメージング法による新規な量子選択性の研究
研究代表者名(所属機関名):新倉弘倫(早稲田大学)