顕彰状 李亮燮氏

顕彰状

李亮燮(イ・ヤンソプ)氏は、1937年11月8日に大韓民国京畿道坡州市で生まれた。1963年2月に高麗大学校商科大学商学科を卒業、1963年3月に現代建設株式会社に入社した。時あたかも韓国経済の勃興期であり、同国最大規模の海外工事であったベトナムのカムラン都市建設工事の管理責任者として、また、韓国近代化の象徴であり、産業化の動脈ともいわれる京釜高速道路の建設現場の指揮・統括者として、その情熱と汗をもって、韓国の経済発展のために大いに尽力した。その実績が認められ、1968年に同社の全工事現場を統括管理する工務部長に就くと、1969年12月から現代自動車株式会社の工場管理部長、工場長、副社長を経て、1987年1月には社長に就任した。

そして、韓国国産車の固有モデル第一号である「ポニー」の生産工場を立ち上げ、「ポニー」、「エラントラ」、「ソナタ」等、多くの車種の開発を指揮・統括し、世界でも屈指の自動車生産国となる基礎を築き上げた。その後、1990年1月からは現代証券株式会社会長を務め、1992年に現代グループを退任後は、同年4月に自動車部品を生産する明信産業株式会社やMS-AUTOTECHを系列会社とするMSグループを創設した。ここでも、それまでに蓄積した経験を生かし、自動車の技術革新と韓国自動車産業の発展に寄与した。こうした功績が認められ、蔚山市民賞、大統領表彰、革新的商品開発や輸出貢献度が高く将来性がある企業の代表者に贈られる銀塔産業勲章、金塔産業勲章を受賞している。

また、李氏の高麗大学校に対する愛校心は格別である。在学時代に学生新聞「高大新聞」の総務局長を務め、韓国の大学新聞では初めて広告収入源を開拓し、その運営基盤を築いた。卒業後も、高麗大学校経営大学校友会の母体となった、1982年発足の高麗大学校経営大学後援会の発展と資金獲得に尽力された。その後、1993年に高麗大学校校友会副会長に就任し、30万人の校友の交流の場である高麗大学校校友会館建設基金募金運動を指揮し、安岩キャンパス内にこれを完成させた。

高麗大学校と早稲田大学は1962年に開催されたサッカーの親善試合を契機に、爾来、教育と研究、学生の長い交流の歴史を持つが、その中でも特筆すべきは、両校の校友会同士が密接な関係を築いてきたことである。両校校友会の友好関係は近年ますます深まりつつあるが、この間の李氏の貢献は誠に大きいものがある。2011年からは高麗大学校校友会会長に就任し、校友会の組織化と活性化を進め、効率的で充実した新しい運営基盤を確立した。その成果を礎に、本学校友会との相互交流協定の下、双方の校友会行事等の協力をいっそう強化する中で、歴史ある両校の関係が従来の枠を超え、職員や校友会幹事の交流などあらゆる側面に及ぶに至っている。特にスポーツにおいては、これまでのサッカーやラグビー、アイスホッケーに加え、昨年からは、野球の定期戦がスタートした。また、今年度より、バスケットボールの定期戦もスタートした。今後のスポーツ交流を含めた、両校の活発な学生交流が期待される。これもまさに李氏のリーダーシップの賜物と言えよう。

李氏は、このように高麗大学校と早稲田大学の友好関係に多大なる貢献を果たしてきたが、同氏をはじめ両校に関係するすべての人々が積み上げてきた信頼と友情が、ひいては韓国と日本の相互協力や文化発展を支える確固たる土台となるものと確信している。

ここに早稲田大学総長、理事、監事、評議員ならびに全学の教職員は一致して

李亮燮氏に

名誉博士(Doctor of Laws)の学位を贈ることを決議した。

学問の府に栄えあれ! 大学が栄誉を与えんとする者を讃えよ!

(Vivat universitas scientiarum! Laudate quem universitas honorabit!)

2012 年10月21日
早稲田大学

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WASEDA University

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