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特集 Feature Vol.21-2 医療費をどう使うべきか、医療経済学の挑戦(全2回配信)

医療経済学者
野口 晴子(のぐち はるこ)/政治経済学術院教授

データ駆動型の医療政策の実現を目指して

医療の分野では、1990年代以降「科学的根拠に基づいていること」(Evidence-Based)が重視されるようになっており、さらには、医療だけでなく、国の制度設計や政策立案や評価においても、科学的根拠が求められるようになりつつあります。政治経済学術院の野口晴子教授は、科学的根拠に基づく政策立案(Evidence-Based Policy Making)を積極的に推進しなければならないという立場から、その実現に向けて取り組んでいます。今回は、その取り組みと成果、また、科学的根拠に基づく制度や政策の大切さについて伺いました。(取材日:2018年7月17日)

博士論文研究で「費用対効果」の考え方を体得

博士課程を過ごしたニューヨーク市立大学では、第1回で医療経済学における理論的な枠組みを確立させた貢献者として紹介したマイケル・グロスマン教授ら、3人の研究者の指導のもと、博士論文の執筆に取り組みました。今、振り返ってみると、この博士論文での研究が、その後の私の研究人生の礎になっていると思います。

博士論文のテーマは、“Effects of state Medicaid policies on the likelihood of nursing home admission and length of stay : an application of the competing-risks models”(ナーシングホームへの入居確率と滞在期間に対する各州のメディケード施策の影響:競合リスクモデルの応用)というものでした。「メディケード」とは、低所得者や身体障害者に対する公的医療扶助制度であり、当時は州がメディケード施策に対する裁量権を有していたため、その施策の内容の違いによって施設介護サービスに対する需要がどう変化するのかを明らかにすることが、私の博士論文の目的でした。

写真:2011年に法政大学で開催された医療経済学会で来日したマイケル・グロスマン教授(右から一番目)と野口教授(右から二番目)

当時、リサーチ・アシスタントとして働いていた病院には、「老年学の父」と言われているロバート・バトラー博士がいて、老年学の研究を体系的にしようとする動きがあったこと、また、日本で急速な人口の高齢化が起こっていたことが、前述のようなテーマで「エイジング」について研究しようと考えたキッカケでした。研究を遂行するにあたって、グロスマン教授から、全米で毎年10人程度に2万ドルが授与される連邦政府の奨学金があるから応募してみないかと薦めていただきました。応募したところ幸いにも奨学金を得ることが出来、研究を進める原資を得ることができました。

この博士論文の研究を通して、高齢化に対して、どういう視点や切り口で分析したらよいか、また、どういった分析手法があるのか、を学ぶことができました。介護費や医療費が膨らむ中、どのような政策がそれらの費用を抑制するために効果的なのかを見極めること、つまり費用対効果に関する根本的な考え方を学んだことが大きな収穫でした。

「科学的根拠ある医療」の源流的研究に携わる

ニューヨーク市立大学で博士号を取得したあと、グロスマン教授に推薦していただき、スタンフォード大学で4年弱、マーク・マクレラン教授の下で研究する機会を得ることができました。マクレラン教授は、ジョージ・W・ブッシュ政権下で食品医薬品局(FDA:Food and Drug Administration)長官を、またビル・クリントン政権下で経済政策担当財務次官補を務めた人物です。マクレラン教授の研究チームでは、急性心筋梗塞、腎不全、がんといった疾病ごとに、薬剤や医療技術におけるイノベーションによって、医療費がどの程度増減し、また、死亡率や再入院率などの患者の治療成績がどれくらい改善したかを、いまでいうところのビッグデータを用いて解析していました。私は、急性心筋梗塞の分析チームに入っていました。

1990年代に私たちが携わっていた研究は、その後、米国や日本などで重要性が説かれるようになる「科学的根拠に基づく医療」(EBM:Evidence-Based Medicine)の源流になるものでした。さらにこうした「エビデンスベースド」の考え方は、その後、とりわけアメリカにおいて、医療分野だけでなく、制度設計や政策立案に対しても応用されるべきだという潮流が生じてていったのです。いわゆる「科学的根拠に基づく政策立案」(EBPM:Evidence Based Policy Making)という考え方です。今では、日本でも、少しずつではありますが、EBPMを主張する声があがりつつあります。

日本の医療制度・政策にも「根拠」を

2000年に、私は日本に帰国し、「アメリカで学んだスキルをぜひ日本の医療政策に活かしたい」とはりきっていました。ところが、当時の日本には科学的根拠を導き出すことの出来るようなデータがまるでなかったのです。率直に言って、これには愕然としました。アメリカでは、既に1984年から、科学的根拠のデータとなる医療レセプト(診療報酬請求明細書)の収集が始まっているばかりか、研究者によって有効活用されているというのに。

そうした中、私は、東京大学病院中央医療情報部長として、医療情報学の分野の第一人者である故 開原成允先生(1937-2011)と知り合う機会をいただきました。開原先生とは「日本でもレセプト情報を収集し、政策に役立てていかなければならない」という思いを共にしました。そこで、開原先生やマクレラン教授らとともに、2001年に「公的に収集された医療情報への研究者への提供に関する一考:米国での個票データ管理と運営の事例から学ぶこと」 という論考を『社会保険旬報』という雑誌に発表しました。

これを機に、徐々に日本でもレセプト収集の重要性について取り沙汰されるようになり、厚生労働省主催の有識者会議で座長を務められた開原先生のご尽力もあって、ようやく日本でもレセプトデータの電算化や研究者への提供といった流れができたのです。最終的に研究者へのデータ提供が日本で実現したのが2013年ですから、アメリカと比べて約30年の遅れでした。

写真:2018年7月、早稲田大学ソーシャル&ヒューマン・キャピタル研究所(WISH研究所)が開催したセミナーワークショップで司会として参加者に課題提起する野口教授。この日は、千葉大学病院の吉村健佑先生(右)が「厚生労働省における医療資源の効果的な配分」をテーマに講演した。

写真:2017年9月(WISH研究所)が開催した社会イノベーションセミナー

政治家や行政官の「さじ加減」つまり勘や感覚といったものだけで決める政策は、しばしば大きな過ちを犯す可能性があります。「である」という現実に目を背け、「べきだ」という規範論だけで進んでしまうと立ち行かなくなり、政策がある日ころっと変わってしまうといったことがないとも限りません。たとえば「国民皆保険は堅持すべきだ」という論調のみが独り歩きしていて、国民皆保険は現在どういう状況に置かれていて、何をどうすれば今後も堅持できるのか、持続可能なシステムとなるのか、についての客観的な議論が避けられている部分があります。そのためには、私たちの命や健康の「値段」を冷徹に見つめなおす必要もあるかもしれません。ある日突然、いままでずっと続けてきた制度をやめなければならないといった事態にならないように、データを駆使した科学的根拠、つまり「である」については虚心坦懐に受け止め、その上で、それぞれの立場から「べきだ」を展開できるような政治過程を確立していかなければなりません。

早稲田大学の「変化」を感じる

私は、大学院の修士課程まで早稲田大学で学び、そして2012年からまた早稲田大学で教育と研究に携わっていますが、「早稲田大学は変わった」と感じます。一つは、全体的に研究者の質が底上げされているという点です。政治経済学術院には「実証政治経済学研究拠点」があり、私も拠点メンバーの一人となっていますが、特にここ数年間で、「若い優秀な研究者が続々と本学に応募してくれている」と感じています。背景としては、研究においてもグローバル化が進み、若い研究者ほどポジション獲得、つまり、業績競争が熾烈になっていることもあるでしょう。

写真:早稲田キャンパスの大教室での講義。多くの学生が講義を受けている。

学生たちの気質も大きく変わりました。かつての早稲田大学といえば、学生が「傷つきながらも、自分自身で立ち上がって、這い上がって、勝手に育っていく」という気風が強かった気がします。今は、大学組織全体として、そして、一人一人の教員もまた、国際標準とされるスタンダードな教育スタイルで熱心に講義や演習を行い、学生も素直にそれを受け入れるようになったためか、良い意味でも悪い意味でもとんでもなく個性の強い教員や学生は少なくなってきたような感じがします。若干の寂しさもありますが、こうした変化も、大学自体、また、それぞれの研究者が、グローバルな競争社会で勝ち残っていくためには致し方ない変化なのかもしれません。過去に対するノスタルジーを振り捨てて、今後、早稲田大学が飛躍するためには、苦しく、険しい道のりが待っていることでしょう。でも、教育面では、学生が社会の中で自分の人生を豊かに生きることが出来るよう、また、社会に貢献する人間になれるよう熱意をもって教育し、また、研究面では、研究者同士しのぎを削り国際社会で認められる成果を上げるための努力を惜しまず続けること、これこそがまさしく建学の精神であり、今一度原点へ立ち戻ることが、新たな地平へ向けての挑戦につながるのだと思います。

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プロフィール

野口晴子(のぐちはるこ)
早稲田大学大学院経済学研究科修士課程を修了、1997年ニューヨーク市立大学経済学研究科博士課程修了。Ph.D.(Economics)取得。スタンフォード大学、全米経済研究所(NBER:National Bureau of Economic Research)研究員を経て、2000年に帰国。帰国後、東洋英和女学院大学、国立社会保障・人口問題研究所を経て、2012年より早稲田大学政治経済学術院教授。現在,東京都病院経理本部「都立病院経営委員会」・委員,厚生労働省保険局「中央社会保険医療協議会」・公益委員,内閣府行政改革推進会議「歳出改革ワーキンググループ」委員,足立区教育委員会「足立区子ども施設指定管理者選定等審査会」・委員長などを務める。早稲田大学では、ソーシャル&ヒューマン・キャピタル研究所(WISH研究所)所長、また、実証政治経済学研究拠点(CPPE)拠点メンバー。

主な研究業績

学術論文

書籍・書籍の一章

  • 野口晴子.日本における行政データの活用を模索する:介護レセプトデータを中心に」. 井伊雅子・原千秋・細野薫・松島斉『現代経済学の潮流2017』第4章.東洋経済新報社, 2017.8.
  • ヨシュア・アングリスト, ヨーン・シュテファン・ピスケ著 ; 大森義明、小原美紀、田中隆一、 野口晴子(訳). 『「ほとんど無害」な計量経済学:応用経済学のための実証分析ガイド』 NTT出版,2013.6.
  • 井堀利宏・金子能宏・野口晴子編.「新たなリスクと社会保障:生涯を通じた支援策の構築」.東京大学出版会, 2012.10.
  • 清水谷諭・ 野口晴子. 「介護・保育サービス市場の経済分析:ミクロデータによる実態解明と政策提言」. 東洋経済新報社, 2004.6. ISBN : 4492313419.

一般向け論説・講演資料

  • 野口晴子.『時事評論 就労促進策としての公的介護保険』週刊社会保障 71(2947), pp.26-27, (2017.11)
  • 野口晴子.『時事評論 統計で見るがん患者の就労状況』週刊社会保障, 71(2926), pp.32-33. (2017.6)
  • 野口晴子.『時事評論 ソーシャルネットワークと健康』週刊社会保障, 71(2916), pp.32-33. (2017.3)
  • 野口晴子. 『時事評論 何がエビデンスか?-「根拠」に対する合意形成の必要性-』週刊社会保障, 69(2855): pp.30-31. 2015.12.
  • 野口晴子. 『時事評論 NDBの現状と課題-「科学的根拠に基づく政策」をめざして-』 週刊社会保障 , 69(2845): p.p40-41, 2015.10.
  • 野口晴子・金子能宏・開原成充・Jeffery Geppert・Mark B McClellan.「公的に収集された医療情報への研究者への提供に関する一考:米国での個票データ管理と運営の事例から学ぶこと」 社会保険旬報, 2097: pp.6-17. 2001.5.

参照

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