Special Report
平昌、そして東京へ 躍動のリオデジャネイロ
2016年の8月から9月にかけて開催されたリオデジャネイロオリンピック・パラリンピック。
早稲田大学から多くの校友・学生が出場しました。
リオで躍動した「Waseda」の足跡を振り返りつつ平昌と東京、未来のオリンピック・パラリンピックを見据えた取り組みを紹介します。
リオデジャネイロ・オリンピック競泳 出場選手インタビュー

教育学部4年 岩渕幸洋(クラス9・予選敗退)
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックで活躍した選手に、大会を振り返っていただきつつ、今後の抱負をお聞きしました。
一体となった支援は早稲田ならでは
──今回、初のパラリンピック出場でしたが、それまでの経緯について教えてください。
岩渕 早稲田実業・中等部1年生の時に部活動で卓球を始め、3年生から障がい者の大会に出場するようになりました。最初は全く歯が立たない状況でしたが、研究を重ねて技術を磨き、試合で勝てるようになり、大会で優勝するようになり、とステップアップを重ねてきました。
パラリンピックを意識するようになったのは、世界選手権に出場した2年前。世界を相手に思うような結果を残すことができず、「もう一度戦いたい」「リオに行きたい」と強く思ったのです。ちょうど、東京パラリンピックの開催が決まったことも大きかったですね。以来、出場条件である世界ランク13位内を目標に取り組み、2016年1月に念願のパラリンピック出場を決めました。
その後ろ盾となったのが、2年前に卓球部のOBの方が有志を募って発足してくださった後援会です。スポンサー企業もついて、資金面、精神面で援助していただいています。広いネットワークを生かして、一体でサポートしてくださる環境は早稲田ならでは。皆さんには本当に感謝しています。
「芯」を確立することが課題
──結果についてはご自身でどう分析していますか。
目標はメダル獲得でしたが、結果は予選敗退。オリンピック・パラリンピックには魔物が棲んでいるといいますが、本当にそうでした。大勢の観客が見守る中での試合、一発勝負のプレッシャー、選手の意気込み、何もかもがいつもの世界大会とは次元が違っていて、自分の良さを発揮できませんでした。
他の選手は、その空気に飲まれることなく、自分の持ち味を100%出し切きれるようしっかり準備をしていました。僕は、そういう自分の「芯」となるものを確立できていなかったというのが反省点です。
──今後の抱負をお願いします。
東京パラリンピックで金メダルを取ることを目標に、持ち味である打点の早さやラケットのラバーを生かした前後の緩急の精度を高めようと思っています。来年は卒業して社会人となりますが、これからも早稲田大学の一員であることを忘れずに取り組むつもりです。
取材こぼれ話 考える力を問われる
日本におけるパラリンピアンのサポート体制は発展途上。岩渕選手は、世界ランクアップのための戦略立てから世界大会へのエントリー、練習相手のセッティングなど、何もかも自分で行っているのだとか。その分、考える力が養われるのか、取材当日も「撮影のアングルをこうしてみては」など、積極的に提案する姿が印象的でした。