国際法学研究
古谷 修一(ふるや しゅういち)/法学学術院 大学院法務研究科 教授
武力紛争における犠牲者の救済 国際法の役割と限界
イスラム国(IS)による無差別テロ、シリアの難民問題、そして核実験など北朝鮮が行う挑発。いま国際秩序が大きく揺らいでいます。その根底にあるのは、国家の有り様にバラツキが生じていることでしょう。国家の体をなしていない地域も出始めている中、これからの国際法はどうあるべきか、法学学術院 大学院法務研究科 古谷修一教授にお聞きしました。
国際社会における法の機能
私は、国際法学を研究しています。現在の主な研究テーマは、「国際刑事裁判」や「戦争犠牲者に対する補償」です。国際秩序がますます不安定になる中、私の研究も実務的な内容が多くなってきています。
現在の国際社会における問題の根底にあるのは、秩序を維持するシステムとしての国家が弱くなっていることです。かつての冷戦下では、西側東側共に、国家は揺るぎない存在でした。ところが現状は、シリアやソマリアなどのように、国家としてまともに機能していないところがあります。方やアメリカや日本、中国など骨格の整った国家があり、両者の中間状態の国もある。同じ国家と呼ばれながら、その内実が大きく異なっている実体が併存する国際社会に、どのように法的規制をかけ、規律を保つかが大きなテーマとなっています。
例えば、昨年12月には温暖化対策の国際枠組みである『パリ協定』が採択されました。これは途上国まで含めて二酸化炭素排出量を削減することを約束するものですが、参加国すべてがその内容を遵守できるのかといえば心もとない面があります。では、どうやってルールを守らせるのか。こうした国家の不均等性を念頭に置いた国際法の実現が課題になっています。
そうした課題を考えるとき、国内においては、個人を対象として刑事罰を課すことによって一定の規制をかけることが可能であることが想起されます。同様に、国際関係においても個人責任を追求する考え方があり、これをベースに作られたのが国際刑事法です。国際法上の犯罪の中でも、中核犯罪として国際刑事裁判所(ICC)の管轄権に服する犯罪が「ジェノサイド罪」「人道に対する犯罪」「戦争犯罪」「侵略の犯罪」の4つです。
責任追及された一例を挙げるなら、コンゴの武装勢力の指導者トマス・ルバンガ・ディーロが行った少年兵のリクルートに対して、戦争犯罪に該当するとの判決が出ています。
2002年に活動を開始した国際刑事裁判所には裁判部門、検察局、書記局があり、検察官に付託された事態が捜査・起訴され、裁判官によって犯人の有罪・無罪の判決が下されます。検察官自らが捜査を始めるケースの他に、ローマ規程締結国あるいは国連の安全保障理事会による事態の付託によっても捜査が開始されます。現在は9つの国の事態について捜査が行われており、例えばスーダンのアル・バシール大統領などトップ・リーダーについても例外なく逮捕状が出ています。
個人責任の複合性と限定性
スーダンでは大統領の刑事責任が問われています。しかし、アル・バシール氏が、実際に誰かを殺したかといえば、恐らくそのようなことはないでしょう。実際に殺人を行ったのは、末端の兵士のはずです。純粋に刑法の視点から考えるならば、責任を問われるべきは人を殺した兵士です。ただ、全体の構図を考えるならば、兵士はあくまでも歯車の一つに過ぎません。
この場合の犯罪は、国家や反政府ゲリラなどの団体が、一つのシステムとして動くことによって生じています。伝統的な国内の刑法の考え方によれば、自由に意思を決定できる個人の存在が前提となり、そうした個人が犯罪を犯した場合に刑事責任が発生します。これに対して、国家のような一つのシステムが全体として動いて犯罪が行われる中で、個人の責任をどのように理論的に考えていくのかが、現在の私の研究テーマの一つです。
国家責任と刑法の個人責任が複合された第三の責任が存在しうるのか。逆の視点から考えるなら、国家の責任と個人の刑法責任がお互いに打ち消し合うことで、国際法における個人の責任は、国内法における個人責任よりもずっと狭いものとなる可能性があり得るのか。そもそも、テロや内戦が起こるのは、国家そのものの機能が低下してきているからであると指摘しましたが、他方で中核的な国際犯罪は一定の支配構造を背景として発生していると考えられます。そのような中で個人の責任と組織性の関係をどのように捉えるのか。実態を踏まえた上で、新しい考え方を提示することが目下の課題です。
被害者の救済を考える
もう一つ、より実務的な研究テーマとなるのが犠牲者の救済問題です。武力紛争に対しては国際人道法が適用されますが、国際刑事法が対象とするのは違反者への対応であり、犠牲者に対する視点が抜け落ちています。昨年末に韓国との間で従軍慰安婦問題についての合意が形成されましたが、これはあくまでも国家間の合意であって、個々の犠牲者の合意を得たわけではありません。これは一例にすぎず、これまで武力紛争の犠牲者は泣き寝入りを余儀なくされるケースが多かったと言えます。
シリアを始めとして各地で起こっている紛争には、必ず犠牲者がいます。この犠牲者を、どのように救済するのかは、国際法に関わる者として見過ごせないテーマです。犠牲者救済に携わる恒常的な国際組織は、今のところありません。しかし、個々の紛争においては、その終了後に被害者救済のアドホックな組織と手続が設けられることが次第に見られるようになりました。そうした点で、今後国連などが犠牲者救済のアドホックな制度を設置する場合などに備えて、その法的な基盤となる原則を用意しておくことが重要だと考えています。そのために、まず世界各地の現場においてどのような組織や手続が動いているのか、資料を収集した上で整理し、ルールのあり方を理論的に追究していくことも、現在の重要な研究課題です。
事実調査委員会の実務と理論
こうした国際刑事法・国際人道法と武力紛争犠牲者の救済に関する研究が評価されて、2011年に国際人道事実調査委員会(International Humanitarian Fact-Finding Commission, IHFFC)のメンバーに選出され、昨年からは副委員長を務めています。IHFFCは1977年に採択されたジュネーブ第1追加議定書という条約によって設置された国際機関で、15名の委員会によって構成されます。国際人道法の違反が発生した場合、その違反行為が誰により行われたのかは紛争当事国間で事実認識が異なることがあり、それゆえに犠牲者の救済などが進まないケースがあります。IHFFCはこうした事態において、事実を調査し、紛争当事国間における国際人道法の尊重を確保する活動を行います。
国際関係が複雑化するにつれて、武力紛争の形態も多様化してきています。国家間で行われる国際武力紛争だけでなく、国家と武装組織あるいは武装組織間の紛争も多発しています。シリアの状況などを見ても、一方でシリア政府軍と反政府団体が戦い、前者はロシアが後者はアメリカが支持する内戦が行われていますが、同時にイスラム国(IS)に対して、シリア政府軍も反政府団体も戦闘を行っており、この点ではアメリカとロシアの利害は一致しています。こうした武力紛争の惨禍を最小限に留める方途は、国際刑事裁判、事実調査、犠牲者救済のシステムなどを巧みに組み合わせていくしかありません。その意味で、現在取り組んでいる研究はいずれもきわめて実務的な意義を持ちますが、同時に既存の国際法の理論では捉えきれない新しい現象を理論化するという学問的な価値を持つものであると、私は考えています。
次回は、古谷先生の愛弟子で、日本学術振興会「育志賞」を受賞した博士課程学生の根岸 陽太(ねぎし ようた)さんが登場します。古谷先生と国際問題について語り合います。
※日本学術振興会「育志賞」
※早稲田大学 研究ニュース
※早稲田大学 研究ニュース(受賞式)
プロフィール
早稲田大学大学院法学研究科・博士後期課程中退、香川大学法学部教授を経て現職。国際人道事実調査委員会委員、ユトレヒト大学オランダ人権研究所客員教授。国際刑事法、国際刑事裁判を主な研究対象とするとともに、現在は国際法協会(ILA, International Law Association)の活動の一環として、武力紛争後における被害者救済の法的枠組みに関しても研究を進めている。
所属学会は、国際法学会理事(『国際法外交雑誌』編集委員長)、世界法学会、国際人権法学会、International Law Association Committee Officer、American Society of International Law、Asian Society of International Law、European Society of International Law
古谷先生の研究業績(最近の論文)
- “Domestic Implementation of the Rome Statute in Japan”, Seoul International Law Journal, vol. 22 (2015), 39-56.
- “Victim Participation, Reparations and Reintegration as Historical Building Blocks of International Criminal Law”, in Morten Bergsmo, CHEAH Wui Ling, SONG Tianying and YI Ping eds., Historical Origins of International Criminal Law: Volume 4 (Torkel Opsahl Academic Publisher, November 2015), pp. 837-863.
- 「指導者犯罪としての侵略犯罪—システム責任の顕在化」、柳井俊二・村瀬信也編『国際法の実践—小松一郎大使追悼』(信山社、2015年)所収、p.309-324
- “Draft Procedural Principles for Reparation Mechanisms” in The International Law Association, Report of the Seventy-Sixth Conference held in Washington D.C. (2014), pp. 782-813
- 「国際刑事裁判権の意義と問題—国際法秩序における革新性と連続性」、村瀬信也・洪恵子共編『国際刑事裁判所(第2版)—最も重大な国際犯罪を裁く』(東信堂、2014年)所収、pp.3-40
- 「作為“領袖犯罪”的侵略罪 侵略最好的留到最后?」『国際法研究』9巻(中国社会科学院・国際法研究所発刊、2013年)、pp.135 – 146