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気仙沼と早稲田、15年の物語 #3
学生ボランティアに励まされ、復興を遂げた15年
Wed 11 Mar 26
学生ボランティアに励まされ、復興を遂げた15年
Wed 11 Mar 26
東日本大震災から15年。早稲田大学が包括連携協定を締結する宮城県気仙沼市では、学生、卒業生、地域の方々が協力し、復興や地域課題の解決にアプローチしています。
本連載では、気仙沼で活動する3名の活動の軌跡をご紹介。第3弾は、気仙沼でボランティア受け入れなどに尽力してきた校友の高橋正樹さん(1986年 商学部卒業)に、被災当時の状況、復興の歩みを聞いていきます。
高橋正樹/株式会社気仙沼商会代表取締役社長
宮城県出身。1986年早稲田大学商学部卒業後、故郷・気仙沼に戻り、エネルギー産業に従事。震災後は気仙沼の復興を牽引してきた
壊滅から立ち上がり、地震翌日から給油を再開
宮城県気仙沼市で育ち、早稲田大学を卒業した後、故郷に戻った高橋さん。現在、社長を務める気仙沼商会は、地域の生活と産業を支えてきたエネルギー事業者だ。ガソリンスタンドの運営の他、気仙沼で盛んな漁業において、燃料や潤滑油の供給を担っている。会社の成長や若手社員の育成に注力する中で、東日本大震災が発生した。
「毎年度末の社員面談が佳境に入った頃、経営していたガソリンスタンドで地震が発生。かつて感じたことのない揺れで、『地球が爆発するのか』と思ったほど長く続きました。約3分間の揺れの後、直感したのが、津波の襲来です。ただちに避難指示を出しました。しかし社員が2人、出入りしていた業者さんが2人、業務中に津波で亡くなりました」
被災したガソリンスタンド
気仙沼商会にある15の事業所のうち、本社、ガソリンスタンドなど13カ所が全壊。被災状況に絶望した高橋さんだが、避難所で再会した社員と話し合い、残り2カ所の事業所へ行くことを決める。地震発生の夜のことだった。
「阪神淡路大震災や新潟県中越地震が起きたのも、寒い季節。自家用車で暖をとる際、エネルギーが必要になるのを知っていました。『朝から行くしかないね』と社員と移動し、電気が止まる中で、地下タンクからガソリンを汲み上げる作業をスタート。すると市長から伝令があり、人命救助に向かう緊急車両への給油を依頼されました。一般給油を打ち切り、警察や消防への給油を開始しました」
その後、気仙沼が復旧から復興へと向かう中で、高橋さんは市の震災復興市民委員会に参加。座長として復興計画の策定を牽引し、医療や教育、道路整備などの方針を固めていった。
「震災復興計画の重点事業の一つに、再生可能エネルギーの推進があり、『気仙沼地域エネルギー開発』を設立しました。現在、間伐材で森を生かしながら、木質バイオマスを用いた発電を行っています。地産地消のエネルギー循環を実現しながら、地域のレジリエンスを高められると考えています」
職場での高橋さんの様子
外からのボランティアが頑張る以上、被災地が挫けてはいられない
事業に加え、高橋さんは早稲田大学校友会気仙沼稲門会で幹事長も務めている。震災直後、早稲田大学より支援の連絡を受け、学生ボランティアの受け入れを承諾した。
「私自身、事業所の復旧や社員の捜索や葬儀で余裕がなく、地域全体も混乱と意気消沈のムードが漂っていました。ボランティアの受け入れは、厄介だと思ったのが正直なところです。しかし同時に『未来につながるかもしれない』とも感じ、皆と相談して受け入れを決意しました。最初は10人程度の学生を想定していたのですが、バス4台で100人近くが来てくれ、食事や寝泊まりの準備も全て持参の万全な態勢でした。それだけ覚悟を持っていたのでしょう。あまりに真剣な表情だったので、『笑ってもいいですよ』と言ったほどです」
活動の中心は瓦礫撤去だったが、全ての家屋に元の生活が戻るわけではない。途方もない作業を共にする中で、徐々に絆が芽生えていったという。
「片付けた後で取り壊しになる家屋もあるため、『本当に僕らがやって意味があるのでしょうか』と率直な質問も受けました。答えようのない問いで困惑しましたが、それでも学生たちは寡黙に作業を進めていく。その姿を見た住民は、『外から来た人たちが頑張っているのに、俺たちがボーっとしているわけにはいかない』と前向きになっていき、諦めかけていた市場の復活も実現しました。そのことが転機となり、まちづくりが活発化したのは確かです。学生には感謝の気持ちしかありません」
2011年6月、早稲田の学生と瓦礫撤去を行う高橋さん
その後15年に及ぶ気仙沼と早稲田の関係において、高橋さんは橋渡し役を担ってきた。顔見知りの学生や卒業生も増え、今では苦楽を共にした同志のような存在となっている。
「最初は、稲門会員の事業所や自宅の片付け、泥だらけの茶碗を洗ってもらうなど、こちらが用意した作業が多かった。でも段々と、仮設住宅で外出できない高齢者と体操をしたり、祭りを一緒に盛り上げてくれたりと、フェーズごとに必要な活動を、学生自ら考えてくれるようになったんです。震災から5年、10年の節目で撤退する団体も多い中、60人もの学生が集まり、気仙沼を訪れてくれるサークルもある早稲田大学の行動力は、凄まじいと実感します。避難所、仮設住宅、商店街も、大人から子どもまで、みんな長い期間にわたって若い学生たちに励まされて来たのでした」
新たな課題に立ち向かうには、大学と地域の連携が必要
震災から15年が経過し、地域の課題、支援活動のあり方にも変化が生じている。高橋さんが危惧するのは、人口減少に伴う地域経済の停滞だ。
「復興計画は完成期に近づき、施設の建設や移転は間もなく終了します。しかし当初の計画と大幅に異なるのは、人口減少です。出生率の低下は気仙沼も例外ではなく、このままでは街が再生されても、歯抜け状態になってしまう。盛んな漁業を中心に街が賑わっていた気仙沼は、人々が海から離れたことで、活力が分散しました。長期的なまちづくりも大事ですが、まずは一次産業の活性化と、真剣に向き合わなければなりません」
複雑な地域課題の解決には、起業家や研究者など、さまざまな人の参画も必要だ。大学も不可欠な要素になると、高橋さんは考える。
「例えば、私が取り組む再生エネルギーも、地震で電力系統が停止すれば機能せず、災害対策としては不十分です。また、学校ではSDGsなどの教育が推進されていますが、持続可能社会というビジョンと実際の再生エネ活用には乖離があり、産業を含むまち全体の循環モデルも前進しません。こうしたリアルな課題を超えていくためにも、外部のアイデアや知識は必要です。『貢献』を掲げる早稲田大学との連携も、可能性が広がるでしょう」
2024年8月、早稲田大学と気仙沼市の包括連携協定締結式に参加する高橋さん
次なるフェーズに向かうべきなのは、ボランティア活動も同様だ。高橋さんは培った過去の経験を、未来に継承していきたいと語る。
「支援に来てくれる団体も、気仙沼の住民も、震災の記憶、活動の目的が薄らぎつつあります。わざわざ東京から来てもらう意味を、私たちが持たせなければ、早稲田との関係も持続しないでしょう。現在、大学、市、卒業生が知恵を振り絞りながら、今後の関わり方について責任を持って考えています。次なる世代のために、震災と復興を知る大人たちが果たすべき役割は、まだまだ残されています」
撮影=宮城県気仙沼市