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ドイツ近代の民衆心理から、ナチズムへの道程を紐解いていく【史学分野】小原淳教授

ドイツ近代の民衆心理から、ナチズムへの道程を紐解いていく【史学分野】小原淳教授
Posted
Thu, 23 Apr 2026

 

19世紀ドイツの体操団体が映し出すもの

研究領域は、ドイツの近現代史。なかでも19〜20世紀を中心に、政治や社会の歴史にアプローチしています。

ドイツ史に関心を抱いたのは、中高生の時です。書籍やテレビを通じ、ナチスやヒトラーを賛美し、熱狂する民衆の姿に、強烈な衝撃を受けたことでした。大学で西洋史学を専攻し、本格的に書物を読み込むなかで、「ナチスが台頭するプロセスを前時代に遡って研究しよう」と思い、19世紀にまで視野を広げました。

着目したのは、「トゥルネン」と呼ばれるドイツの“体操”です。19世紀の前半、ドイツでは各地でスポーツを推進するサークルが発生し、一般の人々が参加していました。若者が運動を楽しみ、友情を育む場であると同時に、民族意識や排外思想の温床ともなっていきます。
私が研究してきたのは、この軌跡です。

ナポレオン戦争期にフランスの占領を受けたドイツでは、思想家や教育者が民族の一体化を唱え始めます。その一人であるヤーンは、自ら運動場を開設し、青年に対して体操とともに、ドイツ国民としての意識を高める教育を施しました。当時は政府から危険視され、たびたび禁止処分を受けるのですが、規模は徐々に広がっていきます。19世紀中頃の革命期には、政党の結成ができなかったため、市民サークルであった体操団体が政治運動の舞台の一つとなり、武装化して革命活動に参加しました。そしてドイツ帝国の時代に入ると、体操団体は権力の側に統合されます。ナショナリズムを醸成する団体として、国民的祭典や記念碑の造営を主催したり、青少年の愛国教育に尽力するなどして、国粋主義が高揚するうえで、大きな役割を演じたのです。
この頃には会員数も肥大化しており、一般民衆に対する影響は大きなものでした。

トゥルネンの歴史は、何を示唆するのでしょうか。20世紀のナチス・ドイツでも、一般民衆は突如としてイデオロギーや政治理論を受け入たのではありません。日々の暮らしの中で、体操団体のような身近な場所での活動や交流をつうじて、徐々にナチスの思想や文化が浸透していきました。草の根の運動により、一つの思想が波及する。こうした土壌は、19世紀から長い時間をかけて用意されていったのです。

日常空間を通じて一つの思想が広がる現象は、SNSなどが普及した現代にも通じる点があります。100年、200年以上前の遠い国の出来事も、自分自身や身の回りの人間に置き換えると、どこか類似することが多い。そこに、歴史研究のダイナミズムがあると感じます。

 

 

各地に残る史跡から、日独関係の輪郭を見つめていく

トゥルネンの研究に没頭した若手時代には、「現代の日本に生きる自分が、ドイツ史を掘り下げる意義はなんだろう」と、何度も自問しました。そこでこの10年ほどは、新たなアプローチも試みようと、日本とドイツの関係史をテーマの一つにしています。

きっかけは、和歌山大学に勤務中、地元の史跡を巡ったことでした。赴任早々に、日本でいち早くドイツ式の軍事教練を導入したのが、明治初頭の和歌山藩であることを知り、ひょっとするとドイツ式の体操が実践されていたのかもしれないということに気づきました。日本の各地に、ドイツ史の重要な痕跡を見つけ出せることに面白さを感じ、本格的に研究を始めました。

博物館や記念碑、墓地などを含めると、日本にはおよそ1000カ所ものドイツ関連史跡があります。そこで私は、北海道から沖縄まで各地を巡り、またドイツでも調査しながら、各所を巡り、論文を執筆する活動を開始。現在は8〜9割を網羅できたところです。この研究を通じてあらためて実感したのは、近現代の日本とドイツの深い関係です。明治以降、多くのドイツ人がお雇い外国人などとして日本を訪れたこと、多くの日本人がドイツに留学したことは知られていますが、その影響は日本社会の隅々にまで広く及んでいます。大戦期には、体操を通じたナショナリズムの発揚を、ドイツに倣って実現させようとする動きも見られました。

もともと私は、あちこちを訪ね歩いたり、その土地の人と交流するのが好きな研究者です。世の中に知られていない物語が、日本各地に眠っていることは、個人的な関心を惹きつけます。史跡はもちろん、食や芸術、スポーツなど、現代の生活世界にもヒントが隠されているのが、歴史研究の魅力です。多くの文化に触れることにより、研究の精度も高まります。これまで自分が見てきた景色が、発見によって一変することに、最大の醍醐味があります。

今後は、日独関係史の研究成果について、書籍の出版やドイツ学会への報告を通じて、発信を強化していきたいと思います。同時に、研究の原点であったナチズムにも、もう一度アプローチしていきます。2033年は、ヒトラーによる政権獲得から100年の節目。世界的にも研究報告が活発化するはずなので、日本の研究者として新たな視点を打ち出すことに挑戦できればと考えています。

 

 

面白さを原動力に、過去を見つめる視野を広げていく

ナチスを起点にしたドイツ近現代研究というと、平和への貢献、歴史的教訓の社会への発信といった課題が想像されるかもしれません。しかし私の場合、そうしたことを意識しつつも、何よりも自分の関心を優先し、面白いと感じることを追究してきました。

この方針は学生に助言する際も重視しています。大学院では、最初は面白くて研究を始めたはずが、キャリアの獲得や学会の状況を意識するあまり、いつの間にか無難なテーマに鞍替えしてしまう人も少なくありません。しかし、夜更かししてでも史料を読みたくなるような、個人的な探究心を原動力にしなければ、書いた論文も精彩を欠いてしまうでしょう。

西洋史学で大学院進学を志す学生は、日本人研究者としての存在意義に悩む場面もあるかもしれません。しかし日本の大学の外国史研究は、幅広さや深さの点で、国際的にみてもかなり充実しています。精緻なプロセスに則りながら、自分自身が“心踊る”テーマを突き詰めれば、多くの人に訴えかける研究になっていくと思います。また、外国語の習得に苦戦することもあるでしょう。私の場合、大学院に進学する際の面接で、大学でのドイツ語の成績がここまでひどい人は見たことがないと言われたほどでした。それでも好きでドイツ史を勉強し続けるうちに、現地で留学生活を送るための語学力を身につけることができました。

歴史学には、現代の世界を見つめる上で、新たな視点を与える力があります。ドイツや日本では近年、戦前の状況との類似が指摘されることが増えてきました。「歴史は繰り返す」とよく言われますが、過去とまったく同じ事態が再現されることは、まずあり得ません。そのため「当時とは状況が違う」と捉えることも、簡単にできてしまいます。しかし「過去を見る必要はないか」というと、それでは人類に教訓が蓄積されないことになってしまう。私たちを取り巻く世界を深く考える上で、歴史が不可欠な学問であり続けることは、間違いないのです。

 

早稲田大学文学学術院教授
小原 淳(おばら・じゅん)

専門はドイツ近現代史。
1975年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(早稲田大学・文学)。和歌山大学教育学部准教授、早稲田大学文学部准教授などを経て、2018年より現職。著書に『フォルクと帝国創設』(彩流社)、訳書に『ビスマルク』(白水社)、『マルクス』(白水社)、『夢遊病者たち』(みすず書房)、『力の追求』(白水社)、『敗北者たち』(みすず書房)、『史上最大の革命』(みすず書房)、『時間と権力』(みすず書房)、『鋼の王国』(みすず書房)など。

(2026年4月作成)