量子アニーリングを活用したフォトニック結晶レーザーの構造最適化に成功
量子計算技術を活用したスマート製造分野の発展に向けて
概要
京都大学大学院工学研究科の野田進 教授、井上卓也 同助教、慶應義塾大学理工学部の田中宗 准教授、慶應義塾大学大学院理工学研究科の関優也 特任講師、早稲田大学理工学術院の戸川望 教授らの共同研究グループは、高出力かつ高ビーム品質で動作可能という特長を有する次世代半導体レーザー「フォトニック結晶レーザー」※1の設計において、量子アニーリング※2による組合せ最適化手法を適用することにより、従来設計と比較して、レーザーの性能を飛躍的に向上可能な新設計を見出すことに成功しました。本成果は、これまで限られた問題への適用が中心的であった量子計算技術が、製造分野における、製品設計や生産工程の最適化問題に対しても広く適用出来る可能性を示唆するものであり、スマート製造分野の発展に向けた重要な一歩であるといえます。
現在、ものづくりの分野においては、生産性の向上と大幅なコスト削減を目指して、AIやロボットの活用により、製品設計から製造プロセスに至る全ての工程を自動化・最適化する「スマート製造」の実現に向けた取り組みが盛んに行われています。しかしながら、製造分野の最適化問題においては、考慮すべき物理的な設計変数が非常に多いため、現実的な時間内に全てのパラメータを最適化することは、一般的には困難です。このような多くの設計変数をもつ最適化問題の解決に適した手法として、量子アニーリングが近年注目を集めており、配送ルートや人員シフトの最適化等の一部の問題に対しては、既にその有用性が実証されつつあります。しかしながら、製品設計や製造プロセスの最適化等、複雑な物理現象を伴う問題に対しては、量子アニーリングの適用例は少なく、スマート製造分野への適用可能性については、明らかではありませんでした。
今回、研究グループは、製造分野への量子計算の適用可能性を検証するための例題として、将来のスマート加工用レーザー光源としての普及が期待される「フォトニック結晶レーザー」の設計問題に、量子アニーリングによる構造最適化の手法を適用しました。その結果、フォトニック結晶レーザーが有する多様な設計自由度を活用することにより、レーザーの性能を表す重要な指標である「光出力」「ビーム拡がり角」「直線偏光比※3」の3つ全てを向上可能な新たな設計を見出すことに成功しました。本成果は、製造分野への量子計算技術の適用可能性を示唆する重要な一歩であるといえます。
本成果は、2022年9月21日に、第83回応用物理学会秋季学術講演会にて発表予定です。
1.背景
来るべき超スマート社会 (Society 5.0)に向けて、AIやロボットの活用により製造工程の自動化・最適化を行う「スマート製造」の実現に向けた取り組みが盛んに行われています。しかしながら、一般的な製造分野の最適化問題では、考慮すべき物理的な設計変数が非常に多く、最適解の候補が指数関数的に増大するため、従来の古典計算機を用いた最適化手法には限界があります。そこで、近年、上記のような組合せ最適化問題を高速に解くことが出来る手法の1つとして、量子アニーリングの手法が注目を集めています。量子アニーリングは、多数の量子ビット2)の重ね合わせ状態を利用することにより、イジングモデル※4と呼ばれる特定の形のエネルギーポテンシャルに対して、その最低のエネルギー状態を高速に求めることが出来る最適化手法です。これまで、量子アニーリングは、配送ルートの最短経路探索や、人員シフトの最適化問題等、イジングモデルが適用しやすい限られた問題に対して、その有用性が実証されてきました。しかしながら、製品設計や製造プロセスの最適化等、複雑な物理現象を伴う多くの問題は、一般にはイジングモデルによる定式化が難しく、その解決に量子アニーリングを適用した例は少ないのが現状です。
そこで、本研究では、製造分野の最適化問題への量子計算の適用可能性を検証するための例題として、将来のスマート加工用レーザー光源としての普及が期待される「フォトニック結晶レーザー」の構造最適化問題に取り組みました。
フォトニック結晶レーザーは、図1に示すように、光を増幅する活性層の近傍にフォトニック結晶層を設けた面発光レーザーであり、フォトニック結晶層の内部を伝搬する光波の相互結合を制御・活用することにより、原理的に、大面積・単一モード動作が可能という特長を有しています。最近の研究では、図1の右図に模式図を示すように、2つの空孔をxおよびy方向に4分の1波長だけずらして重ねた「2重格子フォトニック結晶」と呼ばれる独自の格子点構造を提案し、0.5mmΦ~1mmΦデバイスにて10W級~数10 W級動作を実験的に実証するとともに※5、開発したフォトニック結晶レーザーを搭載した光測距システム(LiDAR)の開発にも世界で初めて成功※6しています。さらに、極最近、フォトニック結晶レーザーをさらに大面積化(3~10mmΦ)した際にも単一モード動作を維持するための普遍的な設計理論を構築し、二重格子構造および裏面反射鏡の干渉条件を適切に調整することで、100W~1kW級の光出力が得られる具体的なデバイス構造の設計にも成功しています※7。ただし、これまでのフォトニック結晶レーザーの設計では、光源面内で一様なフォトニック結晶を採用したデバイス設計にとどまっていました。本来、フォトニック結晶レーザーでは、面内の場所ごとにフォトニック結晶の形状を変化させた“空間分布の設計”が可能であるため、その極めて大きな設計自由度を上手く活用することできれば、フォトニック結晶レーザーの性能を飛躍的に向上出来ることが期待されます。
2.研究手法・成果
上述のような背景のもと、本研究では、上記のフォトニック結晶レーザーの構造最適化問題に、量子アニーリングの手法を適用することを検討しました。本研究で用いた最適化手法の概要を図2に示します。今回は、直径1 mmの二重格子PCSELを設計の対象として、①フォトニック結晶の格子点形状(より正確には、格子点形状と一対一に対応する結合係数κ1D+κ2D-※8 の実部と虚部)、②光源面内のフォトニック結晶の発振周波数の空間分布、③光源面内の注入電流分布、の3種類の変数を同時に最適化することを試みました。これらの各構造変数については、構造の作製可能性を考慮して、上限値と下限値を設定した上で離散化を行うことで、44個の量子ビットδi(1≤i≤44)で表現し、計244 通りの候補の中から、最も高いレーザー性能が得られる構造を探索しました。最適化するレーザー性能としては、「光出力P」「xおよびy方向のビーム拡がり角θxおよびθy」「直線偏光比η」の3つの指標に着目し、これらの指標を用いて、Q=Pη/(θxθy)/1000で性能指数を定義しました。理想的なレーザーでは、出力と直線偏光比は大きく、拡がり角は小さいことが望ましいため、上記の式で定義される性能指数Qを最大化することを目標に、量子アニーリングによる構造最適化を行いました。
構造最適化の具体的な手順を以下に示します。はじめに、10組のランダムな構造変数の組に対して、光とキャリアの相互作用を考慮したフォトニック結晶レーザーの解析手法(時間領域3次元結合波理論)を用いて、レーザー特性の解析を行い、各構造の性能指数Qを計算しました。次に、量子アニーリングによる最適化を適用可能な、イジングモデルへの定式化を行うため、Factorization Machine※9と呼ばれる機械学習モデルを用いて、性能指数Qをδiに対する二次バイナリ多項式で表現した際の各係数を決定しました。その後、商用量子コンピューターD-Waveにて、量子アニーリングを複数回行い、Qを最大化するδiの組の候補を複数個出力しました。得られた候補に対しては、再び性能指数Qの計算を行い、イジングモデルの係数の更新を行った後、量子アニーリングを再び行いました。以上の工程を繰り返すことで、最適な構造の探索を行いました。
一様な発振周波数分布および注入電流分布を有する二重格子フォトニック結晶レーザー(従来構造)を初期構造として、量子アニーリングによる構造最適化を行った際の最高性能指数Qの変化を図3(a)の赤線に示します。アニーリングを繰返し行うことで、性能指数が飛躍的に向上し、初期構造の3.7倍の性能が得られていることがわかります。比較のため、古典的な離散最適化アルゴリズム(遺伝的アルゴリズム)により、最適構造を探索した際の結果を青線で示しますが、量子アニーリングを利用した場合に、古典的なアルゴリズムを採用した場合と比較して、少ない計算回数でより高い性能指数が得られていることがわかります。量子アニーリングにより最適化された構造のバンド端周波数分布および注入電流分布は図3(b)の通りとなり、従来設計とは異なる、非自明な空間分布を有するデバイス構造が得られていることがわかります。さらに、量子アニーリングによる最適構造について、光出力・ビーム品質・直線偏光比のそれぞれの値を別途計算したところ、図3(c)に示すように、従来設計(一様構造)と比較して、全ての性能が向上していることが確認出来ており、フォトニック結晶レーザーの最適化問題に対する、量子アニーリングの有用性を示すことに成功しました。
3.波及効果、今後の予定
今回、フォトニック結晶レーザーの構造最適化問題に対して、量子アニーリングを適用することにより、レーザーの出力・拡がり角・直線偏光比を同時に向上可能な新設計を見出すことに成功しました。今後、設計した最適構造を実際に作製することで、レーザーの性能が確かに向上することを実験的にも確認していきたいと考えています。また、今回の研究では、44個の量子ビットを用いた比較的小規模な問題に対する量子アニーリングの適用でしたが、今後、最適化する変数の数をさらに増やした、より大規模な問題に対する量子アニーリングの適用可能性についても、明らかにしていきたいと考えております。これらの検討を重ねて、モノづくり分野における量子アニーリングの有用性が実証されれば、量子技術を活用したスマート製造の実現に、将来的に貢献することが期待されます。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、以下のプロジェクトのもと、課題間連携の枠組みで推進されました。
内閣府 戦略的イノベーション創造プログラム(SIP) 光・量子を活用したSociety 5.0 実現化技術(管理法人:量子科学技術研究開発機構)
・研究課題「フォトニック結晶レーザーに係る研究開発」(研究責任者 野田 進)
・研究課題「次世代アクセラレータ基盤に係る研究開発」(研究責任者 戸川 望)
<用語解説>
※1 フォトニック結晶レーザー:2次元フォトニック結晶 (2次元状に周期的に波長程度の周期的屈折率分布をもつ光ナノ構造)を内蔵した面発光型の半導体レーザーです。大面積で安定した定在波状態が形成出来、高出力、高品質なビームが得られるという特長があります。
※2 量子アニーリング・量子ビット:量子アニーリングは、量子ビットと呼ばれる0と1の量子重ね合わせ状態を利用した最適化手法の1つです。複数の量子ビットが相互に作用した系においては、量子効果の強さを徐々に変化させることにより、その系のエネルギーが最小となる状態を作り出すことが出来ます。量子アニーリングでは、この性質を利用して、「イジングモデル(注4)」で表される関数の最小解を探索するように動作します。
※3 直線偏光比:偏光とは光の電界の振動方向のことであり、ビームの全ての場所において偏光がそろっているビームの状態を直線偏光と呼びます。直線偏光のレーザー光は、光学素子を利用したビームの合波・整形が容易であるため、様々な応用にとって重要です。フォトニック結晶レーザーから出射される光は、直線偏光に近い状態ではありますが、ビームの外側で偏光方向が異なる成分が一部含まれています。本研究では、主な偏光成分と直交する偏光成分のパワーの比を直線偏光比と定義し、この値を最大化する構造の探索を行いました。
※4 イジングモデル:2値に離散化された変数の組に対して、目的関数が、それらの変数の2次多項式で表されるモデルのことです。磁性体中の電子のスピン間の相互作用を表すモデルとして有名ですが、様々な離散最適化問題がイジングモデルで記述可能であることが知られており、有名な例としては、全ての都市を一度ずつ訪れて元の都市に戻ってくる際の最短経路を探す問題(巡回セールスマン問題)などが挙げられます。
※5 プレス発表「新たなフォトニック結晶構造を用いて半導体レーザーの高輝度化に成功 -来たるべき超スマート社会におけるスマート製造やスマートモビリティに貢献-」および「短パルス・高ピーク出力動作可能な新しいフォトニック結晶レーザーの開発に成功―超微細加工、高精度光センシング、バイオイメージング等への応用に向けて―」を参照。
※6 プレス発表「フォトニック結晶レーザーを搭載したLiDAR の開発に世界で初めて成功―来たるべき超スマート社会におけるスマートモビリティの発展に貢献―」を参照。
※7 プレス発表「100W~1kW級単一モードフォトニック結晶レーザーの設計指針の確立―超スマート社会を支える究極の半導体レーザー光源の実現に向けて―」を参照。
https://www.t.kyoto-u.ac.jp/ja/news/topics/research/20220706_gaiyou
※8 結合係数κ1D+κ2D-:フォトニック結晶層では、その回折効果によって、上下左右に伝搬する光が互いに結合しており、その結合の強さを結合係数と呼びます。具体的に、κ1D はエネルギーの損失を伴わない180°回折、κ2D-はエネルギーの損失を伴わない90°回折の強さを表しており、その和κ1D+κ2D-が変化することで、レーザーの発振特性が大きく変化します。詳細は注7)のプレス発表を参照。
※9 Factorization Machine:行列の因数分解(Factorization)を用いて、多変数からなる入力から出力を予測する手法のことです。Factorization Machineの数式モデルは、イジングモデルと相性が良いため、本研究では、イジングモデルの係数決定にFactorization Machineを利用しました。
<研究者のコメント>
フォトニック結晶レーザーの構造設計に、量子アニーリングの手法が適用出来るというのは、当初予想していない結果であり、大変興味深く感じております。今後は、さらなる詳細な検討を重ね、スマート製造分野における量子アニーリングの適用可能性を探索していければと考えております。 (野田、井上)
量子アニーリングは、組合せ最適化問題を高速、高精度に解法する技術としてさまざまな社会問題の解法に取り組まれ、一定の成果を挙げてきました。本成果は、量子アニーリングが、従来難しいとされたスマート製造分野にも適用可能であることを示しており、量子アニーリングの適用可能性を格段に広げるものと考えております。(戸川、田中)
<発表予定と著者>
タイトル:量子アニーリングによるフォトニック結晶レーザーの構造最適化
著 者:井上卓也、関優也、田中宗、戸川望、石﨑賢司、野田進
発表学会:第83回応用物理学会秋季学術講演会 講演番号21a-A101-11