4月1日・2日に挙行された2013年度入学式において、九代目松本幸四郎丈に芸術功労者表彰を、木村興治氏にスポーツ功労者表彰を、また野中郁次郎氏に名誉博士学位を贈呈しました。
芸術功労者:九代目松本幸四郎丈

九代目松本幸四郎丈
九代目松本幸四郎丈は、1942年、八代目松本幸四郎(初代白鸚)の長男として東京に生まれた。1946年、3歳の初舞台で外郎売のせがれ役を演じ、二代目松本金太郎を襲名、3年後の49年には『ひらかな盛衰記』〈逆櫓〉で遠見の樋口を演じて六代目市川染五郎を襲名、若年期より老若男女を問わず、幅広い人気を博して縦横の活躍を続けた。1981年、『勧進帳』の弁慶や『助六由縁江戸桜』の花川戸助六などにより、歌舞伎界名門の嫡流として、九代目松本幸四郎を襲名。日本芸術院会員・文化功労者の栄に浴され、紫綬褒章をはじめ、これまでの受賞・顕彰はあげて数えきれぬほどである。
九代目松本幸四郎丈は、伝統的な歌舞伎の世界で、英雄役者の名をほしいままにしたばかりではなく、1960年に、17歳でわが国最年少のハムレット役としてテレビ出演したのを皮切りに、シェークスピア四大悲劇完演、『アマデウス』をはじめとする翻訳劇・現代劇・ミュージカル・映画・テレビとあらゆる分野に及ぶ。『ラ・マンチャの男』では、脚本のD.ワッサーマン夫人より1969年に『ラ・マンチャの男』が受賞したトニー賞のトロフィーを、『ラ・マンチャの男』でもっとも功績のあった人へというD.ワッサーマン氏の遺言により譲渡されている。歌舞伎界の重鎮としての活躍の一方で、それに匹敵するほどの領域を超えた、多彩な舞台活動を展開したその足跡はまさに超人的という言葉が最もふさわしい。
わが早稲田大学へは、1961年本学第一文学部に入学、文学科演劇専修で学んだ。65年に中途退学するが、76年に推薦校友となる。百周年記念事業、百二十五周年記念事業の二度にわたり大隈講堂において『勧進帳』をつとめたことも、本学には忘れがたい。ちなみに2003年には第十回坪内逍遙大賞を受賞している。
九代目松本幸四郎丈は、演劇を以て精華の一とするわが早稲田文化の生んだ大輪の名花といえる。
スポーツ功労者:木村興治氏

木村興治氏
木村興治氏は、1940年12月11日に秋田県秋田市に生まれた。1959年早稲田大学に入学後、1961・1964年には全日本選手権シングルス優勝、さらに1961年世界卓球選手権北京大会では男子ダブルスで優勝を遂げた。隔年開催の世界大会では、1963年、1965年と連続して混合ダブルスで世界チャンピオンを獲得した。また、1967年開催の世界大会においては、男子監督兼選手として団体優勝に導くなどの卓抜な成果をあげ、長年にわたって国民に大きな感動と勇気と誇りを与え続けた。
会社生活を続けながら、選手・指導者として活躍した後、日本、アジア、世界の卓球組織の理事として、卓球の国際化に向けた活動を積極的に展開し、五輪種目採用に多大な寄与をした。
木村興治氏は、国際卓球ルールの変更においても、国内外で様々なリサーチをもとに、科学的実験や多くのテストマッチを実施した結果を総括し、最終的な方向づけを決定する総会での議論を牽引、多大な貢献を果たした。近年の世界卓球界の発展および競技ルールの変更および改善に関する氏の功績は誠に大きく、絶賛に値するものである。現在は、公益財団法人日本卓球協会副会長、国際卓球連盟執行副会長として、世界の卓球の発展策を考え、積極的に行動している。
2014年に東京で開催予定の世界大会では、組織委員会が設立されているが、木村興治氏は組織委員会委員長に就任し、東日本大震災後の日本の復興に対する世界各国の支援への感謝の気持ちを込め、大会に招待する被災地の少年少女卓球選手と大会参加選手との交流イベントを計画するなど、日本のお家芸「卓球」の復活を目指して獅子奮迅の働きを見せている。
本学においても、長きにわたり体育局およびオープン教育センターで教鞭をとり、後進の育成に尽力し多くの人材を輩出するとともに、本学のスポーツ振興に多大な功績を残した。
名誉博士学位:野中郁次郎氏

野中郁次郎氏
野中郁次郎氏は1935年墨田区に生まれ、東京都立第三商業高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部に入学1958年に卒業した。同年富士電機製造株式会社に入社し、9年間の在職。その後カリフォルニア大学バークレー校経営大学院(ビジネススクール)に入学し、経営学修士(MBA)を得たのちに、1972年同校の経営大学院博士課程を修了してPh.D.を授与された。帰国後、日本企業と米国企業の実践的な比較研究を通じ、日本企業の経営の理論化でまず業績をあげる。野中氏の理論は1990年の著書「知識創造の経営」として最初にまとまった形で発表され世界に広く知られるものとなり、知識創造のプロセスをモデル化した野中氏の「SECIモデル」は、今日のナレッジマネジメント研究の礎を築くものとなった。
著書、研究論文は多岐に亘り、受賞した著書も多数に上る。主なものだけでも、日経・経済図書文化賞、組織学会賞、経営科学文献賞、米国出版社協会ビジネス経営書部門ベスト・オブ・ザ・イヤー賞などが挙げられる。
こうした学術研究の成果が認められて、2002年には紫綬褒章を授与されるとともに、米国経営学会からは、この学会で最も権威のあるアカデミー・オブ・マネジメント・フェローグループのメンバーとして、アジアから初めて選出された。また2007年には米国アカデミー・オブ・マネジメント(経営学会)・インターナショナル部門エミネントスカラー賞を受賞し、2008年にはウォールストリートジャーナルから「最も影響力のあるビジネス思索家トップ20」に選出され、さらには2010年瑞宝中綬章を、2012年には米国の学会アカデミー・オブ・インターナショナル・ビジネスのエミネントスカラー賞も受賞している。
このように野中氏は、経営学の分野において日本のみならず、米国を中心に世界中を研究の場として活躍し、国内外を問わず数多の研究者から尊敬の念を集めている。早稲田大学においては特命教授として、氏は類まれなる学識経験と世界中に広がる研究者ネットワークを活かし、本学の発展に大きく寄与している。特にグローバル展開で一層の充実を図りつつある本学ビジネススクールにとっては、無くてはならない唯一無二の研究者である。
以上