顕彰状 九代目松本幸四郎丈

顕彰状

九代目松本幸四郎丈は、1942年、八代目松本幸四郎(初代白鸚)の長男として東京に生まれた。1946年、3歳の初舞台で外郎売のせがれ役を演じ、二代目松本金太郎を襲名、3年後の49年には『ひらかな盛衰記』〈逆櫓〉で遠見の樋口を演じて六代目市川染五郎を襲名、若年期より老若男女を問わず、幅広い人気を博して縦横の活躍を続けた。1981年、『勧進帳』の弁慶や『助六由縁江戸桜』の花川戸助六などにより、歌舞伎界名門の嫡流として、九代目松本幸四郎を襲名。日本芸術院会員・文化功労者の栄に浴され、紫綬褒章をはじめ、これまでの受賞・顕彰はあげて数えきれぬほどである。

その芸風は、1200回という現役最多の出演記録を誇る『勧進帳』の武蔵坊弁慶、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助、『一谷嫩軍記』の熊谷次郎直実、『義経千本桜』の知盛などをはじめとする数々の当たり役に代表されるような、風格のある時代物の主人公に最もよく現れている。

かくして九代目松本幸四郎丈は、伝統的な歌舞伎の世界で、英雄役者の名をほしいままにしたばかりではなく、1960年に、17歳でわが国最年少のハムレット役としてテレビ出演したのを皮切りに、シェークスピア四大悲劇完演、『アマデウス』をはじめとする翻訳劇・現代劇・ミュージカル・映画・テレビとあらゆる分野に及ぶ。そこではまた現代演劇俳優として、人間心理の奥底までも描くような深みのある演技により好評を得ている。とくにミュージカル『ラ・マンチャの男』では、牢獄中の作者ミゲル・ド・セルバンテスが、囚人達と演じる劇中劇の主人公役アロンソ・キハーナの妄想の産物であるドン・キホーテという、多重的な役柄を巧みにつとめてこれも通算1200回の史上最多を達成し、脚本のD.ワッサーマン夫人より1969年に『ラ・マンチャの男』が受賞したトニー賞のトロフィーを、『ラ・マンチャの男』でもっとも功績のあった人へというD.ワッサーマン氏の遺言により譲渡されている。そして1970年にはブロードウェイにおいて英語で主演するという前人未踏の快挙をも成し遂げ、また1991年には『王様と私』を同様に英語で6ヶ月間イギリス各地を巡演しロンドンウエストエンドまで207回の舞台を日本人として初めて演じている。歌舞伎界の重鎮としての活躍の一方で、それに匹敵するほどの領域を超えた、多彩な舞台活動を展開したその足跡はまさに超人的という言葉が最もふさわしい。

わが早稲田大学へは、1961年本学第一文学部に入学、文学科演劇専修で学んだ。65年に中途退学するが、76年に推薦校友となる。百周年記念事業、百二十五周年記念事業の二度にわたり大隈講堂において『勧進帳』をつとめたことも、本学には忘れがたい。ちなみに2003年には第十回坪内逍遙大賞を受賞している。

九代目松本幸四郎丈は、演劇を以て精華の一とするわが早稲田文化の生んだ大輪の名花というべく、世界の名優に伍して遜色ない、希有の舞台人である。早稲田大学は九代目松本幸四郎丈の長年にわたる活躍とわが国芸術界への業績の数々を称え、ここに早稲田大学芸術功労者として、ながくその栄誉を顕彰するものである。

2013年4月1日

早稲田大学

以上

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