数理物理学研究
小澤 徹(おざわ とおる)/理工学術院 先進理工学部 応用物理学科 教授
自然そのものが数学的に投射される 数理物理学の醍醐味
2016年2月、世界で初めて重力波が観測されたという報道がありました。100年前にアインシュタインによって予言された存在が、確かめられたということです。なぜ、アインシュタインは、重力波を予言できたのでしょうか。物理現象の本質に潜む数学的構造を突き詰めて考えたからです。数学によって現象を記述する数理物理学について、理工学術院 先進理工学部 応用物理学科 小澤徹教授にお聞きしました。
数理物理分野の研究史
私は、数理物理学の研究者です。 現在、小澤研究室で行われている主な研究テーマとしては、古典場の理論の数学的基礎、量子力学の数学的基礎、電磁流体力学・プラズマ物理の数学的基礎、流体力学の数学的基礎、非線型光学の数学的基礎があります。

図:小澤研究室 研究テーマ (出典:小澤徹)
1877年、日本で最初の学会として設立されたのが東京数学会社です。それ以前から、イギリスのロンドン数学会をはじめとしてヨーロッパにはいくつかのアカデミーがありましたが、東京数学会社は米国数学会よりも早い時期にできた学会です。ここには、和算と洋算そして窮理の専門家が集まりました。窮理といえば、福澤諭吉の『窮理図解』を思い出しますが、今でいう物理のことです。この東京数学会社が、1884年に東京数学物理学会となり、1918年に日本数学物理学会となります。戦後、この学会は日本数学会(MSJ=Mathematical Society of Japan)と日本物理学会に分離します。
いま米国数学会発行のMathematicl Reviews(数学評論)による数学分野の分類をみると、62の項目があります。この中には力学、流体力学、光学、量子論、地球物理学などの項目が含まれています。ほかにもゲーム理論、生物学、情報、回路なども入っている。これが意味するのは、数学を用いた論文は、すべて数学に分類するのが欧米の常識だということです。さまざまな研究対象に、数学を道具(あるいは武器といってもいいかもしれません)として積極的に活用するのです。もう一点、分類表をよく見ると、0から順番に番号が振られているものの、例えば「08一般代数系」の次は「11数論」となっていて、9と10が飛んでいます。これは、新たな数学分野が広がる可能性を示唆していると私は考えています。
早稲田大学の数理物理学研究室は、1929年に発足しました。本学で物理学科や応用物理学科ができるずっと前のことです。研究室を立ち上げたのは、回路理論を研究されていた小泉四郎先生です。以降、飯野理一先生、堤正義先生と続いて、その後を大谷光春先生と私が受け継いでいます。

図:数学の分野 (出典:21世紀COEプログラム「特異性から見た非線形構造の数学」運営委員会)
物理現象を記述する学問としての数学
数理物理学とは何か。理論物理の土台となる基礎方程式を数学的に解析する学問といえます。ほとんどすべての物理現象は、微分方程式の形で表されます。物理現象の記述は、考察の対象とする物理量(位置、速度、加速度、密度、分布、波動関数、場など)を定め、その変動率(時間変化、空間変化、変分など)を力や流れなどの収支の均衡という視点から等式を立て、方程式を導出することから始まります。変動率の表現に微分法が用いられれば、その方程式は微分方程式となるわけです。
ただし、この場合、微分方程式は実際の現象に基いて考察された枠組みではありますが、あくまでも模型化(モデル化)されたものであることに留意する必要があります。模型化とは、実際の現象の中から本質的なものだけを単純化して抽出する一方で、それに比較して重要でない要素は一切無視して捨て去る一連の工程を意味します。

写真:専門分野について丁寧に解説くださる小澤先生
例えば、現実に目の前で起こっている物理現象を対象とするなら、時間変数は実数として捉えますが、どんなに計測技術が進歩しても有理数表示を超えることは不可能でしょう。あるいは古典力学における質点の概念は質量と位置からなりますが、位置は大きさのない点として考えます。現実には質量を持ちながら、大きさのない物体はあり得ません。
従って模型には、現実の複写である必要性はないものの、現象の本質が単純化した形で抽出され、的確に表現されていることが求められます。模型化が微分方程式という数学的体裁を取った時点で、それは現象の観測からいったん切り離され、数学的対象として扱われることとなり、数学的検討を経て得られた結果のみが成果として残ります。その成果が現象の本質を衝いていれば、その模型は現象を説明する理論として残ります。
ニュートンの運動方程式、ナビエ・ストークス方程式、ボルツマン方程式、マクスウェルの方程式、シュレディンガー方程式、ディラック方程式などは、微分方程式の典型的具体例です。こうして残った理論はどれも単純な形をとっており、極端に抽象化されています。
そこで重要なのは、現象を記述しているのは微分方程式そのものではなく、微分方程式の解であることです。現象の実在は、模型化された枠組みにおける微分方程式の解の存在と同値であり、現象の記述は、その解の数学的性質を調べることによって実現されます。つまり、現象をよく記述している微分方程式とは、解の存在及び現象に結びついた解の性質が数学的に証明・表現できる方程式のことです。
数学的思考を突き詰めた先に見える世界
物理には様々な基礎方程式があります。そこで考えなければならないのが相互作用です。例えば、自分だけの世界にポツンといる場合は、まわりから影響を受けることはありません。けれども、例えば重力波は、時間と空間が質量によって歪み、その歪みが時空を伝わっていくものです。このように相互作用を伴う現象は、線形方程式ではなく、非線形方程式で記述することになります。
現象を手本として考案された模型でも、いったん現象から離れて、ある程度自由に、一般化した枠組みで一般化した模型を検討することにより、現象の本質をより深く理解できたり、新たな現象の予測が理論的に可能となります。言い換えれば、数学を突き詰めていった結果として、新たな物理現象が予言されるのです。
これは何も今に始まったことではなく、既に100年前に分子や原子などがまだ見えない存在だった頃に、マッハとボルツマンは気体分子運動論を巡って、激しい論争を重ねていました。湯川秀樹博士がその存在を予言した中間子は、観測技術の進歩によって、後にその実在が検証されました。今では分子や原子どころか、電子をつまんで動かすこともできる時代となっています。そしてアインシュタインの予言した重力波も観測されました。
まさにハイデガーが喝破したように「自然そのものが数学的に投射される(mathematischen Entwurf der Natur selbst)」のであり、人間が頭の中で考え尽くしたことが実際の現象として観測される。実に不思議なことですが、そこに数理物理学の醍醐味が凝縮されているのです。

写真:国際数学者会議(ICM=International Congress of Mathematicians )2014の日本フォーラムにてスピーチする小澤先生 (出典:日本数学会)
次回は、小澤先生の愛弟子で、日本学術振興会「育志賞」を受賞した博士課程学生の藤原 和将(ふじわら かずまさ)さんが登場します。小澤先生と数理物理学について語り合います。
※日本学術振興会「育志賞」
※早稲田大学 研究ニュース
※早稲田大学 研究ニュース(受賞式)
プロフィール
早稲田大学理工学部物理学科卒。
京都大学大学院理学研究科数理解析専攻博士課程中退、理学博士。名古屋大学理学部助手、京都大学数理解析研究所助手、北海道大学理学部講師、助教授、教授を経て現職。21世紀COE プログラム「特異性から見た非線形構造の数学」拠点リーダー、スーパーグローバル大学創成支援 「早稲田大学数物系科学拠点」拠点副代表、国際数学連合(IMU)国内委員会委員長などを務める。日本数学会賞春季賞(日本数学会)受賞
小澤先生の研究業績(最近の論文)
- J. Kato, T. Ozawa,Endpoint Strichartz estimates for the Klein-Gordon equation in two space dimensions and some applications, J. Math. Pures Appl., 95(2011), 48-71.
- S. Katayama, T. Ozawa, H. Sunagawa,A note on the null condition for quadratic nonlinear Klein-Gordon systems in two space dimensions,Commun. Pure Appl. Math., 65(2012), 1285-1302.
- N. Hayashi, T. Ozawa, K. Tanaka,On a system of nonlinear Schrödinger equations with quadratic interaction,Ann. Inst. Henri Poincaré, Analyse non linéaire, 30(2013), 661-690.
- T. Ozawa, K. Rogers,A sharp bilinear estimate for the Klein-Gordon equation in ℝ1+1,Int. Math. Res. Not. IMRN, 2014(2014), 1367-1378.DOI:10.1093/imrn/rns254
- R. Carles, T. Ozawa,Finite time extinction for nonlinear Schrödinger equation in 1D and 2D,Commun. PDE., 40(2015), 897-917.DOI:10.1080/03605302.2014.96735