歴史と伝統に輝く早稲田大学から本日こうして名誉博士号を受けることは、私にとって身に余る光栄であります。白井克彦総長、奥島孝康前総長をはじめご尽力いただいた関係者の方々に心からお礼を申し上げます。
私が早稲田大学に職を奉じていた期間は決して長いものだったとはいえません。しかしたとえ短い期間であったとはいえ、この大学に籍を置いて皆さんと一緒に学び、一緒に研鑚を積み、一緒に思索することができたことは、私の人生にとってこのうえない幸せなことだったと考えております。
私は早稲田大学を自分の「母校」(Alma Mater)と呼ぶことのできる人間の一人ではありません。それにもかかわらず、私が早稲田大学の人となって最も強い印象を受けたのは、この大学の建学の精神でありました。なかでも、校歌にうたわれているとおり、「現世を忘れぬ久遠の理想」を追求する精神ということであります。それは、現実にしっかりと足を据えながら自分の人生にとっての価値―理想の実現を目指すということにほかなりません。そして、それは、早稲田大学にともに学んだ皆さんがそれぞれのこれからの人生の中で分かちあっていく共通の「志」とも呼ぶことができるものなのであります。
私がこのことに共感をおぼえるのは、それが私自身の人生の軌跡と重なるところが大きいと感ずるからでありましょう。私自身のことを振り返ってみますと、私は大学を卒業して以来ほとんど半世紀にわたる私の人生を Public Service という形で社会のために捧げてきた人間であります。その中で、特に日本の外交の一端を担うという立場から国際関係の実践に関わることを通じて、理想と現実との狭間に立って格闘してきたということができると思います。日本とは何か、国際社会における日本の役割とは何か、そしてそのなかでの自分とは何かということを問いつづけて生きてきたと申せます。今日、国際司法裁判所裁判官として法の下における国際紛争の平和的解決という仕事に携わるようになったのも、日本という社会、世界という社会の現実の中で私なりに追求してきた理想を実現する途は何かという問題意識の一つの帰結ということができるように思うのです。
皆さんは今日卒業の日を迎え、人生の新しい一歩を踏み出そうとしておられます。皆さんがどういう職業、どういう分野を自分の将来として選択されるにせよ,それがかけがえのない皆さんの人生にとってどういう意味をもつのかということを常に考えながら生きていただきたいと思います。そして理想と現実との狭間に身を置いて努力していただきたいのです。最後に自分の人生を振り返ってみる時がきたときに、本当に意味のある一生だったといえるような人生を生きるように心がけていただきたいと思います。
皆さんの先輩のなかには、様々な生き方を通じて人生の在り方というものについて考える上でのモデルを示された多数の方々がおられます。例えば、戦乱のイラクで尊い命を犠牲にされた奥克彦大使のように自分の信ずる理想を追求して世界のため、日本のために一身を捧げた人, 戦火の収まらないコソボで人道支援活動に青春の情熱を傾けている人、地域社会のなかで地の塩となって恵まれない人達の人間安全保障という分野に自分の理想実現の夢を託す人──ひとそれぞれのやり方で地域社会であれ、国内社会であれ、更には国際社会であれ、社会のために自分がなしうることは何かを考え、現実をしっかり踏まえながら自分の信ずるところ、理想とするところを実現するために努力してきた数多くの先達がおられます。皆さんも是非「人は何のために生きるのか」という問いかけに対して自分自身の答えを出すように心がけていただきたいと思うのです。
勿論、途は平坦ではありません。皆さんの前途には理想を実現するために克服しなければならない多くの障碍、困難が待ち受けています。その中で皆さん自身迷い、悩み、苦しむこともあることでしょう。しかし、迷い、悩み、苦しむことは若者の特権だともいえます。迷い、悩み、苦しむことなしには、進歩も発展もありません。これから皆さんを待ち受ける人生の中で皆さんが困難に逢着したときには、次のようなドイツの文豪ゲーテの言葉を思い出していただきたいと思います。
「努力する限り人間は迷うものだ。」 Es irrt der Mensch solang er strebt 〔ファウスト第一部 天上の序曲より〕
皆さんの新しい人生の門出にあたってこの言葉を皆さんへの餞けとして贈るとともに、私への名誉博士号授与に対する心からのお礼の御挨拶としたいと存じます。