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ゲームデザイナー 堀井雄二氏、活躍の軌跡
Fri 21 Nov 25
Fri 21 Nov 25
2025年10月19日(日)にて行われた「創立150周年記念事業オープニングセレモニー」では、特別企画として「ドラゴンクエスト」シリーズの生みの親であるゲームデザイナーの堀井雄二氏によるトークセッションが行われました。
本記事では、トークセッションの様子をお届けします。
※登壇者の発言は、抜粋や要約によるものです。
【プロフィール】
堀井 雄二(ほりい・ゆうじ)
1954年兵庫県生まれ。ゲームデザイナー。
早稲田大学第一文学部を卒業後、雑誌、新聞などのフリーライターを経て、ゲームデザイナーへの道を歩みはじめる。1986年、シリーズ第1作目となる『ドラゴンクエスト』を発表。その3作目となる『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ・・・』は、さまざまな社会現象を引き起こすほどの大ヒットとなり、以後、つねにゲーム業界の第一線で活躍をつづける。
漫画家を志して早稲田に入学後、ゲームデザイナーの道に至るまで
戸山キャンパス早稲田アリーナで行われた創立150周年記念事業オープニングセレモニーは、「第60回ホームカミングデー記念式典」と同時に行われた式典です。多彩な分野で活躍する校友が登壇するとともに、来場者に向けて記念事業の構想が共有されました。
セレモニーの特別企画として開催されたのが、堀井雄二氏によるトークセッションです。「ドラゴンクエスト」シリーズの序曲の調べとともに、堀井氏が紹介されました。ゲーム業界の第一線で活躍する堀井氏に司会より質問が投げかけられます。
-堀井さんは日本を代表するゲームデザイナー。ご出身は第一文学部ですが、サークル『漫画研究会』にも所属していたのですよね。
堀井氏「私は高校時代から漫画家を志望しており、文学部を目指していたのですが、得意な数学で受験できるのが早稲田大学の第一文学部でした。在学中には出版業界の先輩と出会い、ライターの活動を始め、卒業後はフリーライターとしてキャリアをスタートしました」
-そこからどのようにして、ゲーム業界に足を踏み入れたのでしょうか。
堀井氏「きっかけは、コンピュータと出会い、没頭したことでした。数学的な感覚があったので、プログラミングも独学で習得し、自作ゲームのコンテストに応募したところ、入賞しました。そこからゲームデザイナーになったわけですが、一人で作ったゲームも商品になるような時代背景も、大きかったのだと思います」
社会現象を起こした“ドラゴンクエスト”の誕生と、ゲーム業界の可能性
-当時のゲームは、まだ黎明期。全く新しい業界に飛び込んだのですね。その後、私たちの世代はファミコンやドラゴンクエストに出会います。特に『ドラゴンクエストIII そして伝説へ・・・』は、社会現象になるほど流行しました。どのようにして生まれたのでしょうか。
堀井氏「ファミコンが登場して間もない頃は、アクションゲームが主流だった時代。ロールプレイングゲーム(RPG)を作れば、絶対に売れると思っていました。シリーズ最初の『ドラゴンクエスト』を制作し、成功したので、“II”、“III”と展開していきました」
-自分で主人公を育て、その選択から異なるシナリオが展開される構造も斬新でした。その後、ドラゴンクエストシリーズには11もの作品(ナンバリングタイトル)が発売され、次々と進化を遂げてきました。現在も、多くの若い世代を魅了しています。
堀井氏「来年はちょうど、“ドラゴンクエスト40周年”を迎えますが、今も多くの方々に楽しんでいただけることは、大変ありがたいことです。『ドラゴンクエストIII そして伝説へ・・・』のリメイク版も、200万以上のヒットとなっています」
-シリーズは、出版、映画、ドラマ、アニメなどのメディア展開もされてきました。長らくゲーム業界に携わってきた堀井さんには、今のゲームはどのような存在として映るのでしょうか。
堀井氏「ドラゴンクエストも初期は、社会的に目の敵にされた側面がありました(笑)。しかし今は、ほとんどの人がゲームを楽しむ時代。好意的に受け入れられていると感じます。インターネットの普及以後は、エンターテインメントのコンテンツが爆発的に増加し、市場としては“時間の奪い合い”が生じているのかもしれません。一方、ゲームにはVRをはじめとしたテクノロジーが浸透し、ヴァーチャルとリアルがクロスするような、新たな可能性が広がっています」
トップランナーが贈る、早稲田大学へのメッセージ
-ゲーム業界では若い世代も大勢いると思います。堀井さんが第一線で活躍しつづけられた秘訣は、どこにあるのでしょうか。
堀井氏「もともとゲームが好きだったことが、一番なのだと思います。大変なこともたくさんありましたが、反響や期待をいただいたことで、楽しみながらキャリアを歩めました」
-早稲田大学は2032年に150周年を迎えます。堀井さんにとって、早稲田はどのような場でしたか。
堀井氏「学生時代の私は、あまり優秀な学生ではありませんでした。それでも許してくれた自由な校風こそ、早稲田という大学なのでしょう。在学中はさまざまな人に出会い、それが私の人生をつくりました。今後も早稲田大学には、若い世代に可能性を与える大学でありつづけてほしいです」
-最後に、現役学生に対してメッセージをお願いします。
堀井氏「若い頃は、どんなに失敗をしても取り返しがつきます。失敗を恐れず、いろいろな可能性を探り、少しずつ自分の将来を見つけていってほしいです。やりたいことに対しては、死に物狂いで取り組んでください。“やった後悔”より“やらない後悔”の方が、必ず大きいものです。学生の皆さんには、どんどんチャレンジしてほしいです」