祝辞 藤原 弘治 様
株式会社みずほ銀行前頭取、東京センチュリー株式会社代表取締役社長
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。また、ご家族の皆さまにも心よりお祝い申し上げます。ご紹介頂きました藤原弘治と申します。ちょうど44年前に早稲田大学商学部に入学し、40年前に卒業した皆さんの先輩にあたります。
入学式に向かう際の胸の高鳴りを、今でも鮮明に覚えています。福岡の高校を卒業し、一年間の浪人を経て、早稲田の杜にたどり着きました。自分の母校である早稲田大学への入学を願っていた父、家計をやりくりして本学に送り出してくれた母、遡ることその又30年前に父が学生時代に愛用していた角帽をかぶり、胸いっぱいに希望と誇り、そして何より両親への感謝の気持ちを噛み締めながら、一人高田馬場から早稲田の会場に向かったことが昨日のことのように思い出されます。初めて歌う校歌に胸が熱くなり、感激した瞬間も忘れられません。
皆さんは、どんな心持ちで今日の入学式に臨んでいるでしょうか。高校時代の思い出、受験勉強の苦労、志望校に合格した喜び、中には第二志望での妥協を抱えている人もいるかもしれません。これから始まるキャンパスライフに対する期待や不安が入り混じっていることでしょう。これからの4年間、どんなことが起きるのか、またどう過ごすのか、その何とも定まらない、複雑な気持ちはしっかりと覚えておいてください。それがこれからの皆さんの成長を確認する基点となり、人生の目標を定めていく礎となるからです。
今日この入学式で皆さんに伝えたいメッセージは、「誰かのために」ということです。自分以外の誰かのために、自分の出来ることに全力を尽くし、誰かを少しでも笑顔にできること、これに勝る喜びはありません。自分以外の誰かとは、両親、家族、友人、先輩後輩といった身近な人から、今は見知らぬ人々、これから出会う人々まで広がり、日常で触れ合う人からSNSの向こうにいるバーチャルな相手まで、そして近隣から地域、日本全体、そして世界中の人々に広がっていきます。
早稲田大学の創設者大隈重信は、「一身一国のためのみならず、進んで世界に貢献する抱負が無ければならぬ」という言葉を残しています。
早稲田大学に学ぶということは、世界を見据え、自主的・能動的に社会に貢献することを意味します。自分以外の誰かへの貢献の範囲を日本だけでなく世界に広げ、将来のリーダーとして歩む、その人材育成こそ早稲田大学の大義であると私は理解しています。とりわけ、商学部は、実業に最も近い学問を学べる場所です。マーケティング、税務・会計、経営学など、いずれも実務的かつ実用的で、社会貢献に必要不可欠な知識を学ぶことができます。建学の精神を現代社会のコンテクストに置き換えた課題は、「研究の早稲田」「教育の早稲田」「貢献の早稲田」の三つですが、私は卒業生として商学部が、三つ目の「貢献の早稲田」を体現する上で最適な学部だと実感しています。
ここまで偉そうに語ってきましたが、入学当初の私はそれほど志の高い学生ではありませんでした。好奇心は旺盛でしたが、一方で遊びたい、目立ちたい、モテたいという俗っぽい欲望を持ち、自分以外の誰かを深く考えることなく、将来の展望も持たない学生でした。ただ、何事にも夢中になり、間違い続けながらも、一生懸命生きていたような気がします。よく学び、よく遊び、よく働いた記憶が残っています。奨学金を受け取り、福岡県が運営する寮で生活し、家庭教師や土建業、引越し作業、ボディガード、築地の魚市場でのマグロ引きなど、様々なアルバイトを掛け持ちしました。
その中で生まれて初めて社会の一員として、独立した自分と向き合い始めました。早稲田大学の大先輩でもある作家の村上春樹さんが多くの著書で問いかける「自分探し」の始まりです。漠然とした不安や根拠のない希望の中で、他者と関わり、助けられ、少しずつ他者の役に立つ、自分以外の誰かのために、といった感覚を身につけていきました。皆さんはこの四年間をどう過ごしますか。入学したばかりの皆さんに今問いかけるのはどうかとは思いますが、自らの反省や後悔も込めて敢えて言うなら、今から自分なりの目標を掲げ、四年後までのロードマップを描き、日々その目標に向かって一日一日を大切に過ごしてほしいと思います。
さて、本日のメッセージは「誰かのために」です。ここで、大隈重信の言葉にある「世界に貢献する抱負」を持つために何をすべきか、私は次の三点を皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
一つ目は、世界の扉を開く、です。 世界に貢献するためには、まず世界を知ることが重要です。世界の潮流を知る感度を培い、地政学的な緊張やグローバル化の変容、地球温暖化への対処、資本主義の副作用としての格差や分断、そしてAIをはじめとするデジタル革命といった多様な問題に触れてください。スマホを通じて地球上の情報を手に入れることができますが、そこは事実とフェイクが混在し、客観的事実と主観的見解が交錯する混沌とした世界でもあります。だからこそ、できるだけ多くの国を訪れ、現地で多様性に触れ、五感で体感し、真実と本質を見極めてください。日本で見ていた景色や、これまで当然と思っていた常識が、異なる角度から迫ってくることがあります。その中で、自分自身の思考の軸、物事を判断する基準を見つけてほしいと思います。社会課題に向き合う際、対処療法的ではなく原因療法的な解決の糸口を見出す助けとなるでしょう。
二つ目は、自分自身に投資する、です。 世界に貢献するためには、知見と経験を蓄えることが求められます。知的好奇心を持ち、その先にある課題を見つけ出し、解決するための知識と経験を積み上げてください。資格取得や交流の広がりなど、様々な挑戦に向き合いましょう。私自身、大学三年生の時に、米国スタンフォード大学の短期留学に参加しました。海外に強い憧れを抱いていた私は、大学の掲示板にあった一枚のチラシにくぎ付けになります。米国短期留学の知らせです。費用は約40万円。とても高いハードルではありましたが、その日から築地の魚市場でバイトを始めました。時に100キロ以上の冷凍マグロを鍵という道具でセリの場所まで動かす過酷な仕事です。一日1万円。40日間働いて短期留学費用をつくりました。初めて見る海外はすべてが新鮮でした。キャンパスには様々な人種、生活スタイル、個性的なファッション、同調圧力のない雰囲気、何より自分自身の意見を持つ学生、異なる意見を尊重する文化、ファストフードでは見られない、大きな炭火焼のハンバーガーまで。多様性を体感し実感する一か月でした。もちろん、この体験だけで必要な知見と経験を身につけられたわけではありません。ただ、その後の海外留学や駐在の起点となり、世界と日本の関係を強く意識する契機となりました。初めての投資がいかに貴重であったかを実感しています。
三つ目は、友人を大切にする、です。 世界に貢献するためには、時に仲間が必要です。私は、早稲田大学商学部で林文彦先生のゼミに入りました。先生はケインズ経済学の大家で、原書を読み解きつつも、社会に出る前の私たちに、様々なことを教えてくださいました。そのうちの一つは、人間関係、特に友人の大切さです。皆さんも多くの友人と出会い、悩み、学び、救われるでしょう。林先生はよく「自分の気持ちは自分にしかわからないと思っている時に、人間は必ず間違った判断をする」と仰っていました。悩んだ時には信頼する友人に相談し、相談することで悩みの半分は解消されることがあります。進路に迷うとき、思うような結果が出ないとき、誹謗中傷に晒されたとき。そういった友人がそばにいると、信頼という言葉で結ばれた絆、友情は大きな力で私たちを癒してくれます。私も多くの友人に救われました。そして自分も信頼され、友人から相談される存在になる、先生はそのことの大切さを説いておられました。皆さんもそうであってほしいと思います。
早稲田大学は、今から8年後の2032年に150周年を迎えます。そのビジョンは、学生がどのような教育・研究環境の中で何を身につけ、世界に羽ばたくのかを示しています。田中愛治総長は「世界で輝くWASEDA」を目指し、WASEDA Vision150をNEXT Stageへと昇華させ、具体化させています。大きな転換期にある今、皆さんは「たくましい知性」「しなやかな感性」「ひびきあう理性」を身につけ、単に優秀な学生ではなく、慈愛と友情、そしてリーダーとして強い覚悟を持ち、いわば「人間的力量」を備え、誰かのために全力を尽くしてほしいと思います。
皆さん新入生の方々は、中学・高校時代に世界的な流行を見せた新型コロナ禍を体験した世代です。青春時代のど真ん中で経験した非日常は不安であり、過酷であり、困難極まりないものだったはずです。それでも、皆さんは、この場所に辿り着きました。そうした経験を経て、克服してきたからこそ、世界の平和や人々の健康と幸せを願い、叶える力を持つ世代だと信じています。一身一国のためのみならず、進んで世界に貢献する、誰かのために頑張る。自分らしく過ごし、充実した学生生活を送られることを願っています。改めて、早稲田大学、特に商学部への入学を心からお祝い申し上げ、私の祝辞とさせていただきます。新入生の皆さん、そして私の後輩たち、本当におめでとうございます。