早稲田大学の第18代総長として理工学術院の本間敬之教授が就任しました。田中愛治前総長の下で構築してきた建学の精神に基づく理念を進化させ、学問分野や立場の違いを越えた〈結集の早稲田〉によって具現化させよう、と広く呼びかけています。本間総長は一見、物静かで、手堅く慎重で落ち着いた印象を与えますが、そこに秘められた思いや情熱はどのように生まれ、確固たるものになってきたのでしょうか。「本間新総長ってどんな人?」。教員、職員、他大学研究者などから聞き出してきた、新総長の人となりを2回に分けて紹介します。

一般社会がしばしば大学に違和感を持つ項目の一つに、組織運営の手法があります。企業や官公庁はピラミッド型で意思決定や情報伝達が進みますが、大学は学問の専門により文化も価値観も違い、どうしても縦割りになりがちです。早稲田大学は長年にわたり自由と多様性を重んじてきた大学であり、本間総長も「早稲田の長所は、多種多様で個性的な人々がそこかしこで活動していて、『あの人はこうしている、自分はこう動く』と認め合えることだ」と強調します。日本有数の大規模大学における多様性の尊重は、いっぽうで「まとまって何かをすべき時にも、ばらばらに動いている」という短所にもなりかねません。
今、世界は要因が複雑に絡まった複合的な課題や、AI技術による急激な社会構造の変革に直面しています。大学は知の創造と人材の育成によって、社会の課題解決を担うことが期待されており、「早稲田にはそれに応える力がある」(本間総長)と自負しています。ただ今まで通りの、特定分野での知や専門性だけでは、複合的な課題に太刀打ちできません。大学の潜在力を実社会の豊かさにつなげていくために欠かせないのが、〈結集の力〉なのです。「多様な価値観やアプローチを尊重した対話を重ね、理解と信頼の上に全学の力を束ねる。共通の理念を共有しそれに向かって、それぞれのアプローチをそれぞれの速度で一丸となって進む―。結集の力を改革の推進力にし、早稲田はこれまでにない形で飛躍するのです」。本間総長はこう強調します。
私は今回、新旧両総長における学内外のステークホルダー(利害関係者)とのコミュニケーション手法の違いに興味を持ちました。新旧両総長をよく知るある中堅職員は、「対話の重視は両者に共通です」と口にします。「ただ、田中前総長が理念を打ち立て、それを言葉にして丁寧に伝えて実行を促すアプローチをとるのに対して、本間総長は、理念を念頭におきつつ、まず相手の事情を聴き、問題点を解きほぐし、理念に沿った解決策を導くアプローチをとるという違いがあります」とその職員は説明します。これから早稲田は、2032年の創立150周年に向けて、田中前総長がこれまでに示してきた改革の理念を、本間総長が本格的に実行するフェーズに入ります。早稲田が一丸となって、専門分野、職種、世代、所属の垣根を越えて力を合わせるために、本間総長のアプローチがまさに求められるタイミングにあると感じました。
以前、本間総長の性格を学内外で尋ねてまわったところ、「緻密」「ルールを踏まえつつ実行にこぎつける」という慎重さと、「視野が広い」「俯瞰的に物事をみる」というおおらかさと、両方の感想が出てきました。相反する性格のように感じられて、その時は不思議に思ったものです。今はその両面を理解し始めた段階です。この両面性を生かした、新総長独自の大学経営が今後、具体化されていくことでしょう。

本間敬之 第18代総長
本間総長の大学経営のキャリアの中心は、教育・研究の最前線である理工学部執行部、本部セクションである教務部役職者から常任理事まで、約20年間の〈教務〉にあります。カリキュラム編成や入試は学部・研究科ごとに進められる一方で、大学全体の教員人事に関わる制度設計は、本部箇所である教務部で議論されます。教務のマネジメント職は大学の要職で、全学の様々な教員の思いやこだわりの交錯に直面します。
例えば2010年代初頭、教育に優れた教員を表彰する〈ティーチングアワード〉が新設されました。当時、教務部副部長で同アワード創設を担当したFD推進センター(大学総合研究センターの前身)の長を兼ねていた本間総長によると、全学で設立が認められた後の、アワード授与の基準作りが大変だったそうです。資料を駆使したわかりやすい授業が、よいのでしょうか。初めはチンプンカンプンでも卒業後に思い返してジワッと身に沁みるような授業が、本物なのでしょうか。学問分野によって価値観は違いますし、教員の序列付けは反対という意見もあるでしょう。答えは簡単ではありません。
本間総長は「一つの物差しで統一することは無理なのです。(同一系統の学部・研究科をまとめた組織である)学術院ごとに合意形成し、それぞれの基準を作成することにしました」と振り返ります。ただ、「ある学術院が先進的な手法を導入し、他の学術院には横目で見ておいてもらう。良さが理解されてくれば、『私たちも導入を』という声が自然に起こり、大きく動き出すのです」と、トップダウンとボトムアップを組み合わせた改革を、当時から意識していました。
新型コロナウイルス感染症で、全学1万4000のクラスのオンライン化を進めた時も、学術院ごとの異なる事情や課題が噴出しました。けれども「早稲田の学びを止めてはいけない、という共通の思いで力を合わせ、山を乗り越えた」のです。また最近では、国内外の優れた研究者を採用する際にインセンティブとして、手当を通常の給与に上乗せする制度が新設されました。前出のアワードと同様に、カギとなる評価基準の設計は各学術院の判断に任せる形をとったそうです。当初、導入に手を挙げたのは政治経済学術院のみでしたが、他の学術院でも具体的な検討が進み始めました。「〈アプローチ〉つまりやり方は多様であって構わない。〈ゴール〉はよりよい教育という共通するものがあるのだから」(本間総長)。これらはいずれも、多様な価値観やアプローチを尊重しながら、自由闊達に議論をして新しいことに挑戦するという〈早稲田の伝統〉を生かしつつ、成功を導いた新たな改革事例だと言うことができるでしょう。
久々の理工系(理系)出身のトップ、という切り口は学外からも注目されていますが、「本間先生ほど人文・社会科学系(文系)に理解がある人は珍しい」との声を複数箇所で耳にしました。また大学教員はすべきことが多いため、どうしても教育か研究か、一方だけを得意とする人が多いもの。そんな中で本間総長は教育・研究の両方で高い実績があります。これらは(下)の記事で詳しく説明しますが、このようなバランス感覚のよさは、様々な構成員の力を大学全体の推進力へと転化する上で、大いにプラスとなります。緻密かつ俯瞰的。トップダウンもボトムアップも熟知。豊富な経験は教育でも研究でも。理系でありながら文系にも理解深く……。このようなトップはそうそういるものではありません。
最後に、新執行部に配置された役員の担当を見てみましょう。新設は「文理融合研究教育推進」と、スタートアップ創出などの「アントレプレナーシップ」です。また国際に関わる理事を増やし、教育・研究・広報における国際展開を思案します。学外の支援を得る募金は従来の切り口に加え、研究・産学連携や国際ファンドレイジングの担当役員も関わるようにしました。いずれも国立の研究大学でも挑戦中の部分であり、容易に広げられるものではありません。ですが全学5万人、卒業生約70万人という規模の早稲田で新たな形が動き出せば、その影響は、他の私立大学への波及を含めてかなりのものになるはずです。社会の課題が複雑になっている今、このタイミングで絶好のトップが就任したことを、私はあらゆるステークホルダーに伝えたいと思います。

写真左:筆者、写真右:本間敬之総長
本間敬之総長 経歴
1987年早稲田大学理工学部応用化学科卒、92年院理工学研究科修了、博士(工学)。91年から理工学部助手、05年理工学部(現 理工学術院先進理工学部)教授。18年教務部長、22年理事(教務担当)、23年常任理事 教学総括 副プロボスト。 その他に97年米スタンフォード大学客員准教授、21年国際電気化学会副会長、21年日本医科大学客員教授。25年文部科学省中央教育審議会大学分科会臨時委員。
この記事の筆者

1990年東京工業大学院修了(工学修士)、日刊工業新聞社入社。編集局記者から科学技術部編集委員、論説委員兼務。2011年東京農工大学院修了、博士(学術)。24年東京科学大学理事。26年早稲田大学上級研究員(教授)。