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Vol.9 法制史(2/2)/【江戸時代の刑罰記録】世相のみえる裁判記録と蔵書継承の意義/和仁かや教授
Thu 24 Apr 25
Thu 24 Apr 25
「早稲田大学Podcasts : 博士一歩前」は、早稲田大学に所属する研究者たちとの対話を通じ、日々の研究で得た深い世界や、社会を理解するヒントや視点をお届けします。
異分野の研究から得られる「ひらめき」「セレンディピティ」「学問や世の中への関心」を持つきっかけとなるエピソードを配信し、「知の扉」の手前から扉の向こうへの一歩前進を後押しするような番組を目指しています。
早稲田大学法学学術院の和仁かや教授をゲストに迎え、江戸時代の法制史をテーマに後編をお届けします。
記録の行間を読み解くことで浮かび上がる、当時の社会常識や法的思考 ──江戸の裁判官たちは、法の枠組みに則りながらも人間味ある判断を下していました。現代の法制度との比較を交えながら、法制史の奥深さに迫ります。
学生時代に『公事方御定書』と出会い、裁判記録を通じて江戸時代の法制度に惹かれた和仁教授。「役に立つか」どうかではなく、「面白いからこそ深く学ぶ」──そんな知的探究の醍醐味、学問の価値を改めて問う内容となっています。
また、裁判記録や蔵書といった紙媒体資料を次世代へ受け継ぐ意義についても言及。法制史の研究が、単なる過去の分析ではなく、未来の知へとつながる営みであることを見つめ直します。
エピソードは下のリンクから
ゲスト:和仁 かや
東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。東京大学大学院法学政治学研究科基礎法学専攻博士課程を単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員、神戸学院大学法学部、九州大学法学部勤務を経て、2018年9月から早稲田大学 法学学術院教授。現在のご専門は、日本法史(日本法制史)、とりわけ江戸時代の法・裁判制度。
ホスト:城谷 和代
研究戦略センター准教授。専門は研究推進、地球科学・環境科学。 2006年 早稲田大学教育学部理学科地球科学専修卒業、2011年 東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了 博士(理学)、2011年 産業技術総合研究所地質調査総合センター研究員、2015年 神戸大学学術研究推進機構学術研究推進室(URA)特命講師、2023年4 月から現職。

左から、城谷和代准教授、和仁かや教授。
早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリ)のスタジオで収録。
エピソード要約
-『御仕置例類集』から見る当時の判断基準や法的議論
和仁教授が研究対象として関心を寄せる『御仕置例類集』という資料には『公事方御定書』に基づく裁判例が含まれ、当時の判断基準や法的議論を知ることができる。資料には当時の役所や人名が明確に記載されていないことが多く、他の手がかりを駆使して情報を補完することが大きな課題である。18世紀半ば以降、刑罰の決定には根拠を示す必要があり、恣意的な裁量は制限され、役人は内部的な説明責任を重視していた。『公事方御定書』は編纂時点での裁判記録を基にした条文化であり、現場の混乱や抜けている条文もあったため、先例がない場合、類似の事例をもとに差異を探りながら判決を下していた。
-「ヴァーチャル御白洲」について
和仁教授は15年前ほどに「ヴァーチャル御白洲」というWebサイトを制作し、江戸時代の裁判事例をクイズ形式で紹介する取り組みを行った。制作にあたっては、技術的制約だけでなく、限られた情報から動画を作成する難しさが課題となった。特に『御仕置例類集』の記載は法的判断に必要な最低限の情報しか記載されていないため、肉づけが必要だったので、テキストをどこまで脚色すべきか、学生たちと何度も議論を重ねながら慎重に表現方法を決定した。この経験を通じて、あらためて『御仕置例類集』の記述の密度や精密さに気づき、その記述の正確さと無駄のない表現に感銘を受け、法的テキストとしての重要性を再認識した。
-紙媒体資料の存在意義
和仁教授は紙媒体資料の次世代への継承の重要性について、デジタル化だけでは資料の背景情報や物理的な存在感が失われることを懸念している。紙の本には持ち主や使用経緯に関する情報が付与され、それがデジタル化では得られない重要な意味を持つと述べ、デジタルと紙媒体の両方の価値を認めている。物理的な本が持つ「思いがけない出会い」や「感覚的な価値」を重視し、安易なデジタル化によりこれらが失われることを危惧している。
エピソード書き起こし
城谷准教授(以下、城谷):
和仁先生は学生時代に『公事方御定書(くじかたおさだめがき)』に出会ったことがきっかけで江戸時代の法制史、とりわけ幕府の法制度に興味を持たれたとのことですが、「これは面白い!」「このテーマをもっと掘り下げたい!」と感じたのはどんな点だったでしょうか。
和仁教授(以下、和仁):
少し前提的なところからお話しますと、そもそも私は大学に入るまで日本史や江戸時代にあまり興味がありませんでした。伝記や歴史上に関する本を読むのは好きでしたが、子どもの頃、一時期海外にいたこともあり、むしろ西洋に関心があるという状況でした。
ところが学部で江戸時代の政治思想の話を聞き、そこで初めて関心を持つようになったのですが、そうした中、たまたま接した御定書の条文が私にとって、とても不思議なもののように感じられました。
それは確か傷害罪に関する損害賠償的な規定だったと思いますが、「人に怪我をさせた場合、加害者が百姓・商人であれば負わせた傷、怪我の程度にかかわらず治療代として被害者に一律銀1枚を払うべし」という規定があります。
この規定ですが、私人間の損害賠償にコミットする気があるのかないのかよくわからない。先行研究でも比較的早い時期から注目されてきた条文の一つでもあります。
こういう条文があるかと思えば、一見、野蛮そのものの刑罰を打ち出す条文とか、いろいろな性格の規定が必ずしも体系化されずに盛り込まれている。そういったことに今考えれば、なんとも言えない興味を惹かれたのではないかと思います。
城谷:
実際にそのように面白いと思ったことがなぜ研究に繋がっていったのでしょうか。
和仁:
もうはっきりしたことは言えませんが、なんとなく釣り込まれて入ってしまった大学院で、やはり本当に面白いと思ったのは修士論文を書いていた時だったと思います。修士論文では追放刑の廃止をめぐって天保改革期に行われた幕府内の議論を手がかりとして、当時の刑罰政策をめぐる思考のあり方を分析しました。学部では全く読んだことのなかったくずし字資料を主たる素材に選んでしまったので、文字の解読という段階から大変苦労しましたが、四苦八苦の末に垣間見えたように思えた役人たちの思考のあり方が本当に面白いと思いました。
城谷:
例えばどのようなところが思考として面白いと思われたのでしょうか。
和仁:
やはりその当時の役人たちはいろいろなことを自由に議論できるわけではありません。いろいろな制約、あるいは枠組みに囚われています。その時も追放刑がいろいろな意味で問題になっているので、これを廃止しなければいけないという大きな目的は共有されていますが、果たして刑罰をそんな簡単に変えていいのかどうかというところに不思議な形で囚われて議論が錯綜する。そういうあり方が大変面白いなと思いました。
城谷:
そういったことが記録に残っているということですよね。
和仁:
そうです。やはり読めば読むほどいろいろなことを教えてもらえる。ただ、そうやって調子に乗っていると思わぬところで足をすくわれる。そこに面白さと難しさの両面があると思います。
城谷:
記録についてお伺いしたいのですが、記録を読み解くという点において、どういったところに難しさ、面白さ、更には気をつけるべき点があるのでしょうか。
和仁:
私が非常に関心を持って読み解きに取り組んでいるのは『御仕置例類集(おしおきれいるいしゅう)』という資料です。これは「裁判例集」とも言えるものですが、先ほどお話した『公事方御定書』を軸として、そこには含まれていない条文なども多々あります。あるいは御定書だけでは導き出せない、妥当な解判断が出てこない。そういうような事態に際して、どうしたら妥当な判断を導き出すことができるのか。そういう議論を重ねた記録になっています。
今は判例集などが公開されていますが、当時は非公開であり、内部的な記録にとどまります。従ってこの記録はとにかく分かる人だけ分かればいい。そういう書き方になっています。そうなると外部の人、とりわけ時代を隔たった我々からすると、やはり書かれていない情報をどのように埋めていくかが大きな課題になってきます。
もう少し具体的に言うと、例えばそこで登場するはずの役所や人名がはっきりした形で書かれていないことが多く、そうなってくるとこの文脈でのやりとりであれば、当然この人が関わっているのではないかと様々な他の手がかりから埋めていく必要があります。
また御定書の条文がしばしば引用されますが、その引き方も現代と全く違います。今では例えば刑法何条、民法何条など非常に分かりやすい形で引きますが、この時期の役人たちは明らかにこの御定書のある条文を念頭に置いていたとしても、それをきちんと書いてくれないところがあります。
そのため、書かれていないからこれは分かっていないんだ、あるいは見落としていたんだと思うと非常に痛い目に合う。要するに大きく読み間違ってしまうことが多々出てきて、それに私としてもずっと苦労してきました。
城谷:
常識であるからこそ省略していると思いますが、後で読んだ裁判官が書いてないところに対して都合よく解釈して判決を出したことはないのでしょうか。
和仁:
ありうるだろうと思います。ただ、それこそ資料をこれまで読んできた私の感覚に過ぎないと言われればそれまでですが、そこまで意図的にねじ曲げたところは見えてきません。それについては一つ理由があります。
刑罰を決める際には必ず根拠をもって行う。これが18世紀半ば以降は基本になってきます。現代的な感覚で言うと、人権や手続きの構成など様々な配慮が考えられますが、当時の役人からすれば必ずしもそうではなく、例えば上位機関から何か説明を求められた時にきちんと説明できるか。なぜここはこの刑罰なのか説明できるかどうか。それを求められたことへの備えという側面があります。
よく一般的にあるお奉行様のお気持ちで刑罰を出していたとはある意味、対極的なメンタリティを持っていたといえます。よくも悪くも非常にお役人的なメンタリティ。つまり内部的に何か説明ができないといけないという、ある意味自己保身的な要素もなくはない。そういったものが結果的に恣意的な裁量にはどめをかける役割も果たしていました。
先例の引き方も面白く、こういう先例があったからこうしましょうというだけではなく、こういう先例があるものの、これは間違っているから今後はこういう形に変えましょうということはよくしています。そのため、それ自体改めて検証して、何が一番説明がつきやすいかを模索していた。
そうなってくると恣意的な作為がそこまで大規模な形で入るのはむしろ考えにくかったのではないかと考えています。
城谷:
今、先例があるかないかというところも触れていただきましたが、先例がないものに対して、初めて判決を下す場合、どのような手続きがされたのでしょうか。
和仁:
刑罰を決めるにあたって最初に見なければいけないのは『公事方御定書』。そして『公事方御定書』の条文になければ先例という順序になります。
ところが御定書の条文にも当てはまらず、参考になるような先例もないケースは極めて多い。むしろこちらの方が多いのが実情です。そうなりますとぴったり当てはまる先例を持ってくるのではなく、近い先例を持ち出して、それと今回の事件、どこが違うのかその差分を探りながら判決を導き出す作業を行っています。そのため、ある意味その先例自体が一つの物差しになるような考え方でしょう。そこの思考というのは非常に面白いです。例えば『御仕置例類集』などは法科大学院の学生さんにも読んでもらうようなことがありますが、現代と遜色ないような議論が展開されていたりします。
城谷:
先生が研究されていく中で、先例がないものに対して、判決を下しているもので「これは!」というものはありますでしょうか。
和仁:
特定的なものをあげる方がむしろ難しいところがあると思います。先例があるかどうかという言い方自体もなかなか難しく、先ほどお話した通り、先例はない、しかし近い先例があるということで、いろいろ持ち出して判断をするケースがあります。
例えば当時の言葉で言う「ゆすり」、今で言う「恐喝」。それから「かたり・詐欺」という事件があります。これが御定書の不思議なところですが、「かたり・詐欺」に関する条文はありますが、「ゆすり」に関する明確的な条文はない。そうしますと、先例などからぴったり当てはまるものはないが、これに引きつけて考えていいのではないかという形で判断を下すことをしていたりします。
城谷:
そうすると『公事方御定書』は結構書いてある内容のバランスが取れてない部分もあったということでしょうか。
和仁:
そうですね。『公事方御定書』は言ってしまえば編纂時点で残っていた裁判記録に基づいて条文化したところがあります。
従って当然これは入っててもいいよねという条文がむしろ抜け落ちている。その典型的なものとして「抜け荷」、密貿易があります。これに関する条文はありません。そのため、ある程度御定書ができてすぐはいろいろ現場に混乱もありましたが、しばらくしてくるとそのあたりをどういう形で埋めていけばいいのかが、役人たちも随分慣れてくる面はあります。
城谷:
それでは実際の裁判記録を何か紹介していただけますでしょうか。
和仁:
せっかくの機会ですので一つご紹介してみたいと思います。
時は天明8年。西暦でいいますと大体1788年の武蔵国。今の葛飾あたりでの出来事になります。
ある農民夫婦がいまして、自分たちも3人の実子がいましたが、加えて宗吉 というよちよち歩きの幼い捨て子を預かって大事に育てていました。ある日、この宗吉を同居していた夫の母親に託し、面倒を見てくれるよう頼んで夫婦ともに農作業に出かけます。ところが作業を終えて夫婦が帰宅したところ、宗吉は嬉しさのあまり駆け寄ってきてしまって、その際にまだ火種の残る囲炉裏に落ち、弾みでかけていた熱湯入りの鍋をひっくり返して大やけどを負い、それが元で亡くなってしまいました。
この事件を担当したのは町奉行になりますが、まずは宗吉という捨て子が変死したということで、夫婦による虐待を疑っています。そもそも江戸時代において、捨て子は大きな社会問題となっており、「生類憐みの令」という有名な法令がありますが、あれもむしろ捨て子対策が重要な目的であったといわれています。
そのことは御定書にも反映されており、捨て子を捨てれば引廻しの上、獄門(ごくもん)。獄門というのは打ち首の上、首をさらすというもの。そして捨て子を殺害すれば引廻しの上、磔(はりつけ)とほとんど極刑が規定されています。これが実子か養子になりますと、短慮、その場でカッとなって殺した場合は遠島(えんとう)= 島流(しまながし)。利欲が絡む場合、例えば養育料とともに養子をもらい受けておきながら子どもを邪魔だと殺してしまった場合は死罪とあります。これも重罪ではありますが、捨て子と大きな開きがあることがわかると思います。これは捨て子がそもそも問題になっていたという状況に加えて、捨て子の場合は危害を加える心理的な障壁が下がりかねないということで、予防的な意味も込めて重い刑罰を規定していたと考えることができます。
そうするともし故意に宗吉を殺したとすれば、この夫婦と母親は極刑を免れません。しかし町奉行は取調べにおいて隣人、それから村役人への聞き取りをかなり広範囲に行っていて、そこで確かに宗吉が大切に育てられていて意図的に殺したわけではない。したがって宗吉が亡くなったのはあくまでも不慮の事故であったと認定しています。その上で次にこの不慮の事故を招いた責任をどこまでこの夫婦、それから母親に問うべきか検討がなされています。確かによちよち歩きの幼子を老齢の母親に預けておくのはリスクですし、囲炉裏の火種を残して熱湯の入った鍋をかけたままにしておくのも不用心です。
しかし議論では、確かに一般論ではそうだが、お百姓さんにとって子どもを親に預けて夫婦で農作業に出るということは「尋常の義」と表現されていますが、通常のことであって、そして幼子がいるからといって囲炉裏の火を消さずにおくのも、お百姓さんはとても忙しい生活を送っており、農作業から帰ったらすぐに煮炊きをしなければいけないので、それを考えれば致し方ないということで不注意とは言い切れないという判断を下しています。御定書には不慮の事故で怪我を負わせ、その怪我が元で死なせた場合には追放刑を科すという規定もありますが、この夫婦と母親にはさらに軽い「押し込み」、すなわち一定期間の外出禁止、それから「過料」、罰金ですが、それを科されることになりました。不注意でもなければ刑罰を課すこと自体おかしいのではないかと思われるかもしれませんが、ここではやはり宗吉という幼子の命が失われていることを重く見ている。
またこれが後々の先例になることも踏まえて無罪とはできない。しかし軽い刑罰に留めておくとしているわけです。主観的意図に加えて当事者の置かれた状況は勘案しつつも、しかし実際に生じた事実との間で落とし所を探る。いかにも当時らしい判断であると思います。
城谷:
ここまで江戸時代の裁判制度や量刑基準についてお話を伺ってきました。先生のこうした研究を世の中へ広く伝えることも研究活動における大切な役割の一つかと思います。和仁先生は以前江戸時代の裁判事例を紹介する取り組みとして「ヴァーチャル御白洲」を制作されたと伺っていますが、どのような事例を取り上げられていたのでしょうか。
和仁:
これは15年近くも前、私が神戸学院大学にいた時のことになります。江戸時代の罪と罰のみならず、この両者をつなぐ判断の過程を広く一般にもご紹介できないかと思いまして、『御仕置例類集』から5つほどの事例、窃盗や放火、密通。あるいは加害者の判断能力に問題があったケースなどを紹介して、クイズ仕立ての形でコンテンツ化したものになります。その時期のことを考えてみますと裁判員制度が導入されて少し経ったぐらいの時かと思います。
その際に裁判員制度の対極にあるものとして江戸時代の過酷な取調べや刑罰、それから拷問などが妙にメディアで取り上げられてクローズアップされていたと思います。それらを見て、近世史研究者の一若輩研究者として「もっと面白い部分こそ伝えたい」、そういう気持ちが後押ししたのかもしれません。
城谷:
15年前でこういったヴァーチャルの御白洲を実際に作られたというのが、その当時としては非常に新鮮だったのではと思います。ヴァーチャルというのことで、立体的に見せることになると思いますが、苦労された点はどんなところにあったのでしょうか。実際にそれをうまく作り上げるという点においてはいかがでしょうか。
和仁:
技術的な問題は多々ありましたが、一番はやはり事例を紹介する動画を作成しようとしたところにあります。当初、事例説明は私の文章のほか、協力してくださった技術者の方が影絵風の説明の絵を合わせて載せていました。これを試作品として学生に見せたところ、「説明部分を動画にしてみたらより分かりやすいのではないか」と提案があり、学生もきっかけに少し事例紹介なども作ってみました。当時はまだガラケーが主流だったので、今ほど気軽に動画撮影などができなかったと記憶しています。いざ学生たちと動画の作成を始めてみると、これがとにかく難しいです。
城谷:
どういった点が難しかったですか。
和仁:
技術的な点が大きいですが、動画に仕立てようとすると何より『御仕置例類集』の記載がそのための手がかりとしてあまりにも情報が少なかった点です。裏を返せば事実から本当に法的判断に必要なことのみ抽出して書いていて、記述に無駄がないということにもなります。例えば「人を殺す」、あるいは「物を盗む」にしてもどういう形で盗んだのか、それまでの経緯でどうだったのか、それがもう法的判断に必要なことしか書いていない。そうすると動画にするには肉づけしなければならない。それが最も苦労した点です。
城谷:
「行間を読む」ということが重要だということでしょうか。
和仁:
ある意味「行間」ということと通じるかもしれませんが、とにかく『御仕置例類集』に文字通り書いてあることだけでは動画にならないので、肉づけ、脚色しないといけない。しかしその肉づけ、脚色も好き勝手にしていいわけではない。つまりその脚色の仕方によっては記録内で示された判断とか最終的な判決と食い違ってしまう場合もある。そのため、学生たちと何度もテキストを読み返して、どこまでの脚色なら許されるのかを相当四苦八苦して議論しました。そしてそれをどう表現したら伝わるのかというところでもかなり苦労した記憶があります。ただ、この経験は私にとって非常に大きく、これまで不覚にも十分気づいていなかった『御仕置例類集』の記述がいかに密度が高いものであるか。そしてこれがやはり法的なテキストとして精密に書かれているものであるかを痛感させられるきっかけにもなりました。
城谷:
精密に書かれていたとどのように気がつかれたのでしょうか。
和仁:
江戸幕府の裁判の一つの特徴としてやはり主観的な要素。その人がどういう意図を持って犯罪とされる行為をしたのかを非常に重要視します。そこのところの書き方が簡潔な言葉ではありますが、正確無比です。そのニュアンスを崩さないようにするのがかなり難しい。少しずれてしまうとそこに正確に表現されていたこととどうしても齟齬が生じてしまう。それを見た時に何度も戻るべきなのはテキストであって、そこに立ち返れば立ち返るほど、無駄のない精密な記述であったと思い知らされました。とにかく人ひとりを死刑にするかどうかという非常に緊張した状況で書かれたテキストですので、そこに曖昧な表現があってはいけない。一義に印象を規定しなければいけないので、どこまで故意があったか、どこまで過失なのか、どこまで不慮の事故と言えるのか。考えてみたら当たり前のことですが、それに改めて気付かされたのがこの一件になります。
城谷:
記録を読んでいくということで、紙媒体資料や蔵書の継承という部分にもこれまでシンポジウムを企画し、議論されてきたかと思いますが、和仁先生は紙媒体資料を次世代に遺すことの意義をどのようにお考えでしょうか。
和仁:
これも一口で申し上げるのはなかなか難しいですし、蔵書の問題、それから古文書のような資料の問題とは少し位相が異なってきます。
ただここでは紙の本について少しだけ考えてみたいと思います。ここにも一冊の本、『御仕置例類集』が私の手元にありますが、これには様々な内容が書かれています。これをデータと呼んでおきます。何が書いてあるかというデータのみに着目するのであれば、これは結構重いので、デジタル化されてしまえばそれで十分とも思えます。デジタル化したものをクラウドにアップしてリンクを貼れば多くの人がアクセスできますし、場所も取らず、重くもありません。しかし現物としての本というところに戻りますと、この本の持ち主は誰、どういう経緯で入手したのか、どういう形で使ったのかなどデータにはない様々な情報が付与されてくる。
例えばこれを私が研究資料として持っているのと、作家さんが時代小説を書くために持っているのと、一般的な読み物として持っている方がいらっしゃるのとでは、同じ『御仕置例類集』であっても全然意味合いが変わってきます。
例えばある作家なり学者なりの個人文庫が興味深いのは、まさにその人がどういう知識に依拠して何を得ようとしてきたかが可視化される。デジタルは確かに便利で私も大変お世話になっていますし、何より目的のものに効率よくたどり着くことができます。しかし無目的に図書館の書庫をブラブラすることで得られる情報。それから目的の本を探しに来たが、ついでにふと隣の本が気になって手に取ってみた。そういう思いがけない出会いというのは非効率的かもしれませんが、デジタルには代えられない重要なものではないかと思います。
デジタルデータベースでも確かにシステム上、様々なサジェスチョンが出てくるように工夫は凝らされていますが、学問の基本としてはやはり自らの問題関心を踏まえた上で、自分なりの資料の関連付けを行っていくことになる。そうすると紙媒体の方が可視化されますし、視認性にも優れていることになります。
もう一つ、多くの大学で導入されている自動書庫について言及したいのですが、これも多くの人がどうせ探しに来ると言ってはいけませんが、教科書のような検索頻度の高いものについては自動書庫に入れてもいいですが、利用頻度の多くないものを自動書庫に入れてしまうと、こうした思いがけない出会いの機会が失われかねない。さらに何と言っても、現物の本の厚みや迫力。これを画面で見るか、現物として見るか。こんなに分厚い本なのか、こんなにたくさんあるのか、というのが現物とデジタルでは全然意味合いが違ってきます。画面だけ見ていてはどうしてもそのあたりの感覚は狂ってくる。私が若干古い世代になりつつあるということかもしれませんが、そのあたりはデジタルネイティブの世代にとっても同じだと思います。そのため、やはり紙媒体の蔵書や資料というのは、こうした有形無形の重要な情報に対する感覚、これが失われてしまうことにも繋がりかねないのではないかと危惧しています。
城谷:
最後にお聞きしたいのですが、法制史は法学部の中でも実務とは直接関係が薄い学問と見られていることもあるとお聞きしていますが、それでも研究を続ける意義や魅力について、和仁先生のお考えをお聞かせいただけますでしょうか。
和仁:
実学との関係や役に立つかどうかという点について、これはまた他方面からお叱りを受けるかもしれませんが、実はあまり考えていません。
そもそも歴史の場合、何かに役立てようとする、「歴史的にこうだったからこうすべきです」などと言うとそれなりに説得力らしいものを持ってしまう分、かえって有害な面もあります。それが枚挙にいとまがないのは歴史的なところを引いてもそうです。
だいたい政治的な主張は歴史的にこうだったということに裏付けられることがある。そうなると、歴史は単に過去の事実ということではなく、今を正当化する、そういう理由に使われてしまうことになります。
そういう意味で歴史は別に役に立たなくていい、立とうとしなくていいというのが私の考えではありますが、それでもあえて少し効用めいた事を言いますと、歴史資料に接しているとある種の耐性がつく気がします。
つまり時代は違っても、過去の人たちも同じようなことに同じように悩んでいたとよくわかります。
最初のご質問でなぜこの研究を続けているか、役に立たないにもかかわらずこの研究を続けているかと言いますと、それはこの対象が面白いと思うからということに尽きる気がします。役に立つというのは今、本当に重要な要素としていろいろなところで言われていますが、今、役に立つように見えることが必ずしも100年後に役に立っているとは限りません。逆もまたしかりです。
そうなってくると役に立つかどうかという基準は意外と流動的なものではないでしょうか。誰にとって役に立つかというのも全然違う。ある人にとって役に立つことがある人にとってはかえって足を引っ張ることもいくらでもあります。だからというわけではありませんが、やはり自分にとって本当に面白いことを大切にしたいと思ってこれまでもやってきましたし、これからもやりたいと思っています。
本当に面白いと思えるテキスト。このテキストを読むという営為について、今、アクティブラーニングなどという言葉が言われて久しいですが、その対極のようなものとして置かれているでしょう。非常に能動的な学習に対して、単に机の上で物を読むというのは受動的だと。ただこれはとんでもない誤解ではないかと思います。
やはりテキスト、字面を見るだけでは確かに何も伝わってきませんが、そこから何を読み込むかというのは極めて能動的、あるいは主体性が試される刺激的な作業です。逆に何を読んではいけないかというところも重要だと思います。ここは読んでもいいが、このテキストからここまでは言えないということもいくらでもある。勝手な空想や思い込みを読み込んではいけない。そうなってくると物語としては成り立つかもしれませんが、学問になり得ないと思います。そういう見極めを含めてテキストを読むのは楽しく、そして苦しい行為ですが、ただこれは法制史に限らず文系学問の基本ですし、理系だとこれがデータということになると思います。