戸山キャンパスのスロープを登り切る少し手前、左側に大きなタイサンボク(泰山木)が枝を広げている。今年(2019年)のホームカミングデーを前にした10月初旬、この樹の根元に小型の銘板が設置された。表には「1966年(昭和41年)3月 第一文学部哲学科心理学専修卒業生一同」の文字が刻まれ、53年前の卒業記念植樹であることを示している。
このタイサンボクは、私たちが卒業するときに植樹したものである。文学部が本部キャンパスから戸山キャンパス新校舎に移転したのが1962年(昭和37年)。新校舎の一期生だったが、記念会堂での全体卒業式はなかった。前年末から学生会館の管理問題をめぐって大学紛争が始まり、年明け1月から学費値上げ問題で全学スト、2月には共闘会議派による大学本部封鎖、機動隊導入で占拠派学生200名以上の検挙、という騒然とした状況(いわゆる第一次早稲田闘争)の中で学園を巣立つことになった[参考記事:【朝日新聞デジタル(時どき街まち)1966年 東京・早稲田大学 中止になった卒業式(2016/3/25)】](写真に写っている和服姿と洋装の女性、2人ともクラスメートである)。
多士済々、同級生40数名の結束は固く、文学部で学び心理学教室に籍をおいた4年間を植樹という形で残したいと願い、当時まだ殺風景なスロープ脇に何本かの苗木を植えた。
写真に写っている当時の苗木は今、幹の太さ40センチ以上、高さは7メートルを超えるまでに育ち、毎年6月になると白い花を咲かせてスロープを彩っている。しかし、その歴史を知る人はほとんどいない。
卒業してからは、1人も漏らすことなくクラス全員の名簿を常に更新している。日米宇宙中継の最初の映像がケネディ大統領暗殺(1963年)、翌年は東京オリンピック、相撲は大鵬vs柏戸の世代だから、50余年の交遊は中々のものであろう。これはボーイスカウトで鍛えたクラスのリーダー、そして強烈女性陣の力に負っている。早稲田はワセ女でもつ、異議なし。
しかし、後期高齢でそろそろ骨董品に近づいてきた。4年前のホームカミングデーのときは、エスカレーター付き高層校舎が立ち並ぶキャンパスに驚き、演劇博物館や中央図書館で母校の伝統を再認識した。歓談しながら、時の話題のマンション杭打ち偽装がいつのまにかインプラントの話になって大笑い。やはり歳は争えない。
近年の大学キャンパス整備計画に伴い、戸山キャンパスの教室棟その他の施設も増築・リニューアルされ、国連ビルとよばれた研究棟も新しく立派になり、記念会堂は早稲田アリーナに生まれ変わった。往時の面影を残すものが急速に失われ、たまにキャンパスを訪れても浦島太郎で迷子になる。
そうした中、大学は大きく変貌した戸山キャンパスの一画に植樹という形で卒業生の思いが今に残っていることが、コミュニティの中心であるキャンパスに歴史の厚みを加える重要な要素と認め、消失した銘板の復元に支援の手を差し伸べてくれた。
大学紛争の中、幻の卒業式で学園を巣立った私たち一人ひとりの記憶がこのタイサンボクに宿っている。植えた者たちの寿命を超えて育つ樹は象徴化された記憶である。大きく成長しながらも、その生い立ちが不確かだったタイサンボクの戸籍を大学が回復してくれたことに私たちは深く感謝している。驚くほどに変貌した戸山キャンパスにあってこの樹がさらに大きく育ち、その白い花の下、後輩たちが行き交う光景が永く続くことを願っている。
寄稿:1966年 第一文学部 哲学科 心理学専修卒
秋山 胖(文教大学元教授)・西本 武彦(本学名誉教授)