School of Humanities and Social Sciences早稲田大学 文学部

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「日本の中世を考える、日本を中世で考える」文学部 下村周太郎准教授(新任教員紹介)

自己紹介

戦国武将についての本を読んだり、寺社を廻って御朱印を集めたりと、子供の頃から日本史が好きでした。ただ、大学受験勉強という点では、中世はどこかとっつきにくいところがあって、決して得意というわけでもありませんでした。

その中世を専門にしようと決めたのは、大学に入る直前に、著名な日本中世史家である網野善彦さんの本を読んだことがきっかけです。島国だからといって日本は孤立していたわけではない、百姓は農民と同義ではない等々、網野さんの描く日本史像は、私がそれまで必死に覚えようと努めてきた日本史の教科書的常識を次々と覆す刺激的なものでした。大学に入ってからは、網野さんの著作に導かれる形で、日本中世の社会史や都市史、国際交流史などの本を読み、また、網野さんが学際研究を推進していたことから、歴史学と隣接する考古学や民俗学・文化人類学などの授業も取りました。

学部3年生の時、演習の授業で、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』の承久の乱についての記事を講読しました。そこには、幕府(北条氏)と朝廷(後鳥羽院)とが軍事衝突を起こす中で、鎌倉で執権の北条義時が落雷に脅えたエピソードや、僧侶や陰陽師たちが必死に戦勝を祈願する様子が描かれていました。ここから、武士と貴族との関係は?、政治と宗教との関係は?、自然と人間との関係は?、日本文化と東アジア文化との関係は?、といった興味や疑問が次々と湧いてきて、研究者の道に進みました。

写真1:稲村ヶ崎(元弘3年5月、新田義貞はここから鎌倉に攻め入り討幕を果たした)

私の専門分野、ここが面白い!

今の自分の専門分野を表現するとすれば、「国家・戦争・環境」をタテ糸に、「心性・非常時・東アジア」をヨコ糸にした日本中世史、となります。戦争の実態や社会体制に与えた影響、中世人の自然観・災害観や生命観などについて研究しています。

中世史は古文書や歴史書などの文献史料が程よく今に伝わっており、また、現場に出向くと中世にさかのぼる景観がこれまた程よく残っています。文献を読み込み、フィールドワークに出かけ、その上で、程よく自分なりの想像力を働かせながら研究できるのが中世史の魅力だと思います。

写真2:吉野川と栄山寺領墓山(平安時代、川での漁撈と山での樹木伐採が禁止された)

中世と現代との距離感を考えるとき、中世には二つの側面があるように思います。一つは、異質さです。同じ日本列島に暮らした、同じ「日本人」のはずだけれども、そこには現代とは異なる価値観や国家体制が見られ、日本史を学びながらも現代の日本を相対化する異文化研究としての楽しみが中世史研究にはあります。その一方で、現代につながる文化や社会の出発点となっているのも中世です。時代の流れとともに様々に変容しつつも、現代の「日本社会」や「日本文化」の源流を探ると、中世にさかのぼる事象が少なくありません。

現代とは異なる中世、それでいながら、現代とつながっている中世。似ているようで似ていない、似ていないようで似ている、そんな中世を知ることで、現代日本の歴史的特質も見えてくると考えています。

プロフィール

慶應義塾大学文学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。東京学芸大学教育学部講師・准教授などを経て現職。府中市史編さん専門部会委員、小金井市史編さん委員会調査員なども務める。

近業に、「九条兼実における天文密奏と天変祈祷」(『変革期の社会と九条兼実』勉誠出版、2018年)、「そもそも、源頼朝は征夷大将軍を望んでいなかった?」(『征夷大将軍研究の最前線』洋泉社歴史新書y、2018年)、「大和国栄山寺領墓山と「栄山寺々中幷山林絵図」」(『よみがえる荘園』勉誠出版、2019年)、「村の環境と消長」・「金井原合戦と「武蔵野合戦」」(『小金井市史 通史編』小金井市、2019年)、「安達泰盛と竹崎季長」(『歴史の中の人物像』小径社、2019年)など。

 

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