初めまして。学生ライターの文化構想学部2年M. Y. です。
現在、私の通う戸山キャンパスでは記念会堂の建替工事が行われています。
老朽化に伴い改築が決まった記念会堂ですが、元は大学創立75周年を記念して作られたもので、1964年の東京オリンピックではフェンシングの会場として使われるなど、式典以外での活用もあったそうです。新記念会堂「早稲田アリーナ」が完成するのは2019年3月予定とのことなので、翌年の東京オリンピックとも何か関わりがあったりするんでしょうか?
写真は戸山スロープの途中から撮影(2017年2月25日撮影)したもの。広い地下空間の上に作られているのは屋上広場「戸山の丘」でしょうか?
上から撮影するとこんな感じです。新記念会堂の広さや地下の様子はわかりやすいですが、完成にはまだ遠そうですね。
学生ライターの記事では今後も新記念会堂建て替え工事の様子を追っていく予定です。次回の記事までにどのくらい完成に近づいているのでしょうか? お楽しみに!
『文キャンひすとりー』、第1回は「戸山キャンパスができるまで」!
戸山キャンパスはいつ、そしてなぜ作られたのか?
そもそも戸山キャンパスができる前には何があったのか?
歴史の長い早稲田大学だからこそできる調査をしてみました!
戸山キャンパスや戸山公園を含む一帯は、江戸時代の頃は尾張藩徳川家の領地でした。二代目藩主の光友は、この地に大きな「戸山御屋敷」(「戸山荘」とも言います)と庭園を造りました。その広さなんと戸山キャンパスの10倍! 庭園は本来の地形を生かした自然あふれるものだったそうで、現在の戸山公園でもその名残があちこちに見られます。
戸山公園内の「箱根山」。庭園に池を作る際に掘った土でできているのだとか!
そのほかにも戸山荘の一角(戸山公園の南西部)には宿場町を模した「御町屋」が作られ、将軍がここを訪れる際には実際の店として機能させていたそうです。現在からは全く想像のつかない光景ですね。
珍しい景観とその雄大さで名を馳せた戸山荘でしたが、江戸時代後期には多くの災害に見舞われて荒廃していきます。大政奉還後には一度農地になりましたが、1873年に陸軍戸山学校が建設されたことを始めとして、陸軍の軍用地となります。
早稲田大学が戸山の地に関わるのはもう少し先の1908年。創立25周年目の翌年でした。この年に早稲田大学は穴八幡下、つまり現在の戸山キャンパスの敷地を購入します。そして1920年に早稲田大学はこの土地と陸軍から借り受けた隣接する土地を合わせて、付属学校の高等学院を設立します。高等学院は体制を変えながら発展していくうちに、大学からの自立を図るようになり、ついに1956年に練馬区上石神井へと移転しました。
戸山町の土地が空いたことを機に、早稲田キャンパス内の混雑に悩んでいた早稲田大学は1962年に第一・第二文学部を戸山の地に移転することを決めます。現在につながる戸山キャンパスの誕生です! 戸山キャンパスは創立80周年記念事業の一環で作られたのですが、教育学部が移転する案もあったそうですよ。
戸山キャンパスができるまでの変遷、いかがでしたか? かつて戸山キャンパスも戸山公園も飲み込むほどの広大な屋敷があったこと、今もその名残があること。戸山キャンパスにお越しの際に思い出していただければ幸いです。戸山公園も季節ごとの花々で一年中楽しめる素敵な場所なので、是非立ち寄ってみてください!
文化構想学部2年 M. Y.
参考文献(全て中央図書館で閲覧可能です)
小寺武久(1989)『尾張藩江戸下屋敷の謎』中公新書
東京にふる里をつくる会編・新宿の歴史を語る会(1977)『新宿区の歴史』名著出版
早稲田大学総合企画部施設課(2003)『早稲田大学校地・建物平面図2』早稲田大学総合企画部施設課
早稲田大学第一・第二文学部(1992)『早稲田大学文学部百年史』早稲田大学第一・第二文学部
早稲田大学大学史編集所(1982)『都の西北―建学百年―』早稲田大学
早稲田大学大学史編集所(1978)『早稲田大学百年史 第一巻』早稲田大学出版部
早稲田大学大学史編集所(1981)『早稲田大学百年史 第二巻』早稲田大学出版部
早稲田大学大学史編集所(1987)『早稲田大学百年史 第三巻』早稲田大学出版部
早稲田大学大学史編集所(1997)『早稲田大学百年史 第五巻』早稲田大学出版部
早稲田大学大学史編集所(1989)『早稲田大学百年史 別巻Ⅱ』早稲田大学出版部
早稲田大学大学史編集所(1997)『早稲田大学百年史 総索引 年表』早稲田大学出版部
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