School of Culture, Media and Society早稲田大学 文化構想学部

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【SGU国際日本学拠点】UCLA国際シンポジウム「前近代日本における《世界》の想像」を共催-報告-

IMAGINING THE WORLD IN PREMODERN JAPAN
International Symposium Organized by UCLA and Waseda University
国際シンポジウム「前近代日本における《世界》の想像」
2016年3月17日~19日 UCLAロイスホール314室
UCLA・早稲田大学共催

シンポジウム全景

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)はカリフォルニア大学システム10校の中で、バークレー校に継ぐ歴史を持ち、米国名門公立大学の集まりであるパブリック・アイビーの1つである。
早稲田大学文学学術院はUCLAアジア言語文化学部のマイケル・エメリック上級准教授を2014年に本学訪問准教授として迎え、人文学研究分野における日本学研究の発信、文化交流の推進を共同で実施している。

本シンポジウムは、エメリック上級准教授ならびにトークィル・ダシー同大准教授、嶋崎聡子南カリフォルニア大学准教授と共に、本学卒業生である柳井正氏(株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長)の個人寄付により、日本文化学のグローバル化を促進すべく2014年9月に設立された、「柳井正イニシアティブ グローバル・ジャパン・ヒューマニティーズ・プロジェクト(The Tadashi Yanai Initiative for Globalizing Japanese Humanities)」の一環として、早稲田大学角田柳作記念国際日本学研究所、文部科学省スーパーグローバル大学創成支援国際日本学拠点、The Haruhisa Handa Professorship in Shinto Studies at UCLAの共催により開催され、本プロジェクトの核を担う早稲田大学、UCLAをはじめ日米韓の11大学・3機関から20名の日本学研究者が集まった。
本シンポジウムの主旨は、文学テクストや芸能、あるいは絵画が、近代以前――即ち西洋近代が造形した「世界」が立ち現れる以前――の異なる概念の「世界」像をいかに想像・構築・表象し、そして、それらがいかに展開されてきたかという問題を、発表者各自の視点から追究、討議することである。3日に及ぶシンポジウムの間、様々な分野・時代に精通した研究者たちが、それぞれの研究対象の検討を通して前近代日本の「世界」について論究し、刺激的な知見をもたらすと共に新たな研究の展望を切り開いた。

1日目(3月17日)
■李成市 「日本」国号の成立時期とその世界観の構想
■ハルオ・シラネ Storytelling, Music and Vocality: The Tale of the Heike in a World Context

初日は李成市教授(早稲田大学)とハルオ・シラネ教授(コロンビア大学)による基調講演が持たれた。
李成市教授の講演は、今なお議論の対象となっている日本国号と天皇号の使用開始時期に切り込む内容であった。それは同時に、本シンポジウムの主眼の一つである、古代日本における天皇を中心とした世界システムの展開に深く関わる。
大宝律令が唐の律令に酷似しているのに対して、大宝律令の前段階の浄御原令は、唐律令的でない要素があまりに多く、両者の間に断絶が認められる。また、2011年に中国で公表された、百済遺民・祢軍の墓誌を手がかりに、これが作成された678年当時の唐側の認識において、「日本」とは東方を意味する普通名詞であること、即ちその時点で日本が国号として成立していなかったことが立証される。
これらと併せ、大宝律令の制定により、日本が得たそれ以前とは異なる秩序世界とは、天朝体制であること、また、それが新羅との交渉を通して日本が直接参照できた体制であることが論証された。天皇号とは天朝体制においてこそ意味をなすものであり、日本という国号は、新たな体制の王朝名として命名されたと考えられるのである。一方、新羅はそれと同時期に唐の冊封国となることを主体的に選択した。このように、7世紀末は日本と新羅両国にとって国制を大きく隔てる分水嶺だったと意味づけられる、と李教授は結論づけた。

ハルオ・シラネ教授の講演では、芸能を通して前近代の世界を想像し直すこと、「ヴォーカリティ(Vocality)」、即ち表記と音声のあわいを検討すること、そして、中世ヨーロッパの叙事詩との比較という三つの切り口から、『平家物語』を従来の日本文学史とは異なる文脈に置き直すことが目指された。
芸能は現世と異界との境界で行なわれ、異界への窓として存在する。その際、芸能者は自らの芸の力によってその窓を開く役割を担っていた。ゆえに、芸能者それ自体のありようを考え直す必然性が生じる。この点で検証されるべきは、芸能における音楽、あるいは音声という要素である。シラネ教授は、芸能は、音楽の有無によって区別されるべきだと主張した。そこで『平家物語』における、琵琶法師による語りや太平記読みといった現象が検討対象とされた。
これらをふまえた上で『平家物語』と中世ヨーロッパの叙事詩、中でも『ベーオウルフ』『ローランの歌』とを比較すると、大きな差異として譜面の有無が挙げられる。『ベーオウルフ』や『ローランの歌』には楽譜がほとんど現存せず、『ベーオウルフ』には楽譜に類する写本が一つあるのみである。一方、日本には「座敷文化」があり、プロから素人への伝達が要請されたこと、また、芸能の「派」の成立といった諸要素により、多様なテクストが現存している。これらによって『平家物語』におけるヴォーカリティの検証が可能になることが指摘された。

基調講演後の質疑応答では、ヨーロッパと日本のマニュスクリプトの扱いの差は真逆であり、それが社会環境の差を反映しているとの見解が示された。また、中国や演劇のケースを挙げながら、音楽性(musicality)をどう考えるかが議論された。更に、書かれたものの伝統(textual tradition)と音楽の伝統(musical tradition)とは別問題とされがちではあるが、今後はそれらが相伴って検討される必要性が確認された。
2日目(3月18日)
(午前)
■品田悦一 神ながら栄えゆくべき世界
■トークィル・ダシー The Many Views of the World: Kunimi as a Narrative-Dependent Ritual
■河野貴美子 『日本霊異記』からみる「世界」の想像
■陣野英則 平安時代の物語文学が示す天皇と「世界」、『うつほ物語』を中心に

品田悦一教授(東京大学)の発表では、従来は主として「神として」の意味で解釈されてきた『万葉集』の定型句「神ながら」の用法を検討することを通して、第二義である「神の御心のままに」と解釈する方が妥当であることが主張された。とりわけ、巻一・二では「神ながら」が神々の意向によって生成する聖なる政治秩序の表象となっていることを確認した。しかし、それは巻一・二の続編であるはずの巻六では人臣が天皇を操る世界が描かれることにより潰えてしまう。更に、巻十七~二十の家持歌日誌で頻出する「神ながら」はこれらとも異なる用例であり、それは既に失われた天皇秩序を前提としつつ、それをあるべき世界として想像する家持自身が創り出したものだとされた。

従来、「国見」は君子が高い場所から国土を俯瞰する儀礼として定義されてきた。トークィル・ダシー准教授(UCLA)はこうした特定の儀礼としての「国見」という概念規定を一度解除し、それを語り物の中に存在するモチーフとして扱った。また、そのことにより、テクストの背景と解釈、即ちナラティヴの側面にも注目すべきだと唱えた。そこには多様な表現の技法が見られる上に、『古事記』『日本書紀』においては、雄略天皇以降の時代の叙述では「国見」が描かれないことにも改めて気付かされるという。ゆえに、「国見」は一つの儀礼に留まらず、政治の面で君子が有する普遍的な権力を表現する方法に見えてくるのである。

河野貴美子教授(早稲田大学)は日本の知の世界が唐・百済経由で成立したこと、即ち外界なくしては日本の知の世界が成立し得ないことを確認した上で、『日本霊異記』が「日本より大陸の方により良き仏教の姿がある」ことを伝えるものでは必ずしもないと述べた。さまざまな霊異の記録は、より良い世界の構築を目指す意志を表象しているのである。一方、時間認識を鑑みると、「現報」の語が散見されることが注目される。そこには前世と来世という時間が意識されており、見えない時間をどれだけ想像し、信じられるかが問われていると考えられる。更に、『日本霊異記』における「智」と「聖」の複雑な関係についても言及がなされた。とりわけ、智光と行基の説話においては、智光が知性(智)を、行基が実践をそれぞれ代理しており、それらが合わさったところに「聖」が表象されると結論づけられた。

陣野英則教授(早稲田大学)はまず、『竹取物語』と『源氏物語』の「帝」は「恋する帝」であることを指摘した。しかも、それは叶わぬ恋であり、権力の拡大とは関わらない。さらに、神聖性もない。それらをふまえて『うつほ物語』が検討された。俊蔭の旅を綴る文章では、道教・仏教・儒教それぞれの価値観が混在している。しかし、そうした世界観を顕著に示すのは物語の最初だけであるが、『うつほ物語』の天皇の権力は総じて相対化されており、有力氏族たちとの協同が見られる。また、俊蔭が体現した音楽・学問の才を、将来の帝へつなぐ強かさも持ち合わせつつあるのである。また、俊蔭の血を引くいぬ宮の入内が物語の末部で示唆されていることは、血の融合という点で重要な意味を持つとの指摘がなされた。
(午後)
■荒木浩 海を渡る自照性―十世紀後半の仏教と説話叙述から―
■海野圭介 和歌的身体の想像:古今灌頂の説く胎生論の基底と展開
■デイヴィッド・バイアロック The Near and the Far: Medieval Heike and the Geography of Enlightenment
■松本郁代 中世日本の即位儀礼にみる仏教的世界観
■金沢英之 『日本書紀纂疏』の〈理〉

荒木浩教授(国際日本文化研究センター)は、十世紀後半に源信が自著『往生要集』や慶滋保胤『日本往生極楽記』などを宋へ運んだことの中にいかなる対外意識が存在していたのか、また、その場合に説話や仏教がいかなる自照性を担って日本文学史に貢献したと言えるのかを検討した。その際に着目されるのが夢の機能である。まず、『日本霊異記』を編纂した景戒の夢が参照項とされた。それは説話集編纂の契機と理解されており、また、その内容は自身の焼身だった。火葬の夢が中国では吉事を意味することも確認された。その上で『往生要集』と『日本極楽往生記』を見ると、そこに書かれている夢はいずれも他人の夢である。これは、両著の筆者が同じ思想サークルに属していたからであり、そこでは他人の夢の内容を実現することが肝要とされたからだと考えられる。また、夢と渡海とが密接に関連することも注目されるが、これは源信の時代に特異な海外観であることが示された。
海野圭介准教授(国文学研究資料館)の発表では、和歌の中に世界がどのように想像されているのかが検討された。そもそも、和歌において季節や名所、国土が詠いあげられることからも「和歌的世界」の考察は可能だが、本発表ではとりわけ、議論のプラットフォームとしての和歌という視座が示された。具体的には、慈円の歌論において和歌が漢字よりも陀羅尼(梵語)に近いとされていること、また、インド由来の五大と中国由来の五行との両方が和歌によって表わされるとされていることが注目された。そこには密教との関わりが窺える。そこで参照されるのが、藤原為顕による『古今和歌集灌頂』である。海野氏は、為顕と立川流との差異をはかりつつ、この文献を検討した。密教の灌頂作法に倣って和歌の秘密を伝授する主旨を持つこの書には、人体と宇宙とを重ねる世界観(五蔵三摩地観)が緻密に示されているのである。

デイヴィッド・バイアロック准教授(USC)の発表は、日本中世の地理的認識に関わる想像のありようを、『平家物語』の「宗論」を検討対象とすることで追究したものだった。ここにはインドへの旅を希望した白河上皇が大江匡房の進言により、高野山への行幸を執り行ったことが書かれている。匡房が幻覚においてインドの地理を喚起することと、「宗論」が中世において高位の琵琶法師によってのみ演じられる大秘事の一つであることが注目されるが、発表ではとりわけ後者に焦点が当てられた。「宗論」が「得長寿院供養事」と併せて演じられた記録があり、この二つが『平家物語』から取り出され、単独のものとして読まれたことで、琵琶法師たちが自分の悟りを体現した可能性が示唆された。

松本郁代准教授(横浜市立大学)は、天皇の即位儀礼にその時々の秩序の論理が可視化されていると述べた。また、大嘗祭と即位灌頂に着目し、特に大嘗祭を天皇の神話的起源を確認する儀礼と位置づけた。更に、天皇が大日如来の印を結ぶことにその特徴がある、即位灌頂に関わる文書や図版を検証し、須弥山が大日如来を示すものであると同時に日本それ自体を指すという世界観を示す象徴的機能を担っていることが指摘された。須弥山の存在する世界と世界地図とが同時並行的に描かれた幕末期の図も取り上げられ、ここでは二つの世界がそれぞれ理念と事実とを示しているとの言及がなされた。即ち、中世に描かれた世界が幕末まで存続していたことが証し立てられたと言える。

金沢英之准教授(北海道大学)は、中世において断片化していた神話を再び一つの世界観に統合していこうとする意志が見られること、その際に仏教的世界観が参照されたことを指摘した。それを根拠づけるのが一条兼良であり、彼から真に「『日本書紀』を読む」時代が始まったと言える。一条兼良『日本書紀纂疏』は、儒教・道教・仏教の三教を超える〈理〉を発見し、説明するところが尤も興味深く、彼の後継者である兼倶の思想は、一見すると反本地垂迹説のように見えるが、兼良の唱えた〈理〉に形を与えたと見ることも可能であると述べられた。本発表では、本居宣長にも触れられ、宣長の思想が兼良の〈理〉を踏襲する側面も持ち合わせていることが示唆された。

早稲田院生
3日目(3月19日)
(午前)
■齊藤希史 唐土を想像する―桜花以前の墨水から
■ピーター・フルッキガー Local Culture and Confucian Universalism in Dazai Shundai’s Views on Waka
■小林ふみ子 異界?俗界?―山水画のリアリティ
■ジョン・カーペンター The Worldview of Late-Edo Rinpa Painting: Courtly Arts through the Lens of Popular Culture

齊藤希史教授(東京大学)の発表では、古文辞派の人々が単に中国風の詩を作るのではなく、彼ら自身が棲む思想世界を創造する営為として詩作を行っていたことが指摘された。その上で、「擬」を詩作の方法論として自覚的に用いていたとし、類縁による「世界」の拡張が積極的になされていたことが主張された。世界の表象が文体によって構成されていることが強調された発表だった。

ピーター・フルッキガー准教授(ポモナ・カレッジ)は、儒学者とみなされている太宰春台の、和歌に関わる言説からその思想を再検討した。和歌は春台にとって中心的な関心事ではなかったとはいえ、そこから見えてくるのは、春台の学問において実践や経験といったものが重んじられているという側面である。喜怒哀楽を含む人間の心情と、実践や経験とを、和歌を梃子として連関させつつ思考した春台であったが、また一方で、彼は自身が生きる時代へのまなざしを常に有していたと言える。これが古典や過去をしか顧みていなかった従来の儒学者たちと春台との差異である。武士が商売をすべきだとも説いた春台の影響は、後世の経世論の、特に実践の捉え方において顕著だとの言及がなされた。

小林ふみ子教授(法政大学)は、南画の山水の意義を画論から検討した。天明年間には山水画制作の需要が高まったが、その中で山水の実在性が重視されたことが注目される。実在性を担保するために、山水画を描く際に参照するという目的を持った、実在する山の絵を集めたカタログとも言える冊子が刊行されていたほどであることにも言及があった。一方で、実在の山水だけでなく「胸中山」も描かれていた。また、南画による真景図は、日本の風景を中国の山水図になぞらえていることも実証された。

日本美術のキュレーターであるジョン・カーペンター氏(メトロポリタン美術館)は、和歌と交差する部分が見られる日本美術の作品、特に酒井抱一ら江戸時代後期の琳派の絵画に焦点を当てた。その時期の琳派の絵画を辿ると、たらしこみや技法の大胆さなどに保証される、美学的な傾向を継承しつつ、当時の卑俗な内容の和歌が書き添えられている作品も見られるという。このことからカーペンター氏は、琳派の技法や特徴を伝統として確かに継承すると同時に、同時代的な大衆文化を作品に取り込み、現在と過去の双方を一面の中に描くという展開を見せていることを指摘した。
(午後)
■金時徳 近藤重蔵―ナショナリストと文献学者の間―
■嶋崎聡子 The “World” of Edo Kabuki: History, Geography and the Invention of the Early Modern Present
■若尾政希 近世人の思想形成と「世界」
■デイヴィッド・ルーリー The Virtue of Promiscuity: Orikuchi Shinobu’s Irogonomi and the Imagined World of Antiquity
■マイケル・エメリック The World as Process
金時徳助教授(ソウル大学)は、北方探検家として、また、文献学者として現在では紹介されている近藤重蔵について、その活動を近藤が生きた同時代の状況と関わらせつつ、改めて検証した。近藤の『外蕃通書』と『外蕃書翰』とを検討すると、上記のように二つの顔を持つようにも見える近藤の思想が、一貫性を持ったものとして解釈できることが述べられた。また、そのように政治と学問の両領域をまたぎつつ活動した近藤のありようが、韓国(大韓帝国)の外交官であると同時に東洋学者でもあったメレンドルフを参照項として再検討し得ることが確認された。

嶋崎聡子准教授(USC)は、まず、江戸歌舞伎における「世界定め」に着目した。これは、年に一度、各小屋が年間のスケジュールを決め、発表するというイベントである。その際には台本の書き手が、この先一年間の芝居の構想、特に舞台や人物造形といったことを決定したという。こうした形で江戸歌舞伎においてはそれぞれの芝居小屋において「世界」が設定されたのである。その積み重ねの結果、江戸歌舞伎は市井の人々が消費しやすいように支配階級の価値観を再編するということを成し遂げたと、嶋崎氏は見た。芝居小屋において絶え間なく世界が表現されることを通して、歌舞伎は江戸の社会において新しい時空間を知覚する感覚を生み出し、日常性から一歩距離を置くと同時に深いところで日常性を巻き込むという、文化的な力を獲得するに至ったと結論づけられた。

若尾政希教授(一橋大学)は、近世人の思想形成のありようを明らかにするために、近世における書物の流通と現在における史料の保存状況とを検討し、近世の中間的文化層の実態に迫った。同時に、近世における書物・出版の存在が、社会の共通認識を形成し、個々人の思想形成にも大きく与するところがあったことが実証された。その上で、近世人がいかなる世界観を持っていたかが検討された。注目すべきは「天地の子」意識である。そこには天地自然の形成と併せて人間存在への思惟もなされるという傾向が示されている。さら、歴史意識や地域意識の形成も江戸期の書物を通して検討された。

デイヴィッド・ルーリー准教授(コロンビア大学)は、折口信夫の論に見える「色好みの徳」を取り上げた。この論は『古事記』のスセリビメとイワノヒメとの二つのエピソードに基づいており、万葉びとの生活において、女性から嫉みを受けることは理想的な生活の条件の一つだと捉えられている。しかし、この二つの物語は様々なレベルで同列に置くことができない。ルーリー氏は、スセリビメとイワノヒメとで、嫉妬の表象方法が異なること、また、それぞれの相手(スセリビメ―オオクニヌシ、イワノヒメ―仁徳天皇)との関係も異なること、更に、両者を同列に置くことで、イワノヒメの挿話自体が持つ重要性を無視する結果になることを指摘した。だが、そこを炙り出すことで却って折口のテクストの読み方や思考方法、それらの戦略性が明らかになると述べた。

ME 登壇マイケル・エメリック上級准教授(UCLA)はまず、三日間にわたる本シンポジウム全体の意図を説明した。シンポジウムのタイトルである「《世界》の想像」というフレーズについて、先行研究を踏まえつつ、その立場を明らかにした。フランコ・モレッティやパスカル・カザノヴァが唱える「世界」は、西洋/非西洋という二項対立を自明のものとしており、その点に不足があるという。その一方、デイヴィッド・ダムロッシュが言う「世界」は、上記のような二項対立も、あるいは全てを均質化するようなグローバリズムにも抗うものであり、シンポジウムの目論見と重なる部分も大きいが、彼の提案は教育学的側面に特化されており、異なる時代の人間がどのように世界を想像したかを問題化していないという。
今回のシンポジウムは「世界」を想像する「過程」を明らかにする点でこれらと異なり、また、この点で三日間になされた各発表を繋ぐ視座が確保されていると述べられた。
エメリック氏自身は、「世界」それ自体を想像する過程を検証するために、二つの資料を参照した。『読売新聞』(1888年6月23日)の社説「英文を以て著述すること」と、1895年に発表された田岡嶺雲の論文「東洋的の審美学を作ろう」である。その双方共に、世界概念が〈他〉なるものとの関係において把握されていることが注目された。即ち、世界という概念を導入することにより、前景(日本)と背景(世界)という区別が可能になっている。ゆえに、「世界」とは前景と背景を差異化する過程の別名だと述べられた。
おわりに、「世界の中の日本」と「日本と世界」の両方が重なり合うところに、このシンポジウムを通して想像された「世界」は存在すると纏められた。

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