「特集 Feature」 Vol.7-2 科学でメダルは獲れるのか!? 2020年東京オリンピックに科学で挑む!(全4回配信)

運動生理学・バイオメカニクス研究者
川上泰雄(かわかみやすお)/スポーツ科学学術院 スポーツ科学部 スポーツ科学科 教授

科学でメダルを獲るということ
〜ギアの開発・コーチング革命編〜

1科学でメダルを獲る――そのための挑戦として、前回の「身体メカニズムの探求」の次に「ギアの開発」があげられるといいます。履くだけで誰よりも速く走れるシューズ、身に付けるだけで強靭なパワーを出せるウェア…そんな夢のようなギアは生み出せるものなのでしょうか?今回は2020東京オリンピック・パラリンピックを制するためのギア開発の最前線、そしてその先にある「コーチング革命」に迫ります。

 

速く走れるシューズは作れるのか?

これは私がよく聞かれる質問のひとつです。

スポーツ選手や一般人の運動能力を引き出すためのシューズやウェアといった「ギア」の開発を研究室で進めていますが、そこでは、身体メカニズムの解明(※前回参照)によってもたらされたデータが活かされています。

さて、冒頭の質問ですが、シューズの工夫だけでランニングスピードを格段に向上させることは難しいということが研究から明らかになってきています。もっとも、足はランニング中に唯一地面と接し、地面に身体で発揮された力を伝える部分ですから、シューズに何らかの工夫を施すことが走りに与える影響は大きいと思います。たとえばスプリングなどの強力な「ばね」をシューズ内に仕込むことなどは一定の効果をもたらすでしょう。ロンドン五輪に挑戦した義足のランナーであるオスカー・ピストリウスを例に挙げてみましょう。「ブレードランナー」の異名を持つ彼は両足にカーボンの競技用義足をつけています。これは、筋肉に代わる強力なばねです。彼はロンドンオリンピック・パラリンピックの両方に出場を果たしました。しかし、いずれも、個人種目で金メダルには至りませんでした。

バネはあくまで「弾性エネルギーを蓄積して、その後それを解放する」という機能をもつものです。弾性エネルギーを蓄積するには、そもそも筋収縮のエネルギーが必要です。オリンピックにおいて健常者ランナーと競うとき、ピストリウス選手はトップスピードに達してきたレース中盤から後半、他の選手が疲れて筋力が落ちてくるときにその落ちが少ないため、結果的に前へ前へと抜き出てきます。彼はそうした、他の選手との長丁場の争いの一部を、バネの長所で制することには強いのですが、レース前半に爆発的な筋力発揮によってスピードを高めなければならない時、苦戦を強いられます。レースの最初から最後まで、バネの恩恵を被り続けることは不可能です。

 

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〈図1〉接地時と離地時のバネ(出典:川上泰雄)

 

こうした例からも、スポーツパフォーマンス向上ギアの開発にあたっては、エネルギーを生み出すモーターである筋肉とスプリングとなり得る装具等をうまく協調させる発想が必要であることが分かります。つまり、身体のトレーニング方策とギアのアシスト効果をトータルで設計することが、人をより速く走らせ、より高く飛ばせることにつながります。現在、研究室ではこうした発想に基 づいたシューズに関する基礎的な研究を進めていますが、その他に、運動時の身体の変形をコントロールし、疲労を抑えることができるようなモダリティにも注目しているところです。

前回お話しした身体メカニズムの探求と、今回のギア開発、この両方のアプローチがマッチして、トップアスリートのメダル獲得に繋がる研究になれば、それはスポーツ界への具体的な戦略支援として世界に認められるでしょう。パラリンピックにも直接的な貢献が期待される分野です。さらには、未来の才能を発掘し、開花させるような選手育成にもつながるかもしれません。

 

 メダル獲得をもたらす「コーチング革命」

「科学でメダルを獲る」ことを考えるとき、科学的に裏付けられた「上手い動き」をいかに選手に実感させるかも重要になってきます。これは、アスリートへの革新的なコーチングになり得ます。

現在、アスリートはモーションキャプチャーなどのテクノロジーを競技力向上のために活用することができます。より速く走る人のフォームと自分のフォームを比較することも、今は簡単です。しかし、最新のテクノロジーを用いたシステムをもってしても、アスリートがもつ「実感」に迫ることは困難です。

 

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〈写真1〉穏やかな口調で丁寧にご説明してくださる川上先生。取材は所沢キャンパスの川上研究室にて

 

人間は運動をするとき、大脳において、数ある筋肉の適切な選択、また、それらの活動タイミングや活動量に関するプログラムを起動し、出力結果をもとにプログラムに修正を施す、という作業を行います。筋肉は基本的に力を発揮する装置ですから、力学的にいうとそれがまたいでいる関節の角加速度を変化させます。脳の指令が神経を伝わり、何百個もある全身の筋肉が力を発揮し、身体、あるいは身体パーツの加速度への変換が行われた結果として、たとえば「ボールを拾って投げる」といった複雑な動作を実現しています。

自分の動きのビデオを見たり、コーチがアスリートの動きを隣で見たりして指導をする時、主として頼るのは視覚情報です。それらの情報は、物理量でいう変位です。その時間変化、すなわち速度についても、よい目をした選手やコーチはビデオから「実感」することができるでしょう。しかし、速度の時間変化である加速度まで、映像から感じ取れる人はほとんどいないでしょう。世界中の一流アスリートが集まるオリンピックでのメダル獲得につながるような、極めて複雑でパワフルな動きを、アスリートが「実感」するには、映像情報は明らかに不十分です。

もし、目標とする動きを加速度の観点から、しかも主要な関節、あるいはそれをまたぐ筋群の力発揮パターンにまで分解して、リアルタイムでアスリートにフィードバックすることができれば、映像の限界を打ち破ることができる可能性があります。つまり、脳が理想的な「上手い動き」を「実感」できるような情報の提供によって、革新的なコーチングが可能になれば、「科学」でメダルを獲る画期的方法になると考えられるのです。

まだ試行錯誤中ですが、そうしたデバイス開発ができればと思っています。大脳の「実感」デバイスを活用しながら、練習や試合、トレーニングを行うことで、最短・最適な選手育成や、トップ選手のブレイクスルーにつながることを期待しています。それが、2020東京オリンピック・パラリンピックで実現できれば、ポストオリパラにおける、スポーツを軸とした日本の興隆の起爆剤になると思います。

 

次回は、「アスリートが奇跡を起こす時、感性には何が起こっているのか?」と題して、科学と人間の感性との関係について伺います。

 

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 プロフィール

プロフィール

川上泰雄(かわかみやすお)

1988年東京大学教育学部体育学・健康教育学科(体育学コース)卒業。1990年東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。1991年東京大学大学院教育学研究科博士後期課程退学。1991年東京大学教養学部保健体育科 助手。1996年東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻 助手、1999年には助教授に。2003年早稲田大学スポーツ科学部 助教授。2005年早稲田大学スポーツ科学学術院教授、現在に至る。

 

主な業績
  • 2015~,川上筋腱特性開拓プロジェクト, 人間の筋腱特性とその可塑性に関する包括的研究:身体運動能力との関連性からみた効果的なトレーニング方策の確立に向けて(中核研究者課題)
  • 2012~2015,身体運動のメカニズムと適応性の解明:骨格筋・腱動態の生体計測によるアプローチ(科研費課題)
  • 2009~2011,筋肉痛の発生機序と部位特異性:筋肉痛を抑えながら筋力増強効果を高めるトレーニング(科研費課題)

その他の業績→and more

用語解説
  • MRI : 磁気共鳴画像診断装置。強力な磁気の力を利用し、体内構造物を可視化する装置。
  • モーションキャプチャー : 身体の動きを高い精度で3次元計測し、コンピュータ内で再現する技術。
リファレンス
  • Ema, R., Wakahara, T., Yanaka, T., Kanehisa, H., Kawakami, Y. Unique muscularity in cyclists’ thigh and trunk: a cross-sectional and longitudinal study. Scand. J. Med. Sci. Sports, 2015. doi: 10.1111/sms.12511.
  • Miyamoto, N., Kawakami, Y. No graduated pressure profile in compression stockings still reduces muscle fatigue. Int. J. Sports Med. 36: 220-225, 2015. doi: 10.1055/s-0034-1390495.
  • Sakaguchi, M., Shimizu, N., Yanai, T., Stefanyshyn, D., Kawakami, Y. Hip rotation angle is associated with frontal plane knee joint mechanics during running. Gait & Posture 41: 557-561, 2015. doi:10.1016/j.gaitpost.2014.12.014
  • Shishida, F., Sakaguchi, M., Sato, T., Kawakami, Y. Technical principles of Atemi-waza in the first technique of the Itsutsu-no-kata in Judo: from a viewpoint of Jujitsu-like Atemi-waza. Sport Science Research 12: 121-136, 2015.
  • Akagi, R., Iwanuma S., Hashizume, S., Kanehisa, H., Fukunaga, T., Kawakami, Y. Determination of contraction-induced changes in elbow flexor cross-sectional area for evaluating muscle size-strength relationship during contraction. J. Strength Cond. Res. 29: 1741-1747, 2015.
  • Wakahara, T., Ema, R., Miyamoto, N., Kawakami. Y. Increase in vastus lateralis aponeurosis width induced by resistance training: implications for a hypertrophic model of pennate muscle. Eur. J. Appl. Physiol. 115: 309-316, 2015.
  • Sugisaki, N., Wakahara, T., Murata, K., Miyamoto, N., Kawakami, Y., Kanehisa, H., Fukunaga, T. Influence of muscle hypertrophy on the moment arm of the triceps brachii muscle. J. Appl. Biomech. 31: 111-116, 2015. doi: 10.1123/jab.2014-0126.
取材場所

取材場所

取材は所沢キャンパスにて行われました。ここには人間科学学術院スポーツ科学学術院があります。

 

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