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Vol.7 政治学方法論(1/2)/ 【人文社会科学が評価される時代】北米テック企業で重宝される数理的スキルの可能性/山本鉄平教授

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Thu 14 Nov 24

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Thu 14 Nov 24

「早稲田大学Podcasts : 博士一歩前」は、早稲田大学に所属する研究者たちとの対話を通じ、日々の研究で得た深い世界や、社会を理解するヒントや視点をお届けします。
異分野の研究から得られる「ひらめき」「セレンディピティ」「学問や世の中への関心」を持つきっかけとなるエピソードを配信し、「知の扉」の手前から扉の向こうへの一歩前進を後押しするような番組を目指しています。

今回と次回は早稲田大学 政治経済学術院 の山本鉄平教授をゲストに、「因果革命で切り拓かれた、人文社会科学での数理的素養の可能性」をテーマにお届けします。

 

「政治をデータを使って分析するための方法」について研究する『政治学方法論』中でも統計学の一分野である『因果推論』の理論を用いた研究が専門分野の山本教授。

 

近年よく使われている『エビデンス』という言葉をキーワードに、社会科学や人文科学だけでなく、伝統的な理系分野の統計学からも重要視される『因果推論』の概念や歴史に注目し、現在大統領選で注目を集める「アメリカの政治とメディアの関係」を例に、過去実際に行った実験データを紹介します。

 

また海外、特にアメリカでの研究キャリアの長い山本教授が「数理的スキルやコミュニケーション能力を評価され、企業や政府での就職が魅力的な選択肢となっている」「NetflixやUberといった企業に就職する例もある」と語る、日本とアメリカの人文社会科学関係の博士号取得者のキャリアにおける評価の違い、これからの可能性についても伺います。

エピソードは下のリンクから

ゲスト:山本 鉄平

2006年に東京大学教養学部を卒業。2011年にプリンストン大学政治学部で博士号を取得。2024年までマサチューセッツ工科大学(MIT)政治学部教授を務め、同年6月より早稲田大学政治経済学術院教授に就任。政治・社会データ分析における計量的および統計的手法の開発と応用に幅広い関心を持ち、特に因果推論、社会調査、実験計画のための統計的方法論に精通している。American Journal of Political Science や American Political Science Review など、世界的に権威のある主要ジャーナルに多数の論文が掲載されており、2024年8月時点で日本国内の政治学研究者の中で最も論文が引用されている研究者として、政治学分野に大きな貢献をしている。

ホスト:島岡 未来子

研究戦略センター教授。専門は研究戦略・評価、非営利組織経営、協働ガバナンス、起業家精神教育。2013年早稲田大学公共経営研究科博士課程修了、公共経営博士。文部科学省EDGEプログラム、EDGE-NEXTプログラムの採択を受け早稲田大学で実施する「WASEDA-EDGE 人材育成プログラム」の運営に携わり、2019年より事務局長。2021年9月から、早稲田大学研究戦略センター教授。

 

エピソード要約

―因果推論とは
「因果推論」は、統計学の一分野であり、相関関係ではなく、データから因果関係を引き出すための手法やツールを開発することを目的としており、数学的に相関関係と因果関係を区別するための枠組みを定義し、その枠組みに基づいて分析を行う新しい分野である。昔は、データを使った数理的・統計的分析は理系分野が主で、実験により相関関係と因果関係がほぼ同一視できるデータが取得できるため、相関と因果を意識する必要性が少なかった。一方で、近年ビックデータなど多くのデータを入手できるようになり、社会科学や人文科学でもデータを使った分析が盛んに用いられるようになると、より扱いの難しいデータを分析する必要があり、相関と因果の違いがすごく大事になった。

―「因果推論」により明かされた偏向メディアの影響
近年顕著になっているアメリカ社会の政治的な分極化に対するメディアの影響について、ケーブルテレビやインターネットの発達によって現れた偏向的なメディアへの影響を調査した。従来の方法では、偏向メディアを元々好んでいる人の意見が偏向メディアによってさらに偏るかどうかは明確ではなく、これを解明するために山本教授は「ダブル無作為割り当て」というような手法を導入した。その結果、普段見ているメディアに対して、逆方向のメディアを見せると人の考え方に最も顕著な影響が見られることが判明した。くわえて偏向メディアの影響を緩和するためには、異なる意見に触れられるメディア環境の改善が重要であるという示唆が得られた。

―英語でのコミュニケーションのコツ
山本教授は、長年アメリカの大学を拠点に研究活動を続けてきた。アメリカの大学での議論参加において、英語でのディベートのタイミングや空気の読み方に苦労したが、発言する際は完璧を求めず、率直に話すことが重要だと考えている。また英語のコミュニケーションは、拙かったり、自己中心的でも、多くの場合それが許容されるため、自分の思いを率直に伝えることが大事であると考えている。

エピソード書き起こし

島岡教授(以下、島岡):
まず山本先生の専門である「政治学方法論」は、政治学の中の一分野で、政治をデータを使って分析するための方法や手法、メソッド、ツールについて研究する分野となります。中でも山本先生のご専門は「因果推論」の理論を用いた研究であると伺っております。
「政治学方法論」そして「因果推論」についてぜひ先生からご説明いただけますでしょうか。

山本教授(以下、山本):
「政治学方法論」「因果推論」というと少しイメージするのが難しいかと思いますが、2つの分野をつなぐキーワードとして、最近よく使われている「エビデンス」という言葉が、キーワードだと思います。「エビデンス」はニュアンスのある表現で、例えば「データ」と思うことも多いと思いますが、「エビデンス」=「データ」ではなく、データの中にもエビデンスとして合格といえるデータと不合格といえるデータがあり、私の専門である政治をデータ分析しようと考えた上では、何も考えずに単純にデータを見ていると、後者、要するに不合格なデータが非常に多いです。そこで政治学者としてはどちらが合格、不合格かというのを見極める、また、うまく研究をデザインすることで、合格であるデータだけを集めるのが非常に重要になってきますが、合格と不合格をうまく切り分ける上で、鍵を握るのが「因果推論」の考え方です。「因果推論」とは統計学の一分野で、ざっくり言うと玉石混交の色々なデータの中から、なんとか因果関係を析出して何が何を引き起こすという純粋な関係を引き出してくるための分析手法やツールを開発するのが目的の分野です。一般的に相関関係は必ずしも因果関係を意味しないというのはよく言われています。具体的にどういう条件が満たされるときに相関関係が因果関係と言えるのかを色々な観点から統計的、数学的に掘り下げていくのが「因果推論」のやっていることです。実はその伝統的な統計学は、この問題に正面から向き合うことを避けてきた歴史があります。相関が因果を示すのかどうかは、統計学では判断ができなくて、それを判断するのは科学者の知見や実際に使う側の人が、科学的な理論を持ってやってください、統計家の役割はありませんとお茶を濁してきた歴史があります。それが近年、色々な要因から見直されて、統計学でも正面から因果関係に向き合う必要があることになって、統計学の問題として扱われるようになったという経緯があります。

島岡:
相関というとXとYに何か関係があることの証明ですよね。因果関係はまた違うということですよね。

山本:
XがYを引き起こしている。

島岡:
そこまで踏み込んで説明するということですね。

山本:
伝統的な統計学ですと、XとYがどのくらい強く相関しているのかを計算する式など、それがどのくらい確かなのか、その誤差を計算する方法はありますが、実際に相関がこのくらい強くあると分かった時、これはXがYを引き起こした結果、そうなっているのか。もしかしたらYがXを引き起こした結果なのか。それとも例えばZがあって、ZによってXもYも両方引き起こされている結果、XとYが相関しているのかを分ける方法は、直接的には伝統的な統計学ではありませんでした。「因果推論」とは、そもそも定義のレベルで、これが相関関係です、これが因果関係ですというのが数学的に区別できるような枠組みを作って、それに基づいて分析する分野で、結構新しい考え方です。

島岡:
そのあたりは後でまたお聞きしたいと思いますが、まず先生がおっしゃっているエビデンスの合格と不合格はどのように定義できるのでしょうか。

山本:
端的に言うと、因果関係があるとみなされる関係を示したものは合格。単純に相関関係であって、例えばXとYが関係をしていてもXとYの直接の因果関係を示していないデータの場合はエビデンスとして不合格と言えると思います。

島岡:
世の中には、それが混ぜこぜになっており、相関なのか因果なのか、相関なのに因果のように言われたりすることも結構あるのでしょうか。

山本:
そうですね。

島岡:
そういう玉石混交の中から、どれが因果関係と言えるのかを拾い上げていく。これが合格なエビデンスを収集するポイントということですね。

山本:
そうですね。はい。

島岡:
「政治学方法論」、「因果推論」の概念について解説いただきましたが、山本先生の研究されている「因果推論」という理論が、いつ頃から盛んになってきたのでしょうか。

山本:
統計学の理論として最初に提唱されたのは1970年代ぐらいに萌芽的なものがあって、社会科学とか、実際の科学で応用されるようになったのは、過去10年20年ぐらいの話だと思います。

島岡:
なぜ最近になって「因果推論」が注目されるようになってきたのでしょうか。

山本:
それは非常にいい質問で、科学の分野はあらゆる分野で因果関係を明らかにするのが主目的だと思いますが、昔は基本的にデータを使って数理的・統計的な分析をするのは、いわゆる理系の分野が主でした。文系人文科学・社会科学の分野は、そこまでデータを主に使って研究していなかった。そういう中で理系は、そんなに因果関係を取り立てて特別視する必要はないのです。理系の分野は実験ができるので、綺麗なデータが得られてしまう。綺麗なデータの中では相関関係と因果関係がほぼ同一視できるので、取り立てて因果関係を特別に扱う必要はなかった。ところが、近年になって社会科学や人文科学でもデータを使った分析が盛んに用いられるようになってくると、より汚い、扱いの難しいデータがたくさん出てきて、そこでは相関と因果の違いがすごく大事になってきました。

島岡:
汚いというのは、いろんな要素が入るということでしょうか。

山本:
そうですね。色々な要素がお互いに連関していて、例えば実験であれば、純粋にXとYだけが変化している状況ですが、世の中の金利が上がると経済がどうなるかという話は、他に色々な要素が同時に変化して、その反応として金利が上がったり、経済が変わったりしている中で金利と経済の関係を成立しようとする話なので、難しいことになります。私がよくする例えですが、この部屋、今、電気がついていますよね。なぜ電気がついているのかというと、そこにスイッチがあって、このスイッチをオフにすれば電気が消えるわけです。そのスイッチを入れると電気がついて、消すと消えるというのは、因果関係の話で、そのスイッチが原因で電気が結果となり、当然スイッチをオンオフしてみれば、それは分かるわけです。ところが、世の中の人とか現実の世界、社会は、電灯のスイッチではなく、それぞれの人々が違います。色々な自由意志があって、研究者には観察できない色々な要素を持っていて、それに反応して、色々なことをしていると。それらをデータを使って分析しようとすると、昔やっていたようなスイッチを前提とした理論的な枠組み、統計の枠組みでは扱えなくなっている。

島岡:
色々なノイズが入り、複雑な要素が絡み合っている状況を分析しなければいけないということですよね。

山本:
複雑な要素は交絡要因、交絡は交わる、絡むと書いて交絡と言うのですが、その交絡要因を排除する、何らかの方向で排除した上で、見たい関係にズームインして見ないと因果関係が分からないということです。

島岡:
そのような背景で「因果推論」が非常に重要になってきたということですね。なぜ今というのもあるのでしょうか。例えば10年20年前はそれがなくても一応、世の中は動いていたと思いますが。

山本:
1つ挙げるとすれば、よくビッグデータと言いますが、世の中に出回っていたり、人が見たり使ったりできるデータの数や種類が、ここ最近増えたのもあって、情報があるならば、やはり科学者としては、それを使って新しいことを発見したいというのがあります。

島岡:
例えば受け取る側の要求が上がっていることはあるのでしょうか。もっとちゃんとエビデンスがないと説得されない、動かないというか。

山本:
学者の中の話としては、過去にこれが正しいとされていたような結果が、実は正しくなかったという結果が近年出てきたりすると、なんでなんだろうと。

島岡:
そうすると、新しい手法を使ってより本質、正解に近づきたい。そういう要望や要求が当然あるわけですね。

山本
そうですね。

島岡:
ありがとうございます。
「政治学方法論」「因果推論」の概念について解説いただきましたが、山本先生の研究されている「因果推論」という理論が一般社会に、どのように関わっているのかについて具体的な実証実験のエピソードなども交えてご紹介いただけますでしょうか。

山本:
今までいくつか実際の政治学にこういう手法を応用した研究に関わった経験がありますが、その中で一番良い例だと思うのが、アメリカ社会の政治的な分極化。分断とそれにおけるメディアの役割を研究したことがあって、その話が良いと思います。アメリカ社会の政治的な分極化は、要するにアメリカの政治的な意見が2つの方向に偏って、すごく保守的な人とすごくプログレッシブ、進歩的な人で意見が先鋭化して、それが政治に影響してというのが、ここ20年ぐらいで急速に進んできた。政治学者としては、なぜそんなことが起きたのかという話になります。そこで着目されたのがメディアの役割。その20年間ぐらいの間でメディアの環境も急速に同じように変わっていて、もともとはテレビ、日本で言う地上波のテレビがメインのメディアで、世の中のアメリカの人は基本的に国中でナショナルネットワークのニュースにチャンネルを合わせて見ていた。ところがここ20年ぐらいでケーブルテレビがまず出てきて、ケーブルテレビはたくさんチャンネルがあって、ご存知のように、たくさんあるチャンネルの中には誰にでも対応したようなコンテンツだけではなく、すごく専門的なチャンネルが増えてきた。その中にはすごく偏った情報、党派的な偏向したとも言えるようなニュースを流すメディアも出てきた。ケーブルテレビはたくさんチャンネルがあった上に、人々が自由に選べるので、自分のもともとある好みに偏った情報ばかりを取捨選択するようになってきた。近年、それがさらに強まって、今度はインターネットメディアが出てきて、さらにSNS、YouTubeやFacebookなど、自分の見たメディアに基づいて、レコメンデーションされて、おすすめはこれですと似たようなものがまた出てくる。さらにFacebookやTwitter(X)とかだと、自分と同じような人が繋がっていって、その人たちの流してくる情報に「いいね」をすると、また同じような情報が出てきて。そういう感じで、その情報の泡の中に閉じ込められて、今まであった偏りがさらに強化されるようなことがあったのではないかという仮説がありました。ただそれを単純に2つの相関を見るだけで本当にメディアのせいで分極化が進んだのかというと、もともと偏った意見を持っている人が、偏ったニュースを見るという逆の方向もあります。ならどちらのせいでどちらがなっているのか、卵か鶏かというような問題で、因果関係は分からないという話になります。そこでまず多くの政治学者が取った方法が「因果推論」の「無作為化実験」、「RCT」と言いますが、それによって因果関係の証明を試みました。それは党派的と言われている、例えばFOXニュース、保守的なものですがそれに対応するような、その進歩的な例えばMSNBCなどそのようなチャンネルのニュースを持ってきて、それを無作為に半分ずつ被験者に見せて、その結果によって政治的な意見や態度が変わったのかを調べた。それによって実際そういうことをすると、平均的に意見が変わることが証明された。そういうことがありますが、しかしまだ問題があって、これは「因果推論」の第一段階とも言えると思いますが、その段階で何が分かるかというと、「無作為化実験」ですべての人をランダムにFOXニュースかMSNBCに割り当てた結果、平均的に因果効果がどのくらいになったかが計算できます。一方で実際にはさっきもあったように偏向メディアを見る人はもともと偏った意見を持った人なのかです。だから平均的にもし偏向メディアが意見を変える影響があったとしても、もともとそういう意見を持っている人の意見をさらにそちらへ寄せるような影響があるかどうかは必ずしも分からない。さっきのスイッチの話に戻りますが、人間がもし全体のスイッチであれば、あるスイッチについて証明されたことは、他の同じようなスイッチを持ってきても証明できるので、1つのスイッチを見ればよいですが、人間はそれぞれ違うので、平均的な効果があったといっても、必ずしも今言った現実社会における分極化の説明にはならない。直接の説明になっていない問題がありました。そこで私と共同研究者が行った研究ですが、名付けて「ダブル無作為割り当て」みたいなことをしました。どういうことかというと、被験者をまず無作為に2つのグループに分けました。グループ1は既存の研究と同じようなRCTを行い、またその中でさらに無作為割り当てでFOXニュースとMSNBCという既存の研究に沿ったRCTをやった。もう1つのグループ2では、普段通り自由意思で好きなチャンネルを選んで視聴してもらいました。無作為割り当てしなかった。そして最後に両グループ共通して政治的意見を測ってその組み合わせを調べました。これの面白いところは、グループ1だけでは因果効果が平均的なことは分かりますが、実際に偏ったメディアを好んで見た人の間に本当に見られるかどうかは分からない。一方でグループ2だけだと、そもそも因果効果の推定ができない、相関と因果の切り分けができない問題があるものを、両グループを組み合わせることでしかも無作為に割り当てた結果を組み合わせることで、実際に偏ったメディアを好んで見るような人々の間で本当に偏ったメディアの効果があるのかという問題を解明することができました。

島岡:
その手法を先生と共同研究者が開発したのが大きなポイントですね。

山本:
私が中心になって開発して、そのメディアの研究の専門家たちと組んで、実際に実験を行って結果を分析しました。

島岡:
今まさにご説明いただいたWRCTという先生が開発された手法に基づいた実験の結果はどうだったのでしょうか。

山本:
メディアの影響に関しては、結局好んで見る人にとっても、普段そんなにメディア、ニュースを見ない人にとっても、実は両方とも偏向メディアを見ることによる意見の効果はあることが判明し、また面白いことにこの手法でできることとして、普段は反対サイドのメディアを見ている人にもう片方のメディアを見せるみたいなこともできて、その結果、実は最も顕著な影響があるのは、普段は反対側のメディアを見ている人だったことが分かりました。つまり普段は進歩的な考えを持ち、MSNBCを見ている人に、FOXニュースを見せた効果が他のニュースを見ない人や普段からFOXニュースを見ている人などと比べて、一番高いことが分かった。それは純粋に面白いということに加えて、これが正しいとしたらメディア環境の意味はすごく大きく、メディアが人々をバブルの中に押し込めてしまったことの弊害が大きかったことが分かって、逆にメディア環境を改善して相手側の意見にも日常的に触れるような環境にあれば、もしかしたら分極化は解決するかもしれないという含意が得られました。

島岡:
そうすると、やはりSNSなど、我々が日常的に接しているそのようなメディア環境へのインプリケーション、改善にも繋がっていきますね。

山本:
今お話した偏向メディアの影響の話ですが、良い例だと思った理由は政治学における「因果推論」をめぐる過去の流れに沿っているというか、それを現す例としてすごく適切です。20年前ぐらいまで、政治学でそもそも実験みたいなものは少ししか行われてこなくて。その後実験やそれに順ずる自然実験とか、研究デザイン実験を模したようなデザインが盛んに用いられるようになって、それが20年、10年くらい前。これが「因果革命」と言われています。政治学の分野で、因果にもう少しフォーカスして大事に扱おう。新しい手法を使おう。そういうことがありましたが、最近の流れとして、スタンダードな実験だけではその因果関係があるかないかみたいな単純なことは証明できても、メディアの例であったような、全体として効果があるかは証明できても、なぜそうなっているのか、どうしてそうなっているのか、因果メカニズムであるとか、その実世界を説明するとか。そういうところに直接結びつかない結果しか残せないことが批判されました。

島岡:
なるほど。

山本:
そこで近年の研究、私がやってきたようなことも含めて、それらにもう一歩踏み込んで、メカニズムや実世界の説明に結びつくような「因果推論」に基づいた研究が求められるようになってきた流れがあります。

島岡:
「因果革命」が起きたところから今後の可能性についても、触れていただきました。今後の可能性については後半にもぜひお話いただきたいと思います。ここまでのお話を通じて「政治学方法論」、「因果推論」という研究分野の発展の流れとともに具体的な活用シーンのイメージが湧いてきました。ここからは山本先生の海外での研究者キャリアについて伺っていきたいと思います。山本先生は2006年に東京大学を卒業し、間もなく海外を拠点に研究を行って来られました。2011年にプリンストン大学で博士号を取得し、その後マサチューセッツ工科大学(MIT)政治学部での教授を経て、2024年6月に早稲田大学政治経済学術院教授に着任されています。東京大学卒業後に海外に拠点を移された当時、どのような思いでアメリカに渡って研究者キャリアを歩み始めていたのでしょうか。

山本:
そもそもなぜアメリカに行ったかという話ですが、単純に言うと、自分の志した分野、実証科学的に数理的に政治学をやる、政治を研究することに関して、最先端が誰の目から見てもアメリカだったことが大きかったです。実はもともと私が最初に興味があったのはどちらかというとヨーロッパの政治や文化に惹かれていて、学部時代はそういう勉強をもっぱらしていて、語学はフランス語をやっていましたし、ヨーロッパの政治や文化についても勉強していて、その方面に進みたいなと思っていました。一方で政治を学ぶ上では科学的なアプローチ、データやエビデンスに基づいたアプローチは重要だなとすごく感じていて、そんな思いで最初にしたことがイギリスへの留学でした。大学の学部時代にオックスフォード大学に1年間留学していたことがあって、そこで一番大きかったのは私を担当してもらった指導教官、メンターの先生が実はアメリカ人でスタンフォード大学出身の先生でした。彼はヨーロッパ政治の研究をしているのですが、トレーニングはアメリカで受けており、そこで私が自分の思いや興味関心、キャリアについての話をしたところ、彼は強く「アメリカに行ったらいいんじゃないか」と勧めてもらって。最初は半信半疑、ヨーロッパに興味があるのに、なぜアメリカに行くのみたいな感じでしたが、彼の話を聞いてみると、やはり私の強く思っている科学的なアプローチをして、その数理的な方法論を身につけて、というのはアメリカがすごく進んでいると。さらにアメリカの仕組みは大学院生になるとお金を払うのではなくもらえます。スカラシップをもらってティーチングアシスタントとかリサーチアシスタントをすることで、こちらからお金を出さずに自分の勉強、研究ができる環境というのは大きかったですし、アメリカはなぜ多くの分野で最先端にいるのかというと、アメリカはたくさん移民が昔から来て、世界中から集まった優秀な移民たちがアメリカの環境で活躍したおかげでアメリカが先端になった背景もあって、実力勝負で血筋とか文化、背景などに関わらず、良い研究さえすれば認めてもらえる環境があるなと感じました。そのような理由でアメリカに進学しました。

島岡:
なぜプリンストン大学だったのでしょうか。

山本:
いくつか選択肢はありましたが、2つ理由があって。1つはその時、私自身やはりヨーロッパの研究もしたいし、数理的なトレーニングもつけたいという両方のことを考えた時に、プリンストン大学はすごく大きな大学で、色々な分野の第一人者と言われるような先生たちがいて、ある意味将来への可能性が複数の選択肢を開いたままいけるなというのがあって。一方で他の選択肢は、君のこういうところがすごく魅力に思って入学させてあげるので、これやりなさいみたいな雰囲気があった。その対比があったので、プリンストンがいいかなというのが1つ。もう1つはプリンストン大学に私の出身大学の先輩である先生がいまして、彼がロールモデルというか、彼のもとで指導やメンタリングを受ければ道標になるかなというのがありました。その2つが大きかったです。

島岡:
2006年に進学されて2011年に博士が5年。

山本:
5年間ですね。

島岡:
どんな5年間でしたか。

山本:
5年間は、研究面だけではなくてアメリカという国に生まれて初めて渡って、1人で生活していく中で、文化や考え方、やり方に慣れていくのがかなり大変でした。

島岡:
5年間で博士号を取るのはすごく順調なように聞こえますが、研究的には順調だったということですよね。

山本:
そうですね。大きな失敗エピソードとかはあまりなくて、例えば試験に落ちてしまった、論文が通らなかったみたいなことは比較的少なかったと思います。基本的に5年プログラムということで入学しますが、実際は5年以上、6年7年かかる人がどちらかというと多数で、5年間きっちり終わる人は少ないです。

島岡:
朝から晩まで研究している感じですか。

山本:
その時は朝早く起きて自分のオフィスに行って、机に向かって暗くなるまでオフィスにいて、時には明るくなるまでオフィスにいたこともありました。

島岡:
イギリスに1年間留学されていましたが、語学的なご苦労はありましたか。

山本:
ありました。語学の面での苦労でいうと、政治学はいわゆる理系の分野に比べると、言葉を使って論文を書く時、説得力のある表現しなければいけないので、理系の分野で留学をするよりも苦労をする部分は多いと思います。それでつまずく人もすごく多い分野ではあり、私自身も1年間イギリスに学部時代にいた経験があったので、当初は楽観視していたというか、大丈夫かなと思っていたのですが、最初の学期に1年生が集まってお互いに発表し合うようなセミナーがあって、そういうセミナーに参加すると参加者は必ず議論にアクティブに参加する事を求められます。なかなかこういう複数人での議論でやり取りをしている中に自分が割り込んでいって発言するのは、単純に英語の発音がいいとか、表現を知っているとか、リスニングができるとかだけではダメで、英語という言語でのコミュニケーションにおけるタイミングとか、空気の読み方とかそういうのがないとできない。それはイギリス時代の経験を持ってしてもやはり難しくて、しかも話している内容は非常に高度で政治学の専門的な話なので。くわえて他の人たちはすごく上手い。政治学をやる人はディベートとか議論が好きな人が集まっているので、そういうところで議論するのは非常に上手い、そこの中で初めてアメリカに渡ってきて同レベルでやるのに、すごく苦労して。よく覚えているのは5回ぐらい授業があった後、担当していた教官が私のところに来て、「どうしたんだ、あまり発言がないようだけれども大丈夫か。うまくやっているか」みたいなことを話してきたのが、今でも覚えています。

島岡:
その後、MITの教授にまでなられるわけですが、そういうところでディベートに英語がネイティブではない人がどのように入っていくかとか、その中で先生が考えた、実践された戦略とかはありますか。

山本:
多分大きいのは完璧なことを言おうとしない。余計なことを考えずに、思ったことはパッと言ってしまうのがいいかなということですね。

島岡:
それにつきる。

山本:
それにつきます。日本語でのコミュニケーションと英語でのコミュニケーションの違いを1つ私が感じるのは、日本語でのコミュニケーションに比べて、英語のコミュニケーションの方が自分勝手でよいということです。自分の思ったことを言って、その言い方がつたなかったり、タイミングが合わなかったりということがあったとしても、そういうことに対する許容度は高いかなと感じます。

島岡:
博士号についてもう少しお伺いしたいのは、日本においても博士号取得者を増やそうという動きがありますが、アメリカにおける、特に人文社会科学関係の博士号取得者はどのような目的で入って、卒業後、どのようなキャリアがあるのでしょうか。

山本:
日本での議論でよく言われるのが、博士号を取ってしまうとむしろ潰しが効かない、就職しようとしたときに学問の道に進むのは非常に狭き門で、一方で一般に就職しようとするとむしろ不利になってしまう、みたいな議論があると思いますが、アメリカの近年の社会科学ではそんなことはあまりなくて。社会科学でもどんどんデータとかその数理的なスキルが身につけられているという話に通ずるのですが、アメリカで博士号をとった後というのは、民間あるいは政府とかに就職するにあたって非常に魅力的なスキルを身につけた上で学位を取ることが多く、その数理的なスキルというのは社会科学であっても身につける必要がある。一方で例えば数理的なことに特化した理系の博士号を取った方とかに比べても社会科学をやっていることでコミュニケーション能力が高かったり、文章を書くのがうまかったり、それこそディベートがうまかったり。そのスキルは実社会に出る上ではたとのデータなどに関する仕事をするにしても大事なスキルであることが多いので、企業の側、採用の側から見ても社会科学のPh.D.(博士号)を持った人は魅力的みたいです。実際、私の指導した学生の中でもその学問の道ではなくて、そちらの道に選んでいく人が複数出てきまして、例を挙げるとNetflixに就職した人、あとはUberですね。Uberのリサーチ部門に就職した人とかが指導学生で近年にいます。そういう意味で、そちらの道も考慮に入れながら、Ph.D.博士号を取りに来る学生が増えています。

島岡:
企業側もある意味すごく良い条件で雇用したりしますか。

山本:
アカデミックな道に進むよりも良いお給料が出ますね。

島岡:
博士号を取るまでの苦労が、ある意味そういうところで報われていくということですね。

山本:
研究者とは一般的に研究が大好きで研究さえできれば他に何もいらないということが美徳とされると思いますが、必ずしも志がなくても、もう少し軽い気持ちで興味があれば挑戦しても大丈夫な世の中になっていると思います。

島岡:
日本でそのようになっていくといいなと思いました。

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