アト秒レーザーで波動関数を可視

アト秒レーザーによる高分解能での複素数の波動関数の可視化に成功

発表のポイント

  • アト秒レーザーを用いることで、複素数の電子波動関数の詳細な構造を可視化した。
  • 電子密度分布だけではなく、電子の「位相」分布の測定に成功した。
  • アト秒レーザーパルスの発生方法を制御し、2つの過程の干渉を用いることで、これまで分からなかった運動量空間での電子波動関数の詳細な構造を高分解能で明らかにした。
  • そのことにより、量子コンピューター等の計算アルゴリズムの発展・検証や、複素数の波動関数測定による、新たな物質解析と超高速の量子制御法の開発が期待される。

早稲田大学理工学術院の新倉 弘倫(にいくら ひろみち)教授らは、カナダ国立研究機構のD. M. Villeneuve博士と共同で、アト秒レーザーによりネオン原子から放出された電子の波動関数※1を、位相分布も含めて高分解能で可視化する方法を開発しました。電子の「位相」と「振幅」がどのように分布しているのかがわかることで、「複素数」の電子波動関数を可視化することができます。本研究により、様々な物質の構造や機能がどのように発現しているのかを、波動関数の観点から解き明かすことが期待されます。

本研究成果は、アメリカ物理学会発行の『Physical Review A』に、“High-resolution attosecond imaging of an atomic electron wavefunction in momentum space” として、2022年12月23日(金)にオンラインで掲載されました。

(1)これまでの研究で分かっていたこと

様々な分子(生体分子)やマテリアルの構造や性質は、その電子の状態が大きな役割を果たしています。紫外光よりも波長の短い極端紫外光や軟X線を物質に当てると、電子が放出されます(アインシュタインの光電効果)。放出された電子の運動エネルギーや、どの方向に放出されたかを測定する光電子分光法は、物質の電子状態や構造を調べる方法として、SPring-8等の放射光などを光源として広く利用されています(図1)。

図1:従来の光電子分光法

放出された電子は、「つぶつぶ(粒子)」として観測されます。例えば図2の実験例では、レーザーを当てると試料から電子がある角度に放出され、検出器の上に輝点となってあらわれます(筆者による測定)。測定を多数回繰り返すと、電子の“ぽつぽつ”によりある形を持った分布となります。この分布はMax Bornの確率解釈(1926年)によると、波動関数の自乗 |Ψ|2 に相当するものになります。この例では、ネオン原子の電子のf-波、磁気量子数m=0が主な成分となります(Science 356,1150 (2017))。

図2:電子は粒として測定される

一方、電子は粒子性と波動性の2つの性質※2を持っており、波としての性質は、電子の「位相」として表されます。しかし、この“位相情報”は検出器に当たったときに消えてしまいます。すなわち、本来は図2の赤線の2つの部分では、電子の「位相」(または符号)が異なるはずなのに、検出器上ではただの「粒」としてしか観測されません。(広い意味でのコペンハーゲン解釈による波動関数の収縮)。

アト秒(=10のマイナス18乗秒)科学の方法を用いることで、電子の量子的な性質である「位相」を測定することが可能になってきました。位相がわかることにより、波動関数の自乗|Ψ|2 ではなく、複素数の波動関数 Ψ そのものを得ることが出来ることになります。2004年に筆者らは、アト秒再衝突電子を用いる方法(Nature 417, 917 (2002))により、窒素分子の分子軌道のイメージングに成功しました(Nature 432, 867, (2004))。アト秒レーザーパルス列※3を用いる方法では、2001年に、ヨーロッパなどのグループにより、主に「エネルギーごとの」電子の位相を測定する方法が開発されています(Science 292, 1689 (2001))。近年、筆者らは奇数次と偶数次を含むアト秒レーザーパルス列を用いることで、ネオン分子から放出された電子の「角度ごとの」位相を測定し、部分波にわける方法を開発しました(Science 356, 1150 (2017) )。一方、この方法は電子の3つの干渉過程を用いるため、解析方法が難しく、角度ごとのみの解析に留まっていました。

(2)今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

そこで本研究では、2017年の方法を発展させ、より簡単・直接的な方法で「角度ごと・エネルギーごとをあわせた運動量※4ごとの電子の位相と振幅を測定し」「複素数の波動関数全体を可視化する」方法を開発しました。具体的には、アト秒レーザーパルスの発生方法を制御することにより、「2つのイオン化過程のみの干渉」が起こるようにしました。このことにより、角度ごとではなく「電子の運動量ごと」の振幅と位相を直接、決定できます。これは、図2でいえば「検出器上のある点に来る粒ひとつの」位相と振幅を求めることに相当します。また、解析が非常に短時間で行えるようになりました。これにより、「複素数の波動関数全体」のイメージングが可能になり、これまではわからなかった運動量空間での電子波動関数の詳細な構造(位相の違いなど)が高分解能で明らかになりました。

(3)そのために新しく開発した手法

電子の位相を測定するためには、干渉を用います。アト秒レーザーパルス列(高次高調波)は、極端紫外領域の波長(エネルギー)の異なる複数の高調波を含んでいますが、その発生過程を制御することにより、2つのイオン化過程A,Bのみの干渉が起きるようにしました(図3)。具体的には、過程Aでは第14次高調波による1光子イオン化過程、過程Bでは第13次高調波と赤外光による2光子イオン化過程となります。ここで、第15次以上の高調波はほとんど発生しないようにしています。このパルスを気相の原子に当てると、それぞれの過程A,Bで異なる対称性を持った電子波動関数が生成します。それぞれの波動関数は干渉し、その干渉の様子は高次高調波と赤外光との時間差 τ を変えることで変化します。その変化から位相と振幅を決定します。

図3:アト秒レーザーによる位相測定

この過程は、光や電子を用いた「2重スリット実験」との類似で考えることが出来ます。すなわち過程Aが片方のスリットを通るパス、過程Bがもう片方のスリットを通るパスに相当します。それぞれのパスを通過した光または電子は干渉して干渉縞を作ります。ここで、片方のパスの長さを変えると、干渉縞が移動します。その移動の様子から、位相を知ることが出来るというものです。本実験では、「片方のパスの長さを変えること」は「アト秒レーザーパルス(高次高調波)と赤外パルスの時間差をアト秒で変える」ことに相当します。なお実験装置等は早稲田大学西早稲田キャンパス51号館地下の新倉研究室で開発したものです。

実験結果:
アト秒レーザーパルスと赤外光の時間差 τ を変えて、ネオンガスから放出された電子の運動量分布を測定しました。それぞれの電子の運動量ごとの信号強度は、時間差 τ の関数として変動します。その変動の振幅の大きさと位相を求め、2次元の運動量上にマッピングしました(図4)。

図4:測定された波動関数

図4(a)が振幅、(b)が位相の分布を示します。(a)の振幅の大きさの分布に、6つのピークが見えています。例えば上と下のピーク(kx=0のところ)は、ほぼ同じ振幅の強度になっていますが、(b)の位相の値を見ると、赤・青の色の違いから、位相がπだけずれていることがわかります。この位相と振幅から、複素数の波動関数 Ψ を得ました。(c)と(d)に、複素数の波動関数の実部と虚部をそれぞれ示します。(c)の実部を見ますと、色の赤いほうがプラスの振幅、青いほうがマイナスの値の振幅になっており、区別がなされていることがわかります。また本研究では、振幅と位相、または実部と虚部という2つの量で特徴付けられる複素数の波動関数を1枚の図で表現するために、HSV(hue, saturation, value)表示を用いました。図5(a)は、上と同じ波動関数をこの表示で表したものです。(なお、全体の任意位相は(b)と(c)(d)、また図5とでは、シフトさせています。)色(hue)が位相(phase)、明るさ(value)が振幅(Amp.)を表します。”S”(saturation)の値は0.5にしています。図5(c)に、横軸を振幅、縦軸を位相としたときの2次元のHSVカラーマップを示します。このように表現することで、位相と振幅を含めた波動関数の詳細な構造がわかります。例えば高次高調波のエネルギー(波長)を少し変えると(図5(b))、測定される分布が大きく変わることがわかりました。

図5:測定された複素数の波動関数(HSV表示)

測定された波動関数 Ψ は、それぞれ過程Aと過程Bによって生成した波動関数の「積」になっています(Ψ=ψa ψ*b)。(過程Bのほうは複素共役をとります)。そこで測定された波動関数 Ψ を、過程1、過程2のそれぞれのイオン化過程によって生じた電子波動関数 ψa  と ψ*bとに分けるアルゴリズムを開発しました。図6にその結果を示します。

図6:個々のイオン化過程にわけた波動関数

このように分けることで、特徴的な6つのピーク構造の内側と外側の位相の違いは、主に過程Bによって生成したψ*b(第13次高調波+赤外光)の位相が異なっていることによって生じた、ということがわかりました。なお、Ψ の振幅の強度は対数スケールですが、ψa  と ψ*bはリニアスケールを用いて表示しています。

(4)研究の波及効果や社会的影響

本研究で測定された電子波動関数は、ネオン原子内の他の電子や、イオン核との相互作用が顕著な、低エネルギーの電子のものです。このような電子相関過程が大きな場合は、最新の計算機でも、その正確な計算が困難になります。計算結果と比較するためには、本研究で示されたような位相を含めた「複素数」としての物理量を測定することが必要になります。現在発達中の、量子コンピューターなどの計算アルゴリズムの発展や、その検証に使えることが期待されます。また本研究では、コヒーレントなアト秒レーザーを用いて、電子の波としての性質を利用することで、通常の光電子分光法では測定が困難な電子の位相の分布の測定を可能にしました。アト秒レーザーパルスはテーブルトップで極端紫外領域~軟X線領域の光を発生できますが、本研究により、電子の位相分布や複素数の波動関数イメージングをもとにした、新規な位相・運動量分解光電子分光法や物質測定・量子状態の測定法の開発につながります。複素数の電子波動関数がわかることにより、新たな機能を持つ分子の創生や、より高輝度の蛍光物質の作成などが期待されます。

(5)今後の課題

本研究では気相の原子についての測定を行いましたが、同様の原理を用いて、配列した気相の分子や固体試料でも同様に、電子の位相分布を求める方法を開発することが今後の課題となります。本実験では、当研究室で開発された「長時間アト秒時間差を維持できる」高安定な光学系を用いました。このアト秒高安定性を利用して、本方法を固体試料の顕微分光法などに応用し、「異なる部位から放出された電子の位相分布」、時空間でのイメージングを可能にする「アト秒位相分解・光電子顕微鏡」の作成などが目標となります。

(6)研究者のコメント

「原子や分子などの電子状態はどのようになっているのか」は20世紀初頭の量子力学の発展により明らかにされてきました。物質や生体分子などの構造・機能を理解するためには、量子力学的な取り扱いが基本となっているため、物理だけではなく化学や生物系の分野でも波動関数などは必要な概念です。大学で量子力学・量子化学・物理化学などを学びますと、シュレーディンガーの波動方程式や、波動関数に出会うと思います。教科書には「波動関数の絵(計算結果)」が色分けされて掲載されていると思いますが、「計算結果ではなくて、直接、色(位相)をわけた波動関数を測定する」ということが、ひとつの目標でした。今回、アト秒レーザーパルスを用いた新たな光電子分光法により、位相の分布や複素数の波動関数を高分解能で可視化できることになりましたが、ぜひ教科書や講義等で、ご紹介いただければ幸いです。
【ご参考】https://www.f.waseda.jp/niikura/NHdenshi22.pdf

(7)用語解説

※1 波動関数
シュレーディンガー方程式の解としての、物質の波としての性質を現す複素数の関数(Ψ)。「波動関数の自乗|Ψ|2は粒子の存在確率を表す」という確率解釈が提唱され、実際の実験結果と関係付けられました。いわゆる「電子雲」と呼ばれることもあるものは、この「電子波動関数の自乗」に相当します。しかし、電子の存在確率を表す「波動関数の自乗」は、※2の図で言えば「振幅の自乗」に相当し、位相成分は測定されません。原子や分子などの電子状態は、自乗をとらない複素数の波動関数そのもの Ψ を元に表現されるため、電子の「確率分布(電子雲)」だけではなく「位相の分布」を得ることが重要でした。

※2 電子の粒子性と波動性
電子は粒として観測されますが、波としての性質を持っています。電子の振る舞いは、「波」を表す数式で記述でき、さまざまな現象は、電子を波として考えるとよく説明できる、という意味です。電子の波としての性質は、通常の波動と同じように「振幅」「位相」「周期」で決まります。波の大きさが振幅、波が基準となるところからどれだけ横にずれているのか、が位相となります。振幅と位相の2つの物理量をまとめて書くと、複素数での表示になり、実数の部分(実部)と虚数の部分(虚部)で表されます。

図7:電子は波として表される

※3 アト秒レーザーパルス(高次高調波)
高強度の赤外のレーザーパルス(基本波)を原子などに集光すると、極端紫外領域のレーザーパルスが発生します。そのスペクトルは、基本波の奇数次倍のエネルギー(または奇数次分の1の波長)を持つ高調波の列になります(高次高調波)。本研究では、基本波とその2倍波を重ねて高次高調波を発生しているため、第13次(基本波790nmのエネルギー1.57eVの13倍のエネルギー(または13分の1の波長))に加えて、偶数次である第14次も発生します。
【ご参考】「アト秒科学 かんたん解説」https://www.f.waseda.jp/niikura/attosum.htm

※4 運動量
電子は、ある方向にあるエネルギーで原子から放出されます。これはまとめて「あるkx,kyという運動量を持つ電子が放出される」と言い換えることが出来ます。本研究で用いた測定装置(Velocity Map Imaging)では、高いエネルギーを持つ電子はわっかの外側に、低いエネルギーをもつ電子は内側に検出され、角度とエネルギーの両方の「運動量分布」を測定できます。実際には3次元で電子は放出されますが、それを2次元に射影しています。

図8:電子の運動量測定

(8)論文情報

雑誌名:Physical Review A 106, 063513 (2022).(アメリカ物理学会誌)
論文名:High-resolution attosecond imaging of an atomic electron wavefunction in momentum space
執筆者名(所属機関名):中嶋 孝史(なかじま たかし)(早稲田大学理工学術院先進理工学研究科)、篠田 祐(しのだ たすく)(早稲田大学理工学術院先進理工学研究科)、D. M. Villeneuve (カナダ国立研究機構&オタワ大学)、新倉 弘倫(早稲田大学理工学術院先進理工学部)*
*責任著者
掲載日(現地時間):2022年12月23日
掲載URL:https://journals.aps.org/pra/abstract/10.1103/PhysRevA.106.063513
DOI:https://doi.org/10.1103/PhysRevA.106.063513

(9)研究助成

研究費名:科学研究費補助金 基盤研究A 18H03903
研究課題名:アト秒位相分解波動関数イメージング法による新規な量子選択性の研究
研究代表者名(所属機関名):新倉弘倫(早稲田大学)

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