IoT社会を支える情報処理素子の実現

スキルミオン結晶のリザバーコンピューティング機能を実証
IoT社会を支える高性能な情報処理素子の実現に道 ~

発表のポイント

  • 典型的な情報処理タスクに対するスキルミオン結晶のリザバーとしての性能指数を、数値シミュレーションにより評価した。
  • その結果、スキルミオン結晶がリザバーに要請される重要な3つの機能「汎用性」、「非線形変換性」、「短期記憶性」において、高い性能を持っていることを明らかした。
  • スキルミオン結晶をリザバーコンピューティングへの応用することで、将来のIoT社会を支える優れた情報・データ処理素子の実現が期待される。

概要

早稲田大学理工学術院望月 維人(もちづき まさひと)教授および同大学理工学術院総合研究所リー・ムークン次席研究員(研究院講師)は、磁性体の「スキルミオン結晶」がリザバーコンピューティング※1への応用に適した高度な機能を備えていることを数値シミュレーションにより実証しました。高度な微細加工や複雑な製造プロセスを必要とせず、安定性や省電力性に優れたIoT社会を支える新しい情報処理素子の実現へ道を拓きました。

本研究成果は、アメリカ物理学会発行の『Physical Review Applied』にて、2022年7月29日(金)にオンラインで掲載されました。また、特に注目すべき論文として、本論文誌のEditors‘ Suggestionに選出されています。

図1:キラル磁性体の薄板試料中に磁気モーメントにより形成されるナノサイズの磁気渦「スキルミオン」と、スキルミオンが周期的に配列した集合体「スキルミオン結晶」、および「リザバーコンピューティング」のアーキテクチャ。スキルミオン結晶が発現している磁性体試料の一方の端で、励振器により局所的に磁気モーメントを励起すると、磁気モーメントの振動(スピン波)がリザバーであるスキルミオン結晶中を伝わる。もう一方の端に到達したスピン波信号を検出器で読み出し、重み行列を使った線形変換を施すことで情報処理が行われる。また、「学習」によって重み行列を最適化することで、それぞれの問題やタスクに対応するコンピューティング機能を実現することができる。

(1)これまでの研究で分かっていたこと

現代の情報・データ処理には、半導体技術に立脚した「ノイマン型アーキテクチャ※2」が用いられています。このノイマン型の情報処理は、多くの問題において正しい解を与えますが、「計算時間の指数関数的な増大」や「デバイスの微細化限界」、「大きな消費電力」といったいくつかの課題を抱えています。これらの課題を克服した新しい情報処理アーキテクチャを確立すべく、「人間の脳」の機能を模倣した「非ノイマン型」の情報・データ処理である「脳型コンピューティング」が世界中で精力的に研究されています。脳型コンピューティングは、(プログラミングではなく)「学習」により情報処理機能を獲得し、非決定論的で、消費電力を大幅に抑えることができるという特徴を持っています。

数ある脳型コンピューティング技術の中で大きな成功を収めているものの一つに、入力に対して非線形な応答を示す媒質(リザバー)を利用する「リザバーコンピューティング」があります。この技術は、「音声認識」や「株価予想」などの時系列データ処理や、「画像認識」や「手書き文字認識」などのエラーへの寛容性を要するデータ処理に適しており、近い将来のIoT社会を支える重要な基盤技術の一つと考えられています。リザバーコンピューティングの根幹要素である「リザバー」として、これまでに光回路や生体、力学機械、半導体、磁性体など様々な材料や物理現象が研究・提案されてきました。

その中でも「磁性体」は、安定性と省電力性、高速応答性の観点から、他の材料に比べて大きな優位性を持っているため、磁性体のエレクトロニクス応用を目指す「スピントロニクス※3」と呼ばれる研究分野において、磁性体を利用したリザバーが精力的に研究されてきました。しかし、現在研究が進められている磁性体を利用したリザバーのほとんどは、微細加工によって作製された「スピントルク発振素子※4」を複数接続して使うものであり、その製造には高度な微細加工と複雑なプロセスを必要とします。

「スキルミオン」は2009年に発見された磁気モーメントにより形成されるナノサイズの磁気渦であり、キラル磁性体※5に磁場を印加するだけで自己組織化により無数に生成されます。さらに、無数に生成されたスキルミオンは、周期的に配列して結晶化することが知られています(スキルミオン結晶)。本論文の著者のひとりである望月の2012年の研究により、スキルミオン結晶を構成する一つ一つのスキルミオンが、マイクロ波に対してスピントルク発振素子の磁気モーメントと同様の応答や振舞いをすることが分かっていました。また、スキルミオンは、位相幾何学的な特徴を持つために、熱揺らぎなどの外部擾乱に対して堅牢であるという性質や、通常の磁気構造よりも弱い電磁場に対して大きな電磁応答を示すという性質を持っています。

(2)今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

スキルミオン結晶をリザバーとして活用できれば、高度な微細加工や複雑なプロセスを必要とせず、安定かつ省電力で、応答の速いリザバーを実現できる可能性があります。しかし、スキルミオン結晶のリザバーとしての機能の有無や性能はまったくの未知数でした。

そこで、キラル磁性体の薄板試料に発現するスキルミオン結晶を、リザバーコンピューティングに応用することを目指し、典型的な情報処理タスクに対するスキルミオン結晶のリザバーとしての性能指数を、数値シミュレーションにより評価しました。その結果、スキルミオン結晶がリザバーとして非常に高い性能を持っていることを明らかにしました。

具体的には、リザバーに要請される最も重要な3つの機能、つまり、「入力信号の特徴を反映した出力を返す性質(汎用性)」、「入力信号を非線形に変換して出力する性質(非線形変換性)」、「短期の履歴情報を記憶し、長期の履歴情報を忘却していく性質(短期記憶性)」を、「入力時間推定タスク」、「偶奇判定タスク」、「短期記憶タスク」という3つのタスクを課すことで評価しました。

その結果、スキルミオン結晶がこれら3つのリザバー機能おいて、高い性能を持つことを実証しました。また、これらの性質のうち、「非線形変換性」はスキルミオン結晶中の磁気モーメントの集団振動(スピン波)の反射・干渉を伴う複雑な伝播によって担われていること、「短期記憶性」はスキルミオン結晶中を伝播するスピン波が徐々にエネルギーや位相情報を失うことで実現していることを明らかにしました。

図2:スキルミオン結晶を利用したリザバーの短期記憶性能を、「短期記憶タスク」を課して数値シミュレーションにより評価した結果。0と1がランダムに現れる時系列入力(赤い実線)に対し、一定の時間が経過した後にリザバーがどの程度この入力データを記憶しているかを検証している。入力パルスの時間幅の1倍、2倍、7倍、10倍の時間が経過したあとの出力信号(青い点線)を見ると、1倍、2倍の場合はほぼ完璧に一致(記憶)しているのに対し、7倍から10倍の場合にもかなりの一致が見られるものの、不一致(忘却)が生じていることが分かる。リザバーコンピューティングには、短期間の記憶に加え、長時間が経過した後は、徐々に入力信号を忘却していくことが求められる。この結果は、スキルミオン結晶が高いレベルでこの性質を備えていることを示している。

(3)そのために新しく開発した手法

数値シミュレーションに必要なスキルミオン結晶の磁化配列を生成するために、スキルミオンを安定化するジャロシンスキー・守谷相互作用※6を含む磁性体の数理モデルを使って、モンテカルロアニーリング法※7を用いた数値計算を行いました。さらに、生成したスキルミオン結晶中の磁気モーメントのダイナミクスを、磁気モーメントの時間発展方程式であるLLG方程式を用いて数値シミュレーションし、リザバーコンピューティングに必要な機能や性能を評価しました。

この数値シミュレーションでは、リザバーであるスキルミオン結晶の一方の端に、時間変動する磁場(マイクロ波磁場)を局所的に印加することで、「0/1バイナリ型」や「連続値型」などの任意の時系列データを入力できるようにしました。また、それによって誘起され、伝播するスピン波信号を、スキルミオン結晶のもう一方の端で読み出しました。さらに、読み出した信号を出力データに線形変換する行列を最適化し、この行列を使って得られる出力がどの程度正しいかを、それぞれのタスクについて評価しました。

(4)研究の波及効果や社会的影響

スキルミオン結晶を利用したリザバーコンピューティング素子は、安定性、省電力性、高速応答性といったスピントロニクス素子の長所を兼ね備えていながら、従来のスピントロニクス素子のような高度な微細加工や複雑な製造プロセスを必要としない情報・データ処理素子となります。そのため、将来のIoT社会を支えるユビキタス素子※8の役割を担っていくことを期待されます。

(5)今後の課題

今回の研究で、キラル磁性体に磁場を印加するだけで発生するスキルミオン結晶が、リザバーコンピューティングに要求される「汎用性」、「非線形変換性」、「短期記憶性」といった性質を高度なレベルで備えていることを実証できました。今後は、音声認識や手書き文字認識など、より具体的かつ実用的な問題において、スキルミオン結晶を利用したリザバーコンピューティングの性能を評価していくことが課題です。また、リザバーコンピューティングに最適な磁性体材料の探索・開発や、信号入力・読み出し素子の設計、入力信号パラメータの最適化などを行い、デバイスとしての性能を高めていくことも重要な課題になります。

(6)研究者からのコメント

今回の研究で、キラル磁性体に磁場を印加する(裏に磁石を貼り付ける)だけで発生するスキルミオン結晶が、高いリザバーコンピューティング機能を持っていることを実証できました。今後の研究開発により、スキルミオンを利用した高性能なリザバーコンピューティング素子が一日も早く実現し、社会実装されることを期待しています。

(7)用語解説

※1 リザバーコンピューティング
脳の機能を模倣した情報処理方式の一つ。入力信号をリザバーと呼ばれる媒質に通して非線形変換を施すことで高い次元のデータ空間にマップした後、線形変換によって出力を得る。線形変換に用いる行列(重み行列)を学習により最適化することで、それぞれの問題やタスクに対応する情報処理機能を獲得する。時系列パターンの認識や、エラーへの寛容さが要求される情報処理に適している。

※2 ノイマン型アーキテクチャ
ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)が提唱したコンピュータの基本構成。記憶部に計算手続きのプログラムが格納され、逐次処理方式で情報処理が実行される。現在のコンピュータのほとんどがこの方式を採用している。

※3 スピントロニクス
物質中の電子は、電気的な性質を担う「電荷」の自由度に加え、磁気的な性質を担う「スピン」の自由度を持っている。この電子のスピン自由度を積極的に活用し、エレクトロニクス技術への応用を目指す研究分野をスピントロニクスと呼ぶ。

※4 スピントルク発振素子
微細加工によって形成した強磁性体を積層させたスピントロニクス素子で、直流電流を流すことで、強磁性体中の磁気モーメントが一定の周波数で歳差運動する。その結果、素子の両端にマイクロ波帯の交流電圧が生じる。スピントルク発振素子を複数接続させると、素子間の相互作用により発振の同期が起こるが、この現象を脳模倣型コンピューティングに応用する研究が進められている。

※5 キラル磁性体
鏡に映した像が元の像と重ならない構造をキラルな構造と呼び、構成原子の空間配列(結晶構造)がキラルである磁性体をキラル磁性体と呼ぶ。キラル磁性体では、隣り合う原子の磁気モーメントを互いに傾けようとするジャロシンスキー・守谷相互作用が働くために、しばしばスキルミオンのような磁気渦構造が発現する。

※6 ジャロシンスキー・守谷相互作用
キラル磁性体や磁気ヘテロ接合系など、空間反転対称性の破れた磁性体で活性化する磁気モーメント間の相互作用。隣り合う原子上の磁気モーメントを互いに傾け合おうとする性質がある。

※7 モンテカルロアニーリング法
乱数を使って高温から低温に向かって徐々に温度を下げていくことでエネルギーの低い安定な磁化配列を探索する数値シミュレーション手法。

※8 ユビキタス素子
英語「ubiquitous」の意味の通り、我々の日常生活や身の回りで広く使われるデバイスのこと。

(8)論文情報

雑誌名:Physical Review Applied
論文名:Reservoir Computing with Spin Waves in a Skyrmion Crystal(磁気スキルミオン結晶中のスピン波を利用したリザバーコンピューティング)
執筆者名(所属機関名):
リー・ムークン(早稲田大学理工学術院総合研究所・次席研究員(研究院講師))
望月 維人(早稲田大学理工学術院先進理工学部応用物理学科)
掲載日:2022年7月29日(金)
掲載URL:https://journals.aps.org/prapplied/abstract/10.1103/PhysRevApplied.18.014074
DOI:https://doi.org/10.1103/PhysRevApplied.18.014074

(9)研究助成

  • 研究費名:国立研究開発法人科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 CREST
    研究課題名:Beyond Skyrmionを目指す新しいトポロジカル磁性科学の創出
    研究代表者名(所属機関名):于 秀珍(理化学研究所)
  • 研究費名:日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(A)
    研究課題名:スキルミオニクス創成に向けた基盤技術と材料の開拓(課題番号:20H00337)
    研究代表者名(所属機関名):望月 維人(早稲田大学)
  • 研究費名:三菱財団自然科学研究助成
    研究課題名:磁気スキルミオンを使った脳型コンピューティング素子の理論設計
    研究代表者名(所属機関名):望月 維人(早稲田大学)
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